第14鬼 鬼の王
だが……
「開かない……」
教室の中から、あの肉塊で押さえつけられているようで、扉を開こうとしてもびくともしない状態だった。
「じゃあ、蹴破るしかないじゃん!」
メイが思い切りキックをしてドアを吹っ飛ばした。中から堰き止められていた腐肉がこぼれ落ちて来た。ドロドロと黒ずんだ血潮が、俺の服に付着し、いきなり洗礼を受けた気がした。
「がっがっがっが」
中から野太い声がした。喉にモノを詰まらせて咽ているのか、笑っているのかよく分からない声だ。教室の電気は消えたまま、だが、確実に何かいるのが分かる。この死屍累々の先に、どす黒い大きな肩甲骨が見えた。
――鬼だ。
俺たちが最初に出会った鬼よりもはるかに大きい鬼、バキボキと人間を咀嚼する音だけが、この教室に響き渡っていた。俺たちがゆっくりとその鬼の方に向かおうとした時、鬼は無遠慮に声を掛けてきた。
「メイ・ジャドジュール、久しぶりだなぁ……」
メイは、一瞬身構えた。口を少し開いただけで分かる。これは格上の相手だ。今まで出会った鬼よりも強い。空気がヒリヒリとジリつく感じ、油断すれば途端に殺される、そんな抜き差しならない状態。
「メイ・ジャドジュール……?」
奴は、たしかに、この音新乃萌生のことをメイ・ジャドジュールと言った。ジャドジュール? それが私の名前なのか? この鬼は、私のことを知っている鬼なのか?
メイは、目の前の鬼の言うことを、必死に反芻していた。
「臭いで分かる……早く来い……」
確実に奴は私のことを知っている。これで、私が何者なのか、判明する。
「お前は……何者だ」
俺は怖じずに鬼に問いただした。メイ以外でコミュニケーションを取ることのできる鬼は初めてだ。もしかしたら、メイと同じように人間と共存できる鬼なのかもしれない。もしかしたら、俺たちの味方になってくれるかもしれない。
――だが、そんな甘い期待はすぐさま消え去った。
「人間が……口を挟むな」
殺される、そう思った。脳の奥の感覚が、逃げろと全力で叫んでいる。本能が危険を告げる、脅威の存在。
「…………」
数秒、鬼は黙る。その数秒が俺たちには悠久の時のように、感じられた。鼻頭に汗が溜まる、嫌な汗だ。機嫌を損ねてしまっただろうか。だとしたら、もう俺たちは戦うしかない。
全身の筋肉を常に硬直させて、臨戦態勢を取る。奴がいつ襲ってきてもいいように、いつ牙を剥いてもいいように。
「だが、名くらい教えてやろう……」
緊張している俺たちの態度に無頓着な鬼は、ゆっくりとその口を開き、擦れた声で言った。
「鬼の王……純鬼……ゾウダ・ロベルジュリア」
無造作に大きな教師用の机に座る鬼は、俺たちを見下ろしながらそう言った。その姿は、まるで玉座に鎮座した王のようで、格の違いを見せつけられた気がした。
鬼の王? 純鬼? それは一体……
「ゾウダ・ロベルジュリア……」
メイはその名に聞き覚えがあったようで、
「あたし……知ってる……」
メイは、どこか心のピースが埋まるような、今まで鎖されていた記憶の扉が開いた気がした。
「話がしたい……」
メイはゾウダ・ロベルジュリアに向かって言った。
「あぁ、久々に会ったんだ……積もる話もあるだろう……」
そう言ってゾウダはメイの方に近づく。漆黒の鬼は、俺たちをゴミを見るような目で蔑みながら、吐き捨てるように言った。
「メイ、これ、お前が食べるために置いてるのか?」
――趣味悪いぜ……
ゾウダは俺の首根っこを掴んだ。俺の体は簡単に持ち上がり、そのまま奴の大きな口の中に放り込まれた。呆気なく、情けなく、俺は餌になった。
「待って!」
――この人たちは……違う。
すんでのところで助かった。メイの一声がなければ、俺も目の前の死骸のように、雑に食い散らかされていた。一切抵抗することができない、圧倒的な力。全く身体が動かなかった。筋力と言うよりも、魔力のような、不可思議な力を感じた。
「やっぱり、鬼の血は違うからなぁ……美味しい血、飲みたくないかぁ? もう、人間の薄い血に飽き飽きしてるだろ?」
ゾウダと名乗る鬼はメイに問いかけた。
「みんな、ごめん、帰って……」
今まで聞いたことがない冷たい声だ。激しく突き放されたのを感じた。
「メイ……」
こうして、メイは鬼に戻ってしまうのだろうか。仲間を見つけて、元の鬼の世界へと、人間を食らう鬼へと変貌してしまうのだろうか。これがメイとの最後の会話になるのだろうか。一瞬のうちに色々と取り留めのない思いが駆け巡る。
俺たちにメイを止める権利はない。
決めるのはメイ自身だ。
俺だって、これを望んでいたはずだ。メイを元の世界に戻す。仲間が見つかったんだ。これで良かったじゃないか。
必死に、俺は、俺自身に言い聞かせる。
心のどこかで、鬼と華麗に戦って、鬼を倒して、気持ち良くなることを期待していた。勧善懲悪の展開を繰り返し、その後に元の世界に最後は帰ると言う、感動の別れを想定していたのだ。
だから、俺は、こんなに複雑な想いなんだ。
こんなの、勝手に俺が、俺自身が、自分の都合の良いように考えたシナリオじゃないか。現実はそんなにうまくできていない。ハッピーエンドの物語のように、読後感の良い小説のように、綺麗にまとまらないんだ。
納得できない自分、帰りたくない自分。
動け、動け、俺。メイに背を向けて、帰路につくだけだ。ただ、仕方ないと割り切るだけじゃないか。踏ん切りをつけて、諦めればいいだけじゃないか。
「赤在くん、帰りましょう」
「生きてるだけで丸儲けってやつ。戦っても勝てない。わかるでしょ」
海和と山内さんは冷静だった。もちろん、そうすることが正しいと分かっているし、この強靭な鬼の胃袋の中に入ることを回避できただけでも僥倖なのだ。
だけど、納得できない。
目の前の鬼に挑んで何になる。
むざむざ殺されるだけだ。
だけど……
「ゲン、抑えて……そして、悪いけど……」
――ここから出て行って……
メイだった。俺の気持ちが伝わっていたのだろうか。俺の思いを共有していたのだろうか。俺のこの混沌とした自分でも理解できない思いを理解していたのだろうか。
当然だ。
俺の中にメイの血が流れているように、メイの中にも俺の血が流れている。メイだって、こんな別れ方、本意じゃない。そのはずだ。
なのに、どうして、そんなこと言うんだよ。
「分かった……」
俺たちはそれ以上何も言わずに、この場から立ち去ることにした。
「…………」
ガラリと扉が開き、三人は黙って外に出た。メイは、その背中をただ見つめることしかできなかった。
「バイバイ」
メイは呟いた。なんとなく分かった。これが最後だ。これで、お別れだ。
メイは自分の心の中に、寂しいと言う感情以上に、安堵の感情があることが、許せなかった。
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