第20鬼 完全な鬼

 舞草の言った通り、海和神社の境内に午後七時に集合した俺たち。俺たち以外に人はいない。吹きすさぶ風がより一層、荘厳で粛々としている様を際立たせていた。


 俺たちが集まってまもなく、強烈な臭い、木の葉が舞うほどの強風が襲う。


――鬼が来た。


「……ァ……イ……」


 俺たち三人が討伐する最初の鬼は、あろうことか発語していた。俺たちが願っていたように、説得だって可能かもしれない。共闘だって、手中に収めることだって可能かもしれない。


「あぁ……マイ……ま……い」


――だが、それが誤りであることを直ちに知ることとなった。


 はっきりと俺たちの使う言語を使用する鬼。その鬼はただ、「マイ」とだけ言い続け、海和湊の方に、にじり寄って来た。今までの鬼とは違い、その目は何処か悲しげで、必死にその手で、海和を抱きしめようとしているように見えた。


「ご……ん……マイ……ご……め……」


 途切れ途切れに、ごめんと訴え続ける鬼。どうしてこんなに悲壮感が漂っているのだろう。どうしてこんなに憐憫の情を抱かせるのだろう。


「赤在くん。撃つのよ」


 無抵抗の鬼、俺たちに危害を加える様子は一切ない。銃口を向けられた鬼はその穴から弾が発射されるとも知らずに、ただ黙ってその穴を凝視していた。その眼は優しく、牙を意図せずに持たされた鬼、刃物を握らされ殺人犯に仕立て上げられた傀儡のように思われた。


「撃つぞ……撃つぞ……」


 警官が犯人に対して警告するように、俺は鬼に向かって訴えかけた。


 俺たちは気が付かないふりをしていた。この鬼から溢れ出る人間味、滲み出る人情に。


「マイ……マ……イ……」


 依然として鬼は同じ言葉を繰り返している。こちらの言葉が聞こえないのか、理解できないのか。撃つぞと言っても一向に怯える気配がなかった。


「あぁああぁ!!!」


 その時、鬼は抑圧されていた感情が解放されたかのように、突如、走り出した。大きな体が地響きを立てながら海和に向かう。


――バン!


 俺は反射的に引き金を引いた。弾はそのまま鬼の額に直撃した。


 大きな体から血飛沫が上がったと思ったら、その体は地に横たわっていた。たった一撃、脳天を綺麗に撃ち抜くことで楽に命を奪うことができた。舞草の言う通り、この武器で鬼を一掃することができそうだった。


――だけど、俺たちが想像していたものとは違う。


 鬼の目から生気が徐々に失われていく。首を捻りつぶせそうな大きな腕も、首を掻っ切れそうな鋭い爪も、首を噛みちぎれそうな立派な牙も、俺たちに向けられることはなかった。優しい鬼、攻撃しない鬼もいると言うのか。


「どうして……攻撃してこなかったと思う?」


 海和が俺たちに問うてきた。海和はどうやら自分の意見と俺たちの考えが一致するのか確かめたいらしい。


「私たちが戦っていたのは……人間?」


 山内さんは半信半疑で言った。そんなわけがない、そう思いたい俺たちだったが、舞草があの時、質問をはぐらかしたことを思い出した。


「あの時、言わなかったのは、こうして私たちが躊躇しないようにするためだったってこと……」


「いや、完全にそうだと決まったわけじゃない。油断させて私たちを殺す作戦だったかも……しれない」


 海和は自分で言ったことが整合性の取れない妄言だと理解していた。先ほどの鬼の救いを求める瞳、あの澄んだ瞳が偽物だなんて思えなかった。あれは本物の哀しい目だ。あれはまるで人間、娘を思う父の所作だ。一人の父親のなれの果ての姿だ。


「あの鬼、マイって……」


 こうして俺たちがあの鬼を消し去ったことで、マイの父親はなかったことになるのだろうか。最初からいなかったことに、最初からそんな人間いなかったことに。


「マイってのが娘とかなら、残された娘はどうなるのよ。あの鬼の生きた証は、残ってる、きっと」


 大人は鬼に噛まれると、自我を失い、怪物になる。そう考えると舞草の言っていた、「大人は鬼になれない」と言うこととも符合する。鬼になれないんじゃない、正確には人間に戻れない。完全な鬼にしかなれないということだ。


「私が殺したあの鬼も、元は人間だった……」


 今さら考えたって仕方のないことだ。だけど、山内緋莉は考えてしまう。自分は鬼退治したのではない。同族殺しをしたのだ。人間を殺してしまった、その事実が山内緋莉を襲った。


「鬼を野放しにしておけば、犠牲者は増える。だけど、こうやって鬼を倒せば、人間だったものを完全に葬り去ることになる」


 どちらを選んでも、救われることのない未来。こうやってちまちまと裏で人間だった鬼を浄化したってキリがない。鬼がネズミ算式に増えるならば、俺たちがこうやって陰でコソコソと駆除したって意味なんてないのかもしれない。増え続ける鬼にあっという間に人類は駆逐され、この世界は鬼の世界となってしまうだろう。


「舞草さんに……確認するしかないわね」


 俺たちは、次の日、また舞草のところに行くことを決め、解散した。俺は帰り道、一人で考えていた。


 俺たちが戦っていたのは、人間。殺した鬼にも家族がいて、帰りを待つ者がいて、死んだら悲しんでくれる誰かがいる。桃太郎が退治した鬼にだって、家族がいただろう。悪だから殺して良いと言う理屈は間違っているんだ。魔物だから殺して良いと言う道理ではなかったんだ。


 分かっていたけど、また俺は、自分の都合で、自分の思い込みで、戦っていた。マンガやアニメに影響されている。鬼はいくら殺しても大丈夫だと言う固定観念を持っていた。あれが人間だった。殺さねばいけない存在だと分かっていたとしても、次も、今回のように、殺せるとは限らない。俺の心のどこかのスイッチがストップを掛ければ、引き金を引けないかもしれない。


 自分が殺されるとしても、それは制裁だとするのかもしれない。


 俺は一体どうしたいのか、また見えなくなってしまった……



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