第3鬼 ――これが本物の鬼。


 放課後、俺はクラスメイトの海和かいわに呼び出された。誰も使用しない資料室、告白でよく使われる教室だ。


 だが、もちろん彼女は俺への愛の告白をしたいわけではなかった。


「赤在くん、あの音新乃って子、鬼なんだよね……」


 長い黒髪をなびかせて、海和 みなとは単刀直入に言った。その真っすぐな瞳に、俺は少し恐怖を覚える。


 海和湊、出席番号十番。彼女の家は陰陽師をやっているらしく、彼女はこう言う妖だとか鬼だとかそう言うのには人一倍敏感な人間だ。性格はよく言えば真面目、悪く言えば頑固。まあ要するに、よくいる委員長タイプだ。


「いやあ、俺はちょっとよく……」


「分かってるから。音新乃って子と知り合いだってこと。誤魔化したって無駄」


 はぐらかそうとした俺だったが、即座に海和が道破した。強い語気からも分かるように、どうやら俺がこの質問に真面目に答えないと解放してもらえないらしい。


「俺も、実は、昨日会ったばかりなんだ。本当だ」


 ほーんだけに、と言うアイツのギャグもついうっかり言ってしまいそうになったが、そこは抑えて海和に真実を伝えた。


「彼女、鬼だったら、私が退治しないといけないかもしれない」


 まあ、そうなるよな。俺は心の中でつぶやいた。彼女は身元不明の少女ではない。身元不明の鬼なのだ。


――きっと悪い存在に違いない。


 昔話に登場する鬼だって、良い行いをする鬼なんてきっと数えるほどしかいない。悪事を成す可能性があるというだけで退治されるのだ。


「まあ、海和が退治するならすれば良いんじゃないか。俺に許可取る必要なんてないんだから」


 だって昨日会ったばかりだし、アイツがどうなろうと俺の知ったこっちゃない。

「じゃあ、今夜、七時ごろ、赤在くんの家、行くから」


――いるんでしょ? 音新乃さん。


 彼女はそう言って手を振りながら去って行った。退治するって、一体どうするつもりなんだ。物騒なことにならないといいな、なんてお気楽なことを考えていた俺だったが、あることが脳裏によぎってしまった。


「そういや俺も、鬼になっちゃったんだった……」


 メイと上手く口裏を合わせて、海和に帰ってもらうようにしなければ……

 口約束なんていう軽い約束、するんじゃなかった。後悔の念に押しつぶされそうになりながら、俺は帰路についた。





「赤在くん、いますか?」


 宣言通り、ぴったり七時に彼女、海和湊はやってきた。インターホンに母が出て、階下から俺が呼ばれた。


「レンー! お友達!」


 放課後から覚悟はできていた。だからこそ、メイと入念に打ち合わせをした。俺たちが鬼だとばれないように、うっかり退治されないように……


「赤在くん、悪いのだけれど、音新乃さんに会わせてくれる?」


「あ、あぁ……今、呼んでくる」


 俺が一瞬言葉に詰まったのは、彼女、海和湊の服装が、いつも見ている制服姿ではなかったからだ。


「巫女服ってやつだよな」


 好きで着てるんじゃないわ、と彼女は言っていたけど、長い黒髪の彼女にはぴったりだと思った。右手にはあのお祓いなんかでよくみる神具も握られている。鬼を祓う気満々であることが窺えた。これ俺もやばそうじゃん……


――ここから、俺たちの作戦がスタートした。


「初めまして、音新乃萌生って言います」


 深々と頭を下げるメイ。そうだ、それでいい。彼女の気に障るようなことが少しでもあれば、結果が悪い方向に向かうに違いない。まずは相手の出方を慎重に窺って……


「私、鬼退治に来たの。音新乃さん、私に退治されてくれる?」


――あなた、鬼なんでしょ?


