第6幕 神を蝕む悪意―4



「――――さ、さかきさん!? どうしてまだここに!! それに、その狼は――――」


 この様な危険な場所に、誰かが残っているとは思ってもいなかった虎鉄は思わず驚きながら叫んでいた。

 榊と、その隣に四足で立つ黒い狼がそれに気が付き、こちらに振り返った。


「――――御門さん!? 何故あなたが――――」


 そして、目に見える程に鋭い敵意をこちらに向けながら、錫杖しゃくじょうを前に突き出してきた。



「どうして、妖があなたと? 何が目的ですか!」



 黒髪を乱れさせ、殺意と共に放たれた言葉。

 妖とは、妖狐の事を言っているのだ。

 その姿は昨日見せていた少し抜けた雰囲気とは違い、張り詰められ、凛々しい気配を漂わせると同時に、何か思いつめたようにも見えるものだった。


 そしてその理由を察した虎鉄は立ち止まり、慌てながら敵意の無い事を示して見せた。


「ま、待ってください! こいつは、俺の式神なんです! 俺は、あの狼を止めようとして、ここに来たんです!!」


「戯言を――――!」



「まあ待て、明子あきこよ。あの者共に敵意が無い事は、我でも分かる事だ」



 そうして尚も距離を保ったまま虎鉄達を警戒する榊に、突然隣にいた黒い狼が、ごく低い、その威厳を感じさせるかの様な声で話しかけていた。


「しゃ、喋った!?」


「――――お父さん……」


「お父さん!!?」


「あの者達が来てから、狂った我が手足達がこの場に立ち入らなくなった。何か術を用いているのだろう」


 度重なる驚愕の展開に驚く虎鉄をよそに、榊は錫杖を下ろし、そのまま向けていた敵意を鎮めて行った。

 その様子を見た妖狐が、何かを思いついたような妖しい表情で声を発した。



「――――なるほど、貴殿はここの主じゃな?」



 そうして理解が追いつかない虎鉄を置いて、妖狐と黒い狼が会話を始める。


「如何にも。我は大狗真神おおいぬのまがみと申す」


「ほほう、貴殿、あの暴れ回るいぬと同じモノじゃな」


「我はと共にこの社に身を下ろし、この地一帯を守護する者だ。お主は高名な妖と見受けられるが?」


「良い目じゃのう! 私は偉い妖なのじゃ!! かっかっか!」


 この地の土地神なのであろう黒い狼と、それが発した言葉に誇らしげに嗤う妖狐。微妙に会話が弾んでいるようにも思える。

 呆けた顔をした虎鉄に、昨日と同じ様に無表情の榊が歩み寄りながら話しかけて来た。


「御門さん。今は、一刻を争います。ここで起こる事は、どうか他言無用でお願いします」


「あ、あいつを止める手段があるんですか!?」


「私がここで、一族に伝わる技、『魂鎮たましずめ』を行います。これは、です」


「な、なんだって!?」


「御姿を現すはずの無いおおいぬ様が、何者かにより操られ、あのように厄災をもたらさんとしております。先日からの異常も、恐らく、あの異様な力が原因なのでしょう。秘儀を以て、今からそれを取り除きます」


 呪術。榊が発した言葉は、到底信じられる物では無い。

 だが、その目は本気だ。それ程の技を以てして、やっとあの純白の大狼と、それを縛る赤い呪力を開放できると言う事なのだろう。

 虎鉄は自身が使役する妖狐に視線を向けながら、言葉を返した。


「わ、分かりました、もちろん誰にも言いません。こっちだってを式神にして連れてるんですから」


 その言葉に榊は無表情で頷き、虎鉄に背を向け祭壇の中央にゆっくりと歩きながら淡々と言葉を紡ぐ。


「そちらの秘密については、良いのです。どの道誰も知り得ぬ事。さあ、あなたのお陰で、眷属も消え、祈祷の準備は済んでおります。御門さんは外へ」


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 呪術って事は……何かを捧げる必要があるんじゃないですか!? 一体何を――――」



