第19話 深まる疑惑
「ドクター、この歯形とリンゴの歯形を照合してくれ」
クラウリー宅に帰ってくるなり俺は両肩にまだ残っている母親キャシーの歯形を晒して調査するよう求めた。
「何じゃそれは?」
「キャシーに噛ませた」
「どうしたらそんな状況になるんじゃ?」
「普通にお願いしただけだ」
「愛の儀式ではなかったのですか?」
聞いてたのか!
ジェラシーで変なオーラが出てるルディに、本当の愛の儀式をあとでやるから今はお願いしますと目で訴ると、アマゾネス嫁はドクターに言われた通りに粘土を俺の肩に押し当てて歯形を取ってくれた。
「モア家は資産家のようだが後継者争い、遺産相続絡みでロビンが消された可能性はないか?」
ルディは歯形の照合の作業に入ったので俺はドクターと情報の精査を始めた。
「そりゃあないじゃろお」
「どうしてだ? 跡継ぎのロビンが死ねば喜ぶ者が誰かいるだろ?」
「ロビンは跡継ぎなんかじゃないぞ」
マジで!?
ロビンはたった一人の息子だぞ。
その
「一人息子のロビンがなぜ世継ぎになれないんだ?」
「家を継ぐのは女に決まっとるじゃろが」
そうきたかー。
それがこの異世界の常識なら仕方ない。黙って受け入れよう。
となると、モア家の跡取り娘は長姉のアイリーンになる筈だ。
だが、そのアイリーンに不安を感じて両親はアリスを作った。
ドクターに依頼して媚薬やら怪しげなものを使ってまでだ。
その甲斐あってアリスは聡明で魅力的な女性に育っている。
「じゃあモア家の次期当主はアリスなんだな?」
「そういうことじゃ」
「跡を継げない息子の俺の将来はどうなる?」
「普通はどこかの家に婿入りじゃの」
「婿入りかぁ・・・」
これまでの人生でそんなこと考えたこともなかった。
「婿入りなんて男なら当たり前のことじゃ。マックスだってそうじゃしの」
あっ、当然そうなるのか!
女が家を継ぐならそういうことだよな。
そしてこうなるわけだ。
「モア家の現当主はキャシーだったんだな」
「まだ知らんかったのか。昨日はずっと一緒だったじゃろうに」
鈍くてすまんな。サッカー以外能がない男なんだ俺は。
それに昨日の
俺は男が後継者が普通の日本育ちだし勘違いしても仕方ないだろ。
しかし、今朝キャシーが土地や建物の管理の仕事をしてると言った時に気付くべきだったな
「キャシーが当主でアリスが跡継ぎなら遺産目的の殺人はなさそうか」
「ないじゃろ。遺産目当てなら殺されるのはアリスの筈じゃ」
「だよな」
どうやら血で血を洗う後継者争いではないようだ。
アイリーンが俺を殺したあとにアリスまで殺す予定だったなんて強引な筋書きもなくはないだろうが、実物のアイリーンを見たらちょっと想像できんな。
あの気弱でおどおどした女の子が殺人なんて。
「ドクターはリンゴの歯形が女性のものだともう聞いてるか?」
「いや初耳じゃわい。そりゃちと意外じゃったのお」
「
「そうじゃよ」
「つまり現場に細工も出来たわけだ」
「まさかキャシーを疑っとるのか!?」
「現時点では、キャシーに限らず家族全員を疑ってるさ」
「しかし、キャシーがロビンを殺すなんて有り得んぞ」
「確かにな」
あの
だが、あの愛情はちょっと異常だと感じたことも確かだ。
「キャシーはロビンに依存してたんじゃないか?」
「まあそういう面もあったかのう」
「息子を溺愛するだけならまだ分かるんだが、ルディや娘のアリスにまであからさまに嫉妬してたぞ」
「マックスとはもう心だけの夫婦じゃから寂しいんじゃろ」
「この世界の夫婦事情は俺には分からんよ」
いくら長年連れ添ったとはいえ、20代後半に見える美女をもう全く抱く気にならんとか理解できん。何か確執があるんじゃないかと疑うレベルだ。
「キャシーが30歳でマックスは38じゃったかの。結構な年の差があるんで夫と違いキャシーはまだ独り寝が寂しいんじゃよ。それにロビンは手のかかる子じゃったから自然と今のようになっていったんじゃろ」
持て余していた肉体の寂しさを息子とのスキンシップで埋めていたのか。
薄々感じてはいたがインモラルな匂いが濃くなってきたな。
「夫のマックスはそれでいいのか? 自分の性欲はどうしてるんだ?」
「むしろ喜んどるわい。ロビンが妻の不満を解消してくれてるとな。それに30代になると性欲も減退しとるからええとこ週一ぐらいで処理しとるんじゃろ」
「処理というと娼館に通ってるわけだ」
「いや、専用メイドで処理しとったな」
メイドで!
あの親父ぃぃぃ、正義感の強そうな熱い性格してたのに、裏では妻子と同じ屋根の下でメイドとやりまくってるのかよ。
キャシーが歪んだのはマックスのせいじゃないか?
