第6幕 神を蝕む悪意―終幕



 一日家で療養した虎鉄は、次の日にはいつも通り陰陽寮おんようりょうへと足を運んでいた。


 そして少し早めに誰もいない教室に到着し、窓際の席へ腰かけながら、御岳峠での一件について、考えていた。余りにも様々な事が一気に起きすぎて、虎鉄自身も混乱しているのだ。


 妖狐の力を何故か土壇場で操れた事、おおいぬ様を操る赤い呪力、人型の鬼の襲来。そしてそれが発した『器』と言う言葉の意味。


 家で、そして今考えてみても、殆どが分からない事だらけなのだ。


 ただ一つ、妖狐の力については何となく分かった事がある。


 凜の時も、家原の時も、さかきの時も。青い呪力をまともに扱えた時には、その全てにおいて虎鉄はある決意を胸に秘めていた。


 『守る』と言う決意だ。


 もちろん何故それが力を操るトリガーになっているのかは分からないが、それを知ることが出来ただけでも、収穫があったと言えるものだと、虎鉄は考えている。


 虎鉄は決めたのだ。例え妖狐を殺す為の力であっても、その時が来るまでは、誰かを守る為に力を振るうと。

 その為にも、虎鉄はもっと強くならなければならない。


 炎鬼妃えんきひと名乗った鬼は、自分を狙っていた。

 仮に妖狐と出会った日に襲い掛かって来た巨躯の鬼が仲間なのだとしたら、組織的に虎鉄を狙っている可能性もあるのだ。


 そして何よりも引っかかる、『器』という単語。


 今虎鉄の周りで起こっている事件が全てそれに関係している物だとしたら――――



『……主様、また何か難しい事を考えておるようじゃの? 昨日からずっとではないか?』



 そうして考え込んでいる虎鉄に、隣でふわふわと浮かんでいた妖狐が話しかけて来た。

 教室には誰もいないので、虎鉄も小声で言葉を返す。


「まあな、色々あったし。それに、お前の力の扱い方も少しは分かってきたかもしれないしな」


『かっかっか! 言ったであろう! 主様の心意気次第じゃとのう!』


「それはそうなんだけどさ……それじゃ、お前を殺すときには力を発揮できなくなっちまうぞ」


『うん? 何故じゃ?』


 虎鉄が言いにくそうに発した言葉に、妖狐は不思議そうに首を傾げている。

 意を決し、虎鉄は視線を逸らしながら妖狐に理由を話した。


「何故って、その……俺は、お前の事を、その、い、良い奴だと、思ってるからだよ……」


 その言葉を聞いた途端に、妖狐が憎たらしい表情で虎鉄の視界に強引に入り込みながら嗤う。


『むふふ、主様はそーんな事を思っておったのか……? い奴じゃのう、ほれほれ?』


「わ、笑うなよ……! 本当に思ってるんだから……!」


『なんじゃ? つんでれと言うやつか?』


「……張り倒すぞ……! ったく……」


 妖狐のいつものいじりが始まり、ため息を吐きながら適当に返す虎鉄。

 今に始まったものでは無いので、もう完全に慣れたものだ。


 視線を外に向ける虎鉄。開け放った窓から、涼しげな風が吹き込んでいる。

 虎鉄はそうして再度真面目な表情で、妖狐に話しかけた。


「……とにかく、俺はお前を殺す為に、力を借りる契約をした。だけどそれまでは、誰かを守る為に、俺は戦う。協力してくれよ?」


『もちろんなのじゃ! 私は主様の式神なのじゃからのう! かっかっか!』



 頼もしい妖狐の言葉に、虎鉄は微笑んだ。

 そうしていると外には登校中の生徒がちらほらと見える様な時間になっていた。



 そして横開きの古いドアが開かれ、聞きなれた声が虎鉄の耳に飛び込んできた。



「あー! 虎鉄いたー! どうして何も連絡してこないのさ!」


「ぃよう! なんか大変だったらしいな御門! 初めてなのにとんだ災難に見舞われたなぁっはっはっはっは!!」

 