「それは、です」



 振り向く事もせず、流麗な声で唐突に放たれた言葉。尚も虎鉄は耳を疑った。


「わ、私って……死ぬ気って事なんですか……!?」


「はい。災いがある度に、榊家は代々こうして、人柱ひとばしらを立てて来たのです。人が持つ呪力、その全てを用いる呪術です。今回が、私であっただけです」


「呪力の弱い私でも、こうして役に立てるのです。その為だけに、私は榊の名を受け継いでのですから」


 そうして祭壇の中央と思われる場所で立ち止まった榊はやっと虎鉄に振り返り、さも当然かの如く呟く。完全に、虎鉄には理解できない言葉だった。

 その感情の薄い表情からは何も読み取れない。


「さあ、早く離れて下さい。祈祷の邪魔になります」


「そんな事――――」


 虎鉄には理解できない。大勢を救う為であっても、そのせいで誰かが死ぬ。


 馬鹿げている。そんな事が、あっていい筈が無い。


 もはや反射的とも呼べる程の早さで、虎鉄は叫んでいた。



「――――そんな事、させねえ!!」


「――――み、御門さん!? 何を!?」



 虎鉄は驚きの表情を浮かべる榊を左手で押しのけ、儀式場の中央に立った。

 何故かは分からない。だがこの場所が人柱を立てる為の場所なのだと、そしてこの呪術に必要なのかを、虎鉄は何となく理解できていた。



 虎鉄は無理矢理に不敵な笑みを浮かべながら、傍にいる榊に笑いかけて見せた。



「俺が、代わりにやる。ようはここに人間と呪力がいいんだろ? だったら、あの式神の力を借りて、ありったけ注ぎ込めば発動する筈だ!!」


「い、いけません御門さん! そんな事が出来る訳が――――」



「――――少年。やってみるが良い」



「お、お父さん!?」


 虎鉄を退けようとした榊を、黒い狼が荘厳な声色を以て制止させた。

 そしてその高貴なる者だけが持つであろう、鋭い眼光を向け、虎鉄に語り掛けて来た。


「我も、明子を人柱に用いるのは本意ではないのだ。例え拾い子であったとしても、あれは我の娘なのだ」


「そこの妖と少年には、それだけの力がある。やってみるが良い」


「――――任せてくれ!!」


 その声には人間が持つ物と同じ、優しさが含まれていた。虎鉄はその意思を受け取り、自信をもってそれに答える。

 そして祓魔刀を抜き放ち、いつの間にか傍に寄り添いながら妖しく嗤う妖狐に目を向け、決意を新たに一言呟いた。



「貸して貰ってばっかだけど、頼む……!」


「かっかっか! 主様とおれば本当に退屈せずにすむのう! 安心せい、私は主様の式神じゃ! それが主様の命とあらば、お安い御用なのじゃ!」



 虎鉄の短い一言に、ガッツポーズをしながら答えた妖狐。

 これ程頼もしい式神はきっと他にはいないだろうと思えるほどに、力強い言葉。

 虎鉄は自然と頬が緩んでいた。妖狐が力を貸してくれるならば、きっとどんな事でもやり遂げることが出来る。


 そして少し離れた視線の先では、尚も虎鉄を止めようとする榊に、黒い狼が歩み寄りながら話しかけていた。


「お父さん! いけません! 関係のない者に、命を捧げよなどと――――!」


「明子。心配する事は無い。は、お前が思っているものではない。お前は代わりに、我と共に呪業じゅごんを唱えるのだ」


「――――わ、分かり、ました……」


 黒い狼の言葉に、俯きながら答える榊。

 儀式場から離れ、錫杖を足元に置きながら、印を結び始めた。


 同時に周りに並べられていた供物が輝きを増し、広い拝殿を真っ白に照らし始める。

 行使される、『魂鎮め』の名を冠す、禁じられた呪術。


 虎鉄は自身も呪文を唱え、その身に青い呪力を顕現させながら祓魔刀を床に突き立てた。


 目の前で失われる命を、虎鉄は絶対に諦めない。その為の力を今、再度開放する。



《急急如律令――――!!》


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