あ、待て待て、この異世界ではそれが当たり前のことなのかもしれん。
「それってごく普通のことなのか?」
「上流階級なら当然じゃよ。身元のよー分からん娼婦から変な病気を貰ってくると家族にまで感染の危険があるからのお」
なるほどな。その理屈はよく分かる。
だがそれを見せられる妻子の気持ちはどうなんだろうな。
「キャシーや子供たちは何とも思ってないのか?」
「ごく当たり前のことじゃからの。不満どころか疑問すら感じとらんじゃろ」
ふむ、それがここの常識か。
となるとマックスとキャシー、ロビンの関係に大きな軋轢はなかったのかな。
「じゃあマックスが妻の愛情を奪ったロビンを殺したという線はないな?」
「それこそ有り得んわい。肉体関係は無くなっても夫婦の情は残っとるし、さっきも言うたがマックスはキャシーの支えになっとるロビンに感謝しとったからのお」
「そうか。どうやら、キャシーとマックスの夫婦は容疑者から外しても良さそうだな」
「当たり前じゃ。疑う方がどうかしとるわ」
「そう言ってくれるな。俺だってあれだけの愛情を注いでくれる母親を疑うのは本当に辛かったんだぞ」
「一緒にいる時はとても嬉しそうでしたけどね」
居たのかルディ!
ダイニングの入り口にティーセットを持ったアマゾネス嫁が立っていた。
「は、歯形の照合はもう終わったのかな?」
「粘土が固まるまでもう少し時間がかかります」
ツンとした顔でルディは俺とドクターと自分のお茶をカップに注いでいった。
「先日、モア邸で聞き込みを行い、有力な情報を得ました」
俺の隣に座り、静かに紅茶を飲み終えてからルディは語り始めた。
おぉぅ、いつの間にそんな活躍を・・・本当に有能な嫁で俺は嬉しいよ。
それで一体どんな凄いネタを仕込んできたんだい。
「母キャサリンと息子ロビンの関係はあまり良くなかったようです」
な、何だってー!?
いやいやいやいやいや、それこそあり得ないって。
俺は自分自身で体験したんだ。
キャシーの溺愛ぶりを。息子への無償の愛を。激しい愛情表現を。
あれが演技だったなんて思えない。絶対に無い。
「一体誰がそんなことを言ってるんだ?」
「多数の使用人たちからの証言です」
「だけどキャシーのロビンへの愛情は本物としか思えない」
「はい、それは間違いないようです」
「えっ、じゃあどういうことなんだい?」
「ロビンは母親の愛情を迷惑がっていたようです」
そっちか!
ああ、それはまったく頭にはなかった。想像すらできんかった。
あんな若くて綺麗で上品なママに愛されたら嬉しいに違いないと思い込んでた。
本当に俺の思考回路はポンコツで情けなくなってくらあ。
「キャシーから聞かされた思い出話は嘘だったのか・・・」
「・・・恐らくそうでしょう」
「ロビンはキャシーの愛情を喜んで受け取っていたと聞いたのに」
「きっとキャシーの願望だったのでしょうね」
「いや、それだけじゃないよな?」
「・・・はい。記憶を失ったロビンを洗脳しようとしたのでしょう」
「さすがに・・・それは、無いじゃろ・・・」
キャシーを擁護しようとしたドクターも歯切れが悪い。
言いながら自分も疑念を消すことができなかったのだろう。
「そろそろ粘土が固まった頃ですので私は失礼します」
言葉の爆弾を落としていったルディがダイニングから出て行く。
爆心地にいた俺とドクターは衝撃でまだ何も言えないでいる。
「ドクターは何か気付かなかったのか?」
しばしの重い沈黙のあと、気の毒だがクラウリーに問いかけた。
「ワシにはそんな風には見えんかったよ」
「たぶんロビンは母親の愛情を迷惑がってる自分の事も嫌だったんだろう」
「そうじゃな。それがロビンの性格じゃったと思う」
「だから隠そうとしたんだな。ドクターが気付かなくても無理はない」
残念ながらドクターはこの件について情報を持ってないようだ。
さて、今分かっている事で仮説を立てるとしたらどうなる?
自分の無償の愛を受け止めてくれない息子を母親が殺した。
いわゆる、可愛さ余って憎さ百倍というやつだ。
陳腐な理由だがそれだけに可能性は高い。よくある話だからな。
これまで無いと思っていた動機が浮上してしまった。
キャシーがロビンを殺す要因が出てきてしまった。
これは絶対に無視できない。
あの美貌の母親には可哀想だがキッチリと裏は取らせてもらう。
キャシーの為に俺が出来るのは歯形の照合が違うよう祈ることだけだ。
動機だけじゃなく証拠まで揃いませんようにと。
ガチャ
どうやらその審判が下される時が来たようだ。
ルディが何かを持ってダイニングへ入ってきた。
そして俺とドクターが
「キャサリン・モアの歯形とリンゴに残された歯形が一致しました」
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