第6幕 神を蝕む悪意―2



 山上に鎮座し、その上半身だけを岩の淵から覗かせる、白い大狼だいろう

 幾度となく上げられる咆哮は、荘厳そうごんで、どこか物悲しい感情を叫んでいる様にも聞こえる。


 そして全身から絶え間なく放たれる、純白の呪力。穢れ無き無垢な白が周囲にまき散らされて、辺りの森一帯を明るく照らし出している。

 しかしそれに混じり、邪悪な気配を漂わせる赤い呪力が突き刺さった角から溢れ出し、霧にも似た形状を保ちながら、交わる様に舞っている。


 虎鉄は、あの純白の呪力を知っている。いや、見たことがある。


 昨日、さかきに連れられて足を踏み入れた神社。その中で佇む、巨大な扉。


 あの純白の呪力は、あの扉から漏れ出していた物と同じだ。

 神が放つ呪力。途方も無い威厳と神秘性を併せ持つ、人が触れる事は決して許されぬ程に高貴な力。



 あれは、神だ。現世うつしよに決して姿を現すことの無い、神話の生物。



 呆気にとられた虎鉄達は、ただその姿に畏怖しながら、見上げるしかなかった。


「ど、どうなってんだよ……あれ……!?」


 虎鉄の隣ではまたも言葉を失った家原が立ちつくしている。

 そんな中、妖狐が上空を睨みつけながらぼそりと呟いた。



「……あの赤い力、恐らく――――」



 そしてその呟きと共に、見上げていた上空の様子が変わった。


 大狼を取り囲う様にして、突如二つの点がぶつかり合う。

 その正体を確認する為に、虎鉄は目を凝らした。


 空を走っているのは狼だった。純白を纏う物と、どす黒い赤を纏う物。


 纏う色が違うだけで、姿形は同一の狼達が、互いに交差し、ぶつかり合っている。弾けたそれは明るく輝き、命を燃やす花火の如く消えていく。

 純白が大狼を守る様に、そして赤はそれに対抗する様に、数えきれないほどの光の点が、御岳峠みたけとうげの空を駆けまわっていた。



「――――恐らく、あれをようじゃの」



 確証は無かった。だが、すぐに発せられた妖狐の言葉により、虎鉄はあの有様が引き起こされている理由を、理解することが出来た。

 先程虎鉄達に襲い掛かって来た狼や、鎮座する純白の大狼に突き刺さる様にして生えている角。



 いや違う。何者かによって本当に突き刺されたのだろう。



 それが内包する赤い呪力がを狂わせて、操られているのだとしたら。

 虎鉄達を襲った狼達も、それらと同一だった可能性もある。



 そしてこの状況を引き起こした、何者か。

 虎鉄はやっと、先程祓った人型の鬼が、最期に残した言葉を思い出した。



 ――――おきみやげ、あげる。


「――――こ、これが、置き土産だって言うのかよ……!!」



 戦慄する虎鉄。

 あの人型の鬼は、妖を、そして神をも操る恐ろしい力を持っていたのだ。


 そして神はそれを拒んでいる。今も抵抗し、自身の眷属なのであろう純白の狼達を以て、それに挑んでいるのだ。



 何故、鬼は虎鉄達の前に現れ、このような事をするのか。

 もちろん、理由など虎鉄にはさっぱり分からない。



 だからと言って、この状況を見過ごす訳にはいかない。



 この御岳峠から見下ろせるのは、煌びやかな明かりが無数に輝く、関東平野だ。

 あの強大な力を持った大狼が赤い呪力に呑み込まれ、恐ろしい妖となってそこに降り立ったならば。

 途轍もない災厄を巻き起こし、多くの命が奪われるだろう。


 そんなことはさせない。誰かを守る為に戦うと、虎鉄は誓ったばかりなのだから。


覚悟を決めた虎鉄の横に、妖狐がふわりと並び立った。


「――――主様、を止める気じゃな?」


「ああ……どうすればいいか、分かるか?」


「流石の私でもそれは分からぬ。それでも行くのかのう?」


「当たり前だ――――!!」


 張り詰めた声色で返した虎鉄を、妖狐がけたけたと笑う。


「良いじゃろう。私は主様の式神じゃ。思う存分、力を振るうが良いぞ?」


「……すまん、助かる……!!」



 妖狐に心からの礼を告げた虎鉄は、尚も固まったままの家原に向き合い、この後の事を伝える為に話しかけた。


「……家原、お前はここから離れろ。あれは多分、神社にいた神様だ。どうすればいいのか分かんねえけど、俺はこのまま神社に向かう。だから――――」


 そんな虎鉄の言葉に、家原は我に返りながら返答した。


「――――私も……私も、一緒に行きます!」


「家原っ! 危険なんだ!! 本当に死ぬかも知れないんだぞ!? そんな所に連れて行けるわけないだろ!?」


「危なくても、構いません! もう、逃げないって決めたんです! 私は――――」


 言葉を詰まらせた家原。そして大きく息を吸いながら、真っ直ぐに虎鉄を見つめ返してきた。

 その表情に浮かぶのは、決意だった。



「――――私は、陰陽師です! 妖を前に、逃げる訳にはいかない……! 私も、戦います――――!!」



 虎鉄に、その決意を捻じ曲げることは出来ない。

 つい先ほども、この同級生の少女に命を助けられたばかりなのだ。いつも教室で見せていたあの弱々しい表情は影に隠れ、殆どの陰陽師が持ち合わせていないであろう、純粋な想いをたたえた力強い感情を虎鉄にぶつけている。


 虎鉄は真っすぐに見つめ返しながら、ゆっくりと頷いた。

 守って、守られて。そうして人は強くなっていくのだろう。


「……分かった。だけど、危ないと思ったらすぐ逃げてくれ。頼む……!」


「――――はい! 一緒に、行かせてください! 必ず皆さんをお守りします!」


 そして決意を胸に秘めた虎鉄達は、明るくなった森の中へと駆け出して行った。


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