第5幕 妖しき襲撃者―終幕



 空中で、暗く青い呪力が直線的な軌跡を描き、それを激しく燃え盛る赤い炎が追いかけている。

 幾度となく交差する二つの青と赤。爆発にも似た音を響かせる度に青が地面に弾き出され、また空中へと向かって行く。


 この異様な世界に連れ込まれてから、目まぐるしく変わる眼前の光景。

 頭で上手く理解が出来ない。現実離れしすぎている。これは、夢?

 そうした考え方が、家原が逆に冷静さを取り戻す為の手助けをしてくれていた。



「――――あ、あれが、御門君……?」



 座り込んだまま、家原はただ宙を見つめていた。

 その視線の先には、何度地に堕とされても、あの恐ろしい炎の壁に果敢に立ち向かう、クラスメイトの男の子がいる。


 そして、先程から自分に寄り添う様に立っている、白い、人の姿をした狐。

 上空から降りかかる大量の火の粉が、彼女が腕を軽く振る度に周りに散って行く。きっと、この人が自分を守ってくれているのだろう。



 やっと、言葉を考えられる程度に思考が回復した家原は、更なる状況の理解の為にも、白い服と白い髪で身を包んだ、白い狐の後ろ姿に話しかけてみる事にした。


「――――あ、あの、きつね、さん? あなたは、御門君の仲間……なんですか?」


 恐る恐る話しかけた家原に白い狐は振り返り、怖い目つきで睨みつけて来た。


「……なんじゃ、小娘? 見れば分かるであろうに。私は主様のめいで、そなたを守っておるのじゃ。全く! 主様は私を何じゃと思っておるのか……」


 向けられた、この世の全てを見透かす程に青い瞳。一目で、この白い狐が人間ではなく、妖なのだと分かった。一瞬怯んでしまった後、家原は掠れた声で言葉を紡いだ。



「あ、あの! その……あ、ありがとう、ございます。私を、守ってくれて……!」


「んな……!? か、感謝される事ではない! 主様がそなたに付けと申したから、仕方なく? ここにおるだけなのじゃからな!」



 私の言葉に腕を組み、顔を赤くしながらそっぽ向く白い狐。

 なんだか、人間みたいだった。それを見て、先程怖いと思った印象は全く無くなっていた。

 この妖は、きっとやさしい妖なのだ。そう思った家原は、この異様な空間で、自然と口元が緩んでいた。


「そ、それになんじゃその呼び名は!! 私は、偉い妖なのじゃ! 『きつねさん』では威厳を保てぬ! もっと良い物に――――」


「……ふふ……! きつねさん! 本当に、ありがとう……!」


「――――こ、小娘貴様!? 私を馬鹿にしておるのか!? むきー! その気になれば、何時でもそなたを串刺しにでもしてやれるのじゃぞ!!」


「きつねさん、御門君の、お友達なんですよね? それなら、きっとそんな事しないです……! 分かってますよ……!」


「うぬぬ……なんなのじゃこやつは……もう、知らぬ……!」


 そして可愛らしく尻尾をばたつかせながら振り向いた、白い狐の向こう側。尚も激しい戦闘を上空で繰り広げる、青と赤の煌めきに視線を向けた。



 殆ど話したことの無かった、クラスメイトの男の子。

 最近少しだけ明るくなった彼の事を、いつも教室の隅っこでなんとなく見ていた。どんなに周りから馬鹿にされても決して怒らず、幼馴染の友達の為だけに初めて怒った、あの表情も。