 凜と、鬼一が、虎鉄の姿を見た瞬間に声を掛けてきた。

 二つに結った黒髪を揺らしながら、凜はずかずかと虎鉄に歩み寄る。どうやら不機嫌な様だ。

 自身のスマートフォンのメールボックスを確認しながら、虎鉄は返事を返した。


「えーと、それは……うわ、マジだ……見てなかったって言うか、忘れてたって言うか……スマン」


「私、土曜日からずーっとメールしてたんだよ! 忘れるなんて酷いよ! あんなこともあったんだし……」


「……そうだな」


「まあいいや、無事でよかったよ虎鉄! 私本当に心配してたんだよ?」


「いいじゃねえか倉橋ちゃん! あんなの見た日にゃ、誰だって死ぬほど怖えに決まってるだろうしな! 良く逃げれたって褒めるべきだぜ?」


 あんなのとは、おおいぬ様の事だろう。

 出現した事だけは伝わってはいるものの、虎鉄達が関わったと言う事はきちんと伏せられている様だった。


 そうして虎鉄に心配の言葉を掛ける、凜と鬼一。守りたかった、いつも通りの時間。

 虎鉄は微笑みながら、二人に感謝を伝えた。



「……心配してくれて、ありがとうな」


「ほんとだよ? もー」


「いいって事よ御門! しっかしそれにしてもだぞ、あのデカい狼。昨日聞いた話では妖じゃあないって事だが、それにしてもヤバかったな。俺ん家からでも見えたぜあれ」


「あ、ああ。俺も見てたけど、確かにデカかったな……」


「何だったんだろうねー、あれ」



 そうして話していると、急にもう一つの人影が教室の入り口に現れた。

 小柄なそれは栗色のツインテ―ルを揺らしながら真っすぐに虎鉄の席へと向かって来て、不自然な程にぎくしゃくとした笑顔を、長い前髪の奥から虎鉄に向けた。



「お、おおおはようございます!! こ、……!」


「あ、ああ、おはよう、家原……」



 家原が、もじもじと恥ずかしそうに虎鉄に挨拶をしてきた。

 その姿に、虎鉄以外の二人が驚愕の表情を浮かべている。

 そして凜が虎鉄の机に手をつきながら、大きな声で叫んだ。


「こ、ここ、虎鉄君って……!? 虎鉄!! 桃香ももかちゃんと、いいいつの間にそんな仲良くなったの!?」


「ああーいや! これはだな……!」


 言いよどみ、あたふたとする虎鉄の元に、家原は息がかかる程に近づき、そのまま耳元でこそりと呟いた。




「……あの事は、二人だけの秘密……ですもんね?」




 そうしてそのあとは何も言わず、家原は俯きながらそそくさと自分の席へと走って行った。

 視線を戻すと、何故か虎鉄を睨みつける凜の姿が見える。


「ちょ、ちょっと虎鉄! 今何話してたの!! そもそもどうして桃香ちゃんと仲良くなってんの!!!」


「な、なんでそんなに怒ってんだよ……!」


「お、怒ってないし!! 虎鉄のバカ!!」


「んな――――!? い、いや、その――――」


「ふーんだ!!」


 何故怒っているのかが分からない虎鉄は、適当な理由をつけて説明を繰り返して行くが、尚もそっぽを向いたまま頬を膨らませる凜。



 そんな凜の姿を見て、虎鉄は笑っていた。



 こうして始まる、新しい日常。

 この日常を壊す悪意と、虎鉄は戦う。

 力強い決意を秘めた虎鉄は、久々に腹を抱える程に笑えた気がした。







 後になってから、榊が虎鉄にその後の話をしてきた。



 あれだけの騒ぎが起こりながら、別の陰陽師が現場に到着したのは、虎鉄達が去ってから一時間も後の事だったらしい。中堅の陰陽師は恐れからか誰一人として向かわず、数人のベテランだけが遠方から駆けつけて来てくれたそうだ。


 遠目からでも確認できたらしい赤い呪力についても、良く分からない、とだけその陰陽師達に説明したそうだ。

 そうして結局、おおいぬ様も自分からそのまま消えて行った、という事で報告されている。


 詳しくは誰にも伝えられなかったこの事件は、数日も経てば皆の記憶からは忘れ去られて行った。




 ただ数人、一部の陰陽師を除いて。



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