第7幕 陰陽寮の夏休み―4



 そうして2日後。虎鉄は1年クラスの生徒達と数人の教師と共にバスに乗り込み、目的地である明城海岸あきしろかいがんへと向かっていた。今はちょうど高速道路から降りて、海沿いの道に差し掛かった所だ。

 虎鉄の隣、窓側の席に座る凜は、外に見える青い海岸線と虎鉄を交互に見ながら、楽しそうにはしゃいでいる。


「海だー! 虎鉄、ねえ海だよ! 何年ぶりだろう、来るの!」


「俺らの実家、山奥だもんなあ。相当昔一回来たくらいじゃねえかな?」


「これで泳げたらよかったのにねー……まあ、来れただけでも良い事だよね! いえーい、海だー!」


「はしゃぎすぎんなよ、一応仕事みたいな物なんだからな」


 開け放たれた窓から気持ちのいい風が吹き込み、笑顔で話す凜の黒髪を揺らしている。先日教室で見せた絶望感を捨てて、なんとか気を持ち直したらしいその姿を見て、虎鉄は微笑んだ。


 今回の合宿は、一つの御祓いも兼ねて執り行われる予定になっていた。ここ明城海岸は遊泳も出来る観光地として有名なのだが、今年は海開きの日から、原因不明の軽い水難事故が後を絶たないらしい。日に日に噂も広まり、管理者により現在は遊泳を禁止されている状態だ。妖の仕業である可能性も否めないため、連絡屋が直に依頼を出していたそうだ。


 なので生徒達は各々実戦用の武器や触媒、札などを外部からは分からない様に持参しており、虎鉄ももちろん、祓魔刀ふつまとうをバスのトランクに積み込んでいた。

 

『おほー! 青い! そして広大じゃのう! これが海……!』


 凜の頭上にはバスにめり込みながら、外の景色を眺め感嘆の声を発する妖狐の白いしっぽが見える。振り回されるそれは純粋な驚きと喜びが表されているようだ。

 他の生徒達も同様に、合宿であることを一時的に忘れてその美しい景色にテンションを上げて思い思いの声を上げている。


「泳げないのは残念だけど……せっかくここまで来たんだから……タダだし……うん、雰囲気だけでも楽しまなきゃね!」


「……たくましい奴だなあ」


 凜が海を見ながら放った前向きな言葉に、虎鉄も同じように外の景色をぼーっと眺めながら返した。このバスに乗る生徒達も、同じ様な考えを持っているのだろう。

 そうしてバスに揺られながら、合宿先へと進んで行った。





 海沿いにある合宿場の駐車場に辿り着いた虎鉄達はバスから降り、各々の荷物を受け取っている。そんな中、出発前にも説明された内容を再確認する為か、少し遠くで煙草を持った弓削が、面倒臭そうに声を上げた。


「……はーい、お前らー。今日からアタシらは宗教学校の生徒として、ここにお世話になるからなー。貸し切ってるから一般の人はいねーけど、問題起こすんじゃねーぞ? んじゃ荷物持ったら適当にこっち集まれや」


 今回虎鉄達は、弓削の言う通り一般の高校生として、このホテルを借りた事になっているらしい。公共の体育館なども抑えている様で、訓練をするにも良い環境だ。勿論、破壊力の高い祓魔式は扱えないが。


 そうして荷物を受け取った生徒達は弓削を含めた数人の教師に連れられ、見上なければ全体が見えない程に立派なホテルのロビーへと向かった。臙脂えんじ色で統一された内装はいかにも高級ホテルの有様で、自然と生徒達のテンションも上がる。

 そうして配られた部屋の鍵も、生徒ごとに一つづつ個室が割り当てられる様だ。一体どこにそれ程までの財源があるのかと、虎鉄は苦笑いした。


「こ、個室だって……! 虎鉄、個室だよ個室!?」


 隣にいた凜も、完全にタダ旅行に来ている気分になっている。虎鉄は若干呆れ顔で、隣にいる凜に言葉を返した。


「……さっきも言ったけど、一応合宿だぞ? 結局やる事はいつもの訓練だけだろうし、あんまりはしゃいでると後で後悔するかもしれないぞ……」


「わ、分かってるよ! でも良いの! 私は泊まれるだけで嬉しいよ……!」


 こちらを慌てたように見上げ、そしてすぐに笑顔で返事をした凜。ころころと変わるその表情に、虎鉄は自然と口元が緩んだ。


「はーい、全員に鍵配ったな? 今からだけ部屋に置いて来いや。30分経ったらここ集合。分かったー? 分かったなら返事ー」


 そうしていると弓削が生徒達にそれとなく分かる言葉を用いて、号令をかけた。それに従い、虎鉄も自身の割り当てられた部屋へと向かうべく、エレベーターに乗り込んだ。盤面に並んだボタンの数に驚いたのも束の間、最新型なのだろう高速で上昇するエレベータは、すぐに目的の階層へと到着し、長い廊下に並んだ部屋番号を確認しながら歩き続けた。



 自身の部屋に辿り着いた虎鉄。想像通りではあったが、部屋一つとっても高級感漂う内装や調度品の数々が、このホテルの格式の高さを物語っていた。一人用とは思えない程に大きなベッドや、薄暗くそれらしい雰囲気を醸し出す、一般的な家ではまず見ないであろう間接照明。そして開いたカーテンの先、こうした高い場所からでしか見えない、雄大な海と水平線。


 虎鉄はそのベッドに腰かけながら適当にリュックサックと祓魔刀を放り、景色を眺めた。


「すげえな……」


 前回炎鬼妃やおおいぬ様の件があった時に泊まった旅館以上に、ここは文字通り良い所だった。合宿とはいえ、ここまでのホテルにはそうそう泊まる機会はないだろうと、虎鉄は先程凜に言った言葉も忘れて呟いていた。

 それに生徒全員に個室まで割り振られているのだ。他の生徒達は、訓練以外の時間はさぞゆっくりできるのだろうと、虎鉄は思った。


 そう、他の生徒達は。



『ここが私のしばらくの居室なのか? えらく薄暗いし見た事も無い様子じゃ。なんだか落ち着かぬ部屋じゃのう』



 先程からこうした洋風な場所が見慣れぬからか、きょろきょろと辺りを眺めながら付いて来ていた妖狐に、虎鉄は言葉を返した。


「……一応ここ、高級な場所なんだけど……お気に召さない?」


「ぬう、こうもそわそわとしてしまう場所ならば、主様のこぢんまりとした住処の方がまだマシじゃな……この灯りは何故、壁に向かっておるのじゃ? 欠陥か? 造るのに失敗でもしたのかの?」


「そ、それはそういうもんなの! お洒落な雰囲気出す為にそうなってんだよ!」


「これがお洒落……ふむ……人間が考える事は、やはり奇っ怪じゃの……」


「……はぁ……そうかよ」


 人間の美的感性をさらりと否定しながら、壁に着いた照明を不思議そうに眺める妖狐。残念ながら、虎鉄にはこの妖がいるので、一人にはなれないのだ。

 他の誰かと相部屋でない事は、妖狐が四六時中近くにいる虎鉄にとって喜ばしい事なのだが、やはり自身には心が休まる場所など無いのだろうと、虎鉄はため息を吐いた。


 こうして荷物の整理を終えた虎鉄は、黒い竹刀袋に入れた祓魔刀だけを背負い、妖狐を連れて集合場所のロビーへと向かった。


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