第6幕

第6幕 神を蝕む悪意―1



「――――み、御門、君……!!」


 森の奥で、ただ息を切らして片膝で気を保っていた虎鉄の背後から、家原の声が響く。


「はぁ……はぁっ……!」


「い、家原……」


 走って来てくれたからか、それとも先程見せた結界の発動に呪力を大量に使ったからか。駆けつけて来た彼女もまた、膝に手を突き、息を切らしていた。

 短い栗色のツインテ―ルが揺れ、長い前髪に隠れたその表情は見えない。


 疲労でまともに動かない頭と口を何とか動かし、虎鉄は先の約束を、なんとか果たしたと家原に告げる。


「……あ、安心、してくれ……さっきの奴は、俺が祓ったから、もう大丈夫――――」



「――――大丈夫、なんかじゃないです……!!」



 虎鉄の言葉を遮る様に、俯いたままの家原が叫んだ。

 涙で濡らした顔を上げた家原はその大きな瞳を虎鉄に向け、尚も掠れかけた弱々しい声で言葉を続けた。


「あんな、怖い妖に立ち向かって……! 御門君、死ぬかも知れなかったんですよ……? どうして、あんな無茶なことを……!?」


「家原……」


「御門君は、全然、大丈夫じゃないじゃないですか……! こんなにぼろぼろになってまで……そこまでして、私なんかの為に……!」


 先程自分に襲い掛かった恐怖も忘れ、ただ虎鉄を心配し、再度俯きながら涙を流す家原。虎鉄は返答に困り、ただ涙を流す家原の姿を見つめる事しか出来なかった。


 そんな彼女の後ろ側、暗い木の陰から、妖狐がゆっくりと顔を出しながら、虎鉄達に向かってきていた。


「かっかっか。主様も罪な男よのう? こうも簡単に女子おなごを泣かすとは……全くけしからぬ男じゃ!」


 そして憎たらしい笑顔と共に、尚も片膝で立つ虎鉄を見下ろしながら話しかけて来る。虎鉄は疲れも忘れて、その傲慢な態度に思わず顔をしかめる。


「ほれ、泣かしたのなら、優しく慰めてやるのが男の責務じゃろう? ほれほれ?」


 更に追い打ちをかけるかの様に途轍もなく意地の悪い言い方で、虎鉄の頭に肘を当てながら話す妖狐。だが、その言葉はもっともらしい物だ。

 奮われせられた虎鉄は祓魔刀を支えになんとか立ち上がり、家原の傍で向き合った。そして努めて優しい表情を作りながら、語り掛ける。



「――――ありがとう、家原。守るなんて言っといて、結局最後に助けられちまったな……」


「み、御門君……!」



 虎鉄の言葉に顔を上げる家原。

 彼女の涙を作り出したのは、虎鉄が弱いからだ。何物も打ち倒せるほどの力があれば、こんなに悲しそうな顔をさせる事も無かったのだと、虎鉄は自らを責める。

 そして、作り物ではない笑顔を浮かべながら、家原の小さな頭に手を置いた。


「――――まあ、なんだ? とにかく俺は、自分の意志で勝手にあいつと戦ったんだ。家原が無事なら、それだけで良いんだよ。本当に、良かった」


「――――ぐすっ……ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……!」


「……こういう時はありがとうって、言ってくれた方が嬉しいんだぞ?」


「そんな事、簡単に言えないです……! 私の、せいで……!」


 虎鉄の言葉に、更に涙をあふれさせる家原。その様子を見た妖狐が、呆れたように眉をひそめながら声を発する。


「――――主様は、どうしてそうも臭い台詞を簡単に吐けるのかのう……天然か?」


 そうして意味の分からない言葉を告げられた虎鉄は軽く妖狐を睨みながら、家原の気持ちが落ち着くまで傍に居続けた。





「――――御門君、もう、大丈夫、です……ありがとう……」


「――――まあ、はは………いやー、なんか、さっきもこんな感じだったよなー……!」


 静けさの中、唐突に発せられた感謝の言葉に急に照れ臭くなった虎鉄。家原から素早く距離を取りながら、誤魔化す様に軽口を叩いて見せた。