 ド直球、彼女は一抹の迷いなく言った。一触即発の雰囲気、下手に俺が干渉すれば、爆発してしまいそうな危険な状況。これは想定外だ、確認の一つぐらいしてくれるだろうと勝手に甘い考えを持ってしまっていた。


「あ、あの……えっと……」


 台本にない展開になって言葉を失うメイ。頑張れ、とにかく退治されないように、言葉を取り繕って、相手の殺意を削ぐんだ……


「あたしは、まあ、鬼なんだけどさ……なんていうか……」


――人間と共存したい鬼? って言うか……


 彼女なりに言葉を選んでいるのだろうが、彼女もまた自身を鬼だと表明してしまっているので、海和の格好の獲物となってしまう。


――悪いけど、私、そう言うの祓わないといけないから……


禊祓みそぎはらえ、たまわしい時に生まれし、祓戸はらえどの大神、諸々の禍事まがごと、罪、穢、祓え給え、清め給え……」


 海和が長い詠唱を始めた。その姿は悪を滅ぼさんとする正義の主人公のように勇ましい。祝詞を唱える様は、全力で歌っている時のように心底気持ちよさそうだ。きっと今まで使う機会がなかっただけに、嬉しいのだろう。神具をこれでもかとメイの眼前で振り回す。たしかにこれなら邪気もあっという間にふっ飛んでしまいそうだ。


 と、ここでメイの華奢な体がふっと揺れて、魂が抜けたように玄関先で意識を失った。


「おっと……」


 海和は自身が唱えた祝詞の効力を目の当たりにして、少し驚いたようだった。自分の課せられた任を終えた海和は、メイの体を受け止めた。


「赤在くん、悪いけど、後は頼むわ。私の役目はここで終わり。きっと音新乃さんは元通りになるはずよ」


 そう言って、目を閉じたままのメイを差し出した。メイは体重を全て俺に預ける形でもたれかかる。


――計画が違うじゃないか。


 俺は抱えたメイに向かって小声で言った。当然、意識を失ったメイからは反応はない。これが演技で無いことくらい、俺にだって分かっている。


「ほんと、どうしちゃったんだよ……」


 フリをするって言う約束だったじゃないか。あくまで海和の気が済むまで除霊させて、適当なタイミングで意識を失うフリをするって、言ったじゃないか。


 本当にお祓いされちゃってどうするんだよ……


 メイからは生気が感じられず、かろうじて呼吸はしているものの、このまま弱って命を失ってしまう気がした。鬼って案外弱かったんだな。これじゃ、ただの病弱な女の子じゃん。


 唐突に、またあの鼻を刺すような刺激臭がした。メイが空から落ちて来た時の、あの感覚だ。


 今度はそれに加えて、ある変化が起こった。一瞬にして俺の目の前から色が失われ、白と黒の世界になった。鮮やかな花も、青々とした草木も、白と黒の濃淡でしか認識できない。


 目を擦ってみる。やっぱり幻覚じゃない、現実だ。いきなり今いた世界から、別の世界に引きずり込まれたような異質な感覚。


――ズキリ。


 右腕に強烈な痛みが走った。まるで、腕をいきなり捥がれてしまった時のような、鮮烈な痛み。鋸や鉈で大雑把に切断される、陰惨な痛み。


 比喩ではない。


 実際に俺は腕を何者かによって捥がれていた。肩から先の腕がポトリと落ち、そしてポツンと、まるで熟れた果実のように潰れて無惨な姿となっていた。こういう時は妙に冷静になるもので、数秒、客観的にただじっと自分の腕を見ていた。


「う、で……」


 目の前の海和は自分が見ている光景が真実なのか分からなくなったようで、ただ目を大きく見開いて俺を見つめていた。


「グヴグ……」


 慟哭にも呻き声にも似た、澱んだ声。目の前に漆黒の巨躯があった。


――鬼。


 メイのような半妖ではない。


――本当の鬼。


 強靭な腕、屈強な脚、血走る眼。堅牢で鋭利な二本の角もしっかりと生えている。鬼のような形相と言う表現があるが、これが本当の鬼ってやつだ。怒りや憎しみ、そして哀しみを煮詰めて混ぜこぜにした邪悪な笑みをしている。全ての生き物を手玉に取ることができると言う自信の顕れ、確実に俺たち人間はこの鬼よりも劣る。それを肌で感じた。


――これが本物の鬼。

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