第4鬼 この力なら、この感触なら、軽くやっつけれる。

「…………」


 海和は怖れのあまり足をガクガクと震わせるばかりで、一言も言葉を発することはなかった。むしろ卒倒していないだけ、幾分かマシだとも言える。


 一方の俺は、どうにも意識が研ぎ澄まされてきたようで、自分の腕の痛みよりも、この目の前の窮地に歓喜しているようだった。どうしてだろう、俺はこの脅威に打ち克てる気がしている。血がたぎるだとか、腕が鳴るだとか、武者震いがするだとか、そう言う類のものかもしれない。


――ガブリ。


 本能的に、首筋に噛みついていた。体が、血液を欲していた。脳がそうしろと命じてきた。


 メイの首筋に、自分がされた時のように、カプリと噛みついた。メイの柔らかい首に傷をつけて、浮き出た血液を乾いた口内に満たす。口の中いっぱいにメイの温かい血を含んだ。それが、とても心地良い。女の子の血を飲むなんてなかなかない経験だなんて思いながら、俺はメイの血液を舌の上で転がし嚥下えんげする。


 それでも飽き足らず、自分の捥がれた腕からとめどなく流れ出る血液をすする。体に力が満たされる感覚、頭が焼けるように熱くなる。


 二本の角と共に、俺は再び鬼となった。


 これならやれる。そう意気込んで、策もなく鬼に向かってグーパンを決めた。


「これでッ!」


 硬い筋肉をものともせずに、俺の拳は鬼の左下腹部にめり込んでいった。これで終わる俺ではない。


 オーバーキル気味に殺さないと安心できない性質たちなんでね。ゴキブリだって必要以上に殺虫剤をかけるし、ハチだって原型をとどめない程度にはしっかり踏みつぶす。俺は油断もしないし、手加減もしない。


 完全に動かなくなるまで、完璧に生命活動を停止するまで、殴打し続けた。


 粉々に、そして、ズタズタになるまで、力の限り、拳を振るった。


 こう言う時、皆ならどう感じるだろうか。


 最初は、きっと、これならやれる、なんて思い上がるんだ。


 この力なら、この感触なら、軽くやっつけれる。


――誰しも、そう思うだろう。


 結果は無意味で無駄だった。半妖は所詮半妖。鬼殺隊なんかにやられるんじゃなくって、格上の鬼に惨たらしく、惨めに、殺されることを悟った。


 まったく俺の力が通じていない。圧倒的な力の差、これが人と鬼だ。


「ほんと、桃太郎よくやったぜ……」


 鬼退治を成した昔の英雄に思いを馳せながら、俺は走馬灯を見る心積もりをした。もうダメだと、はっきり分かったからだ。


「殺せよ……」


 こんなことを言うのは本意ではないが、口が自然と動いていた。ああ、なんて情けないんだろう。


「助けてくれよ、誰か」


 こんな状況を打開できる人間なんてこの世にいないことぐらい分かっていたのに、心ではそう願わずにはいられなかった。たしかに、この局面をひっくり返せる「人間」なんていなかった。


――だが、「鬼」はいた。


――メイと言う「鬼の娘」が。


 首筋に激痛が走った。噛まれている、確実に分かった。これはメイに噛まれた時のような甘噛みではない。確実に俺を殺そうとする気概を持った一撃だった。


「アアガァヴ」


 瀕死状態だったメイが、俺の血を得た後、勢いよく駆け出した。メイはものすごい速度で鬼にぶつかって行き、鬼の喉元に思い切り噛みついた。鬼は突然の襲撃に驚いたのか、先ほどまでとは打って変わって大きく暴れ出す。


 鬼の首からはどす黒い血が噴出し、メイの鋭い歯が確かに奴に届いたと言うことが分かった。


 大きな手でメイの首元を掴んだ鬼は、そのままメイを玄関の壁に向かって投げつけた。メイは瓦礫の中から臆することなく立ち上がり、再び黒い鬼に向かって行った。今度は鬼の手前で大きくジャンプをしてから、鬼の大きな頭に容赦なくかかと落としを決めた。その凄まじい動きを見ていると、本当に先ほどまでの華奢な少女と同じ人物だとは到底思えなかった。


 鬼は脳震盪を起こしたようで、大きな巨体がグラっと揺れた。メイはその隙を逃すまいとして、思い切りみぞおちに向かって美しいハイキックを披露した。


 さらに、確実に息の根を止めるためにもう一度、首元に大きく噛みついた。彼女の喉が何度も大きく動いている。血を存分に吸っているのだ。


 まるで首から毒を注入されているかのように、次第に黒い鬼の動きは鈍くなり、終には全く動かなくなってしまった。動かなくなってもなお、メイは鬼の首元から口を離そうとはしなかった。


 鬼が動かなくなってしばらくすると、目の前にまた色が戻り、壊れたはずの玄関も元通りになっていた。どうしたことか、さっきまで確かにいたはずの鬼も跡形もなく消えている。


 そして、俺の千切れたはずの右腕も、しっかり引っ付いていた。


 きっとあの鬼を殺さない限り、俺たちはあの空間に取り残されていたのだろう。そんな気がした。メイが鬼を討伐してくれたから、この元の世界に戻ってこれたのだろう。そう思った。


「メ……イ……」


 おそるおそる俺は目の前のメイだったものに話しかけた。まだ人間としての自我はあるのだろうか、このまま俺も殺されてしまわないだろうか、様々なことが頭をよぎったが、命の恩人に礼がしたかった。


 彼女の返答はこうだ。


「もー、ゲンったら貧血の女の子を置いてくなんてダメじゃん!」


――大変だったんだから、戦うの。


 いたって普通の、今まで通りのメイだった。


「メ……イ、なのか……?」


 俺は乖離した感情を修復するために、分かりきっていたことでも言葉にして発するしかなかった。あの残忍な鬼もメイで、今目の前の女の子もメイなのだ。その現実に折り合いがつけられない。


「ま、あたしも途中の記憶、ないんだけどね」


 メイは頭をかきながら照れ臭そうに言った。


 あれ、記憶ない状態だったんだ……


「そう言えば、この子、どうする?」


 俺たちの横には、意識を失った海和湊が横たわっていた。さすがにあの状況を見て平静を保っていられる人間はいないだろう。


「目覚めるまで、放っておくか」


 海和には今夜見たことは忘れてもらおう。それがお互いのためだ。きっとあんなに怖い思いをしたのだから、二度と俺たちに関わろうとはしないはずだ。


「んで、あの鬼は何だったんだ……」


 人型タイプの鬼とはわけが違う。本当の鬼、俺たちを殺そうとしたことは間違いない。


「あたしと同じところ出身ってのは分かるけど、それ以上は……」


 申し訳なさそうにメイは言った。まあそう言うと思っていたけどさ。


「これっきりだといいな」


 無理なことだと分かっていながら、俺は呟いた。きっとこれからまたあの鬼たちが襲来するのだろう。どこの誰かも分からない鬼に殺されるのは嫌だ。早くこの鬼ルートから一般人ルートに戻る方法を模索しなければ……



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