第6鬼 俺の想い人の話をしよう。


 俺の想い人の話をしよう。


 俺が好きなのは同じクラスの出席番号三十二番、山内緋莉やまうちひまりだ。


 地味で目立たないタイプ、前髪が目のところまでかかっていて、普段は表情をうかがうことすら難しい。クラスで友達と話す素振りはなく、話をしている姿を見ることは稀である。


 しかし、彼女は笑う。それも俺たちを照らす、偉大な太陽のような明るい笑顔で。俺は彼女が不意に見せた笑顔にハートを射抜かれてしまった。彼女はあんな風に笑うのか。彼女はあんな風にして喜びを表現するのか。よくあるギャップにやられると言うやつだ。


 彼女は今日も教室の片隅で、静かに一人本を読んでいる。彼女を端的に一言で表すには図書委員タイプ。それでいて湿っぽさを感じさせないと言うか、気品があって高嶺の花の感があると言うか、とにかく魅力的なのだ。自分の足でしっかりと立っていると言うか、群れずにそれでいて凛としていると言うか、本当に素晴らしいのだ。クラスでいつもギャーギャーとバカ騒ぎしているあの女どもとは違う、彼女にはえも言われぬ趣がある、奥ゆかしさがある。


 ああ、きっと彼女は自分の意思を、信念をしっかりと持っているタイプだ。きっとこのクラスの男子なんて馬鹿で低俗な輩だと見透かしていることだろう。当然俺の恋心だって見抜いたたうえで、あの冷徹無比な態度なのだろう。これは俺のただの過大評価だろうか、いや違う。彼女は俺の想像する以上に、思慮深い人間だ。間違いない。


 なぜいきなり、こんな話をしたのかって?


 それは、俺が、彼女に、取り返しのつかないことをしてしまったからだ。


 悔やんでも悔やみきれない過ち。


 無抵抗の人間への暴挙。


 山内ルートがあったとするなら、それを全力で壊すルート。


――俺は、山内緋莉に、彼女の美しい首筋に、うっかり噛みついてしまった!


「はぁッ……」


 彼女の甘い吐息が漏れる。突然の出来事に彼女の体が一瞬ビクッと硬直した。目を細めて、唇を噛んで、必死に痛みに耐えている。首からはメイに噛みついた時のようにうっすらと血が滲んでいる。色白の彼女の肌、さわり心地の良い、すべすべとした肌。今まで誰も触ったことがない新雪のような、柔らかく、弾力のある肌、その肌に傷をつけ、さらに自分のDNAを彼女の中に注ぎ込んだ。


――そう、俺は、完全にやらかしてしまった。


 もしも、「俺だって、周りの人間を巻き込む気は毛頭ない」、なんて言う俺のセリフが前ページにあったなら、そのセリフを黒塗りで消してほしい。恥ずかしいから。

――だけど、勘違いしないで欲しい。


 ただの言い訳、言い逃れだなんて言わないで欲しい。違う、違うんだ。ほんの出来心だ。吸血鬼、もとい鬼の性だ。


――仕方ないじゃん。


 好きな女の子の血を吸いたくなるのって当然の情動じゃん。


 許してくれとは言わないが、どうか俺の気持ちも分かってほしい。


 そう、みんなも好きな女の子の首筋に噛みつきたいと思ったことはあるだろう?


「……好きだったから、仕方ないって言うんですか?」


 正論、何も間違っていない。ほらやっぱり彼女はインテリジェンスの塊だなあ。仕方ないわけない、そう、好きな子でも首筋に噛みつくなんて許されない、誰だそんなことやったやつ。


「赤在くんは、人を好きになったら、その人に噛みついてアピールするんですか、犬かなにかですか。あなた」


 彼女、山内緋莉は眉一つ動かさず、俺を突き刺すような視線で言った。


――ほんと、失望しました。


 今彼女の好感度がゼロを突破して、マイナスに突入したのが分かった。俺だって山内さんと清いお付き合いをしたかった。本当だ、本当なんだ。


「これ、両親になんて説明したら良いんですか。このまま傷害事件として訴えたら良いんですか」


 どんどん俺の逃げ場をなくし、追いつめてくる山内さん。やめてくれ、俺はそんなしかめっ面の山内緋莉を見たいわけじゃない。


 そんな怒っている姿も可愛いけど。


「何笑ってるんですか?」


 一瞬相好を崩した俺を彼女は見逃さなかった。


 違う、そうじゃないんだ。これじゃ、好きな女の子に罵倒されて喜ぶ性癖だと勘違いされてしまうじゃないか。


「あー、ゲン、それは一番やっちゃダメだわ~」


 横から一部始終を見ていたメイが言った。


――それ、お前は一番言っちゃいけないセリフだろ。俺を鬼にしたくせに。


ってか見てたなら、最悪の事態になる前に止めてくれ。


「すみません、うちのゲンがご迷惑を……」


 メイが俺の頭を手で押さえつけてくる。いや、お前は俺の母親か!


「まあ、こうなっちゃったら、説明するしかないね」


 説明? 鬼だから不可抗力だったとでも言ってくれるのだろうか? はたまたメイには山内さんを上手く納得させるだけの理由を持っているのだろうか?


「ようこそ、我が音新乃ファミリーへ! 今日から君も眷属だ!」


 少しでも期待した俺が馬鹿だったよ。


――って眷属!?!?


「音新乃さん、言ってる意味が……」


 さすがの山内さんも困惑しているようで、すんなりと今自分が置かれている状況を飲み込めないようだった。


「……分かったわ」


 だと思ったら、メイが少し説明しただけで、いともたやすく理解していた。


「最近、同じような展開のライトノベルを読んだわ。私はあまり好きじゃなかったけど」


 山内さんは純文学だけではなく、ライトノベルも嗜んでいるようだった。さすが俺が見込んだ女の子だ。


「ってか俺も噛んだ相手を眷属にできるのか……」


「ゾンビものならよくある展開じゃない。次から次へと感染して、最後にゾンビだらけになるやつ」


「嫌な例えだ……」


 山内さんはいたって冷静に、答えていた。鬼の自分さえも受け入れる心の広さ、天晴れである。


「山内、今から、俺の家来てくれないか?」


 今、俺は山内さんを呼び捨てで呼んでしまった。いきなり距離が近すぎたか? 不審に思われるか? 大丈夫か?


 そんな俺の内面を少しも気にすることなく、山内さんは言った。


「それは、これから赤在くんの家で、私たちがよろしくやるお誘いだと受け取っていいのかしら」


「んなわけないだろ!」


 山内さんは無表情で、小粋なジョークを交えて回答した。メイはざっくりとしか山内さんに説明していなかったが、本当は色々と話をしなければならないだろう。それが、俺が彼女を巻き込んでしまったことへの最低限の罪滅ぼしだ。

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