「まあ、さっきも言ったけど無事でよかった! うん! 戦った甲斐ってもんがあったよ! ははは……」


「……本当に、無茶なんですから……ふふ……!」


 そして涙を止め、初めて虎鉄に笑顔を見せた家原。先程まで戦いの最中にいたとは思えない程に可愛らしい仕草に、虎鉄は更に照れ臭くなるばかりだった。


 顔を赤くしている事がバレないよう視線を逸らした虎鉄に、無言を貫いていた妖狐が何故か頬を膨らませ、半袖の制服の袖を引っ張りながら話しかけて来た。



「……の、のう、主様よぅ。力を貸してやった私にも、少しくらい謝辞をかけてくれてもよいのじゃぞ……?」



 忘れられていると感じたのか、妖狐は少し悔しそうに虎鉄を見つめている。


「あ、ああ! そうだよな! はは、お前もありがとうな! うん、おかげで助かったよ……!」


「……てきとーに考えた礼じゃな……」


「そ、そんな事無いって! 本当にありがとう! 感謝してるよ!?」


 癇癪かんしゃくを起こしそうな妖狐に、虎鉄は慌てて感謝の言葉を並べて見せる。

 しかし尚も妖狐は不服そうな表情を崩さないままだ。

 そんな二人の様子を見た家原が、はっとした様子で先程から思っていたであろう疑問を投げかけて来た。


「あ、あの! さっきからずっと、思ってたんですけど、あの青い光は……? それに、その……あ、妖、なんですよね……?」


「き、きつねさん!?」


 家原が発した、虎鉄からすれば滑稽とも思える妖狐の呼び方。思わず笑いそうになったが、なんとか堪えてみせた。


「……きつねさん……ぷっ」


「わ、笑うでない主様!? おぉい小娘!! あれ程言ったであろう!? その珍妙な呼び方は止めるのじゃと……!!」


 しかしぽかんとした妖狐の顔を見てしまい、すぐに堪え切れなくなってしまった。

 思わず吹き出した虎鉄に、妖狐は地団駄を踏みながらぷんすかと怒っている。

 虎鉄はしまったと思いながらも、妖狐から視線を外し、まずは家原の疑問に対して答えた。


「え、えーっとだな……このは、俺の仲間だよ。さっきの青く見える呪力も、こいつの物なんだ」


「お、おのれ主様!!」


「あ、妖が仲間……? どういう事なんですか……?」


 虎鉄に掴みかかる勢いで迫る妖狐と、尚も説明を求める家原。

 このまま話していては長くなるだろうと思い、虎鉄は会話を切り上げる様にして次の話題を振った。


「と、とにかくあれだ! またあんなのが襲ってきたら敵わねえから、さっさとここから離れよう! ゆっくり説明できる場所まで行けたら、また話すよ……あんま詳しくは言えねえけど……それまで少しだけ、待ってくれるか?」


「……分かりました。そのきつねさんも、きっと悪い妖じゃないですもんね……!」


「……小娘めぇ……後で覚えておるのじゃぞ……」


 

 こうして家原の了承を得て、御岳峠から一度遠ざかる事に決めた虎鉄。

 少しだけ疲れの取れた足を動かし、進みだそうとする。



 しかしその瞬間、地震にも似た衝撃が、三人の足元から襲い掛かった。



「な――――なんだ!? また、かよ!?」


「ま、また、何か来るんですか……!?」



 大地が音を立てて、大きく揺れ始める。

 再三に渡る、妖の襲撃を予想した虎鉄。

 しかし、またも高まる周囲の呪力は、先程までに感じていた物とは違う物だ。


 妖の物でもない、鬼の物でもない、正体不明の、強大な力。


 そしてそれは遥か遠く、山上から一気に放たれ、反射的に虎鉄達の視線を奪い取った。



 響く、高らかな咆哮。振動と共に現れた、巨大な妖――――



 ――――いや、違う、あれは……!?



 山上に現れたのは、巨大な、白い狼。全身から振り撒く純白の呪力が月よりも明るく、暗い森を昼の様に照らし出した。


 そしてその額にはまたしても、が突き刺さる様に生えていた。


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