 そして、先程自分に向けた、あの優しい笑顔も。


 ――――私は知っている。今もきっと私を守る為だけに、あの炎を纏ったおぞましい妖に立ち向かっているんだ。



 きっと自分の実力ではあの場所に向かい、一緒に戦うことは出来ない。それでも座り込んだまま、ただ見ている訳にはいかない。


 弱い自分を変えたくて、自信が欲しくて。家原はこの御岳峠みたけとうげでの御祓おはらいを受けたのだから。


 家原は震える足で立ち上がり、炎を操る人型の鬼と、青い閃光を全身から放つ彼を視界にとらえる。

 そして再度鞄から、祓魔式の刻まれた紙札を手に取った。



「私だって、私だって陰陽師なんです――――!!」





「殺ス! 殺ス!! 殺ス殺ス殺ス殺ス!! 殺シテヤル!!!」


 炎鬼妃えんきひと名乗った、炎を操る鬼。

 無茶苦茶に振るった腕の動きに連動して、取り囲んでいた炎が一斉に地に立つ虎鉄に襲い掛かる。


「――――つぅ!!?」


 迫り来る、炎の壁。

 それは最早あやふやな呪力ではなかった。完全な実体を持ち合わせており、目を覆う程の赤い輝きと共に、虎鉄の肌を焦がす灼熱の温度をぶつけて来る。


 虎鉄は何とか斜めに跳躍し、それを避け、怒り狂う炎鬼妃に向かって青い刀を振りかざそうとする。

 しかしその刃が届く事は無く、炎鬼妃により再度振るわれた炎の壁が、虎鉄の眼前に押し寄せた。


「あっちぃ――――くそ!!」


 祓魔刀を介して放たれた、妖狐の青い呪力が炎に孕まれた呪力を吸収、しかしそれを物ともせず、絶え間なく押し寄せる高温の濁流。


 完全に周囲を囲まれてしまう前に、虎鉄は逃げる様に下方向へわざと体を弾き、木の太い枝に着地する。そしてそれを追い、再度大地に炎が広がる。


「――――これじゃあ、きりがえじゃねえか……!!」


「クソ人間ガアァ!! サッサト灰ニナリヤガレエェェ!!!」


 見上げた空中では尚も炎が生き物の様に踊り狂い、振りまいた火の粉が周囲の大地や草木を焼き尽くしている。


 そんな炎の隙間から見える、炎鬼妃の姿。

 炭化したかの如く真っ黒になった肌に、溶岩を思い起こさせる無数の赤い亀裂が走っている。

 射殺す様な眼差しは絶えず鋭い光を放ち続け、虎鉄だけを見据えていた。

 そして亀裂が集まる中心点、赤く染まった角が、脈動するかのように規則的に輝いている。


 怒りと炎の体現者と言わんばかりの、おぞましい姿だ。


 だが、虎鉄の闘志はまだ消えていない。

 自分よりも遥かに強いであろう妖狐に、家原の守りを任せたのだ。例え相打ちになったとしても、妖狐が約束を果たしてくれる。



 ――――だから思う存分、力を出し切れる。出し切って見せる!



「まだまだぁぁぁぁ!!!」


 虎鉄は吠え、空高く跳躍する。

 傷口を塞ぐのにも限界があるのか、呪力を籠めた脚からは血が噴き出ている。


「死イイィィィィィネエエェェェェェ!!!!」



 だが虎鉄はその足を止めない。不快なまでに甲高い叫び声と共に襲い来る炎の壁に立ち向かい、ぎりぎりで逃げてはまた走り、何度でも青い刀を振り続ける。


 その最中、虎鉄は一つの事実に気が付いた。青い刀が、呪力を増している。

 勘違いではない、それもその筈なのだ。



 あの莫大な呪力を内包しているであろう炎を、幾度となく吸収する妖狐の力。

 虎鉄の体では溜め込みきれまくなった莫大な呪力が、腰から伸びた狐尾と祓魔刀を介して、先程よりも遥かに強い勢いで放出され始めていた。



 そして感覚が教えてくれる。これ程の力ならば、あの炎に



 確信にも似た一瞬の判断、虎鉄は籠めうる最大限の呪力を以て、捨て身の特攻を仕掛ける為に空へ跳んだ。

 青い刀を体の前に両手で構え、一気に勝負を決めに行った。


「行くぞおおぉぉぉぉぉ!!!」


 空から見下ろしている炎鬼妃もそれを察知し、両腕に周囲一帯の全ての炎を瞬時に集め、左右から大きく振るって挟み込むように壁を生成し、虎鉄を捉えんとした。


「キキキィィィィィィキィィィィィィィァァアアアアアアア!!!」


 青と赤の閃光が今、まさに衝突する、その瞬間――――




 ――――虎鉄の周囲、ごく狭い広さを囲う、ひし形の白い箱が生み出された。




 いや、違う。これは祓魔式。対象物を守る、結界術式だ。



 視界の端、立ち上がり両手で印を結んだ家原の周りに、大量の紙札が白い光を放ちながら浮遊しているのが見えた。



 先程まで虎鉄を取り囲んでいた灼熱の温度が遮断され、温かさにも似た感覚が包み込んでくれている。



 直後に衝突する筈だった炎の濁流が、その結界に沿って背後へと流れていく。



 そして数秒と経たずして、虎鉄を守る祓魔式は高い音を立てながら弾け飛んで行った。



 家原によって作られた、たった数秒の結界。

 だがそのお陰で、捨て身の特攻を仕掛けた虎鉄は殆ど火傷を負う事も無く、炎の壁を一気に抜けることが出来た。


 その先に見えたのは、自身が作り出した炎の壁のから飛び出した虎鉄を見て、初めて見せる唖然とした表情を浮かべる炎鬼妃。


 虎鉄は、この一瞬の隙を無駄にはしない。

 上段に青い刀を構え直し、渾身の勢い、速さ、そして呪力を携え振りかざす。



 ほとばしる、夜よりもあおい閃光。



《喰らい尽くせええぇぇぇぇぇ!!!》



 自身で集めうる、全ての呪力を祓魔刀に籠め、どす黒い青を炎鬼妃に真上から叩きつけた。


 人の身では聞き取れない程の高周波を口から発しながら両断された炎鬼妃。

 炭化した体は青い呪力に毒されて、再生する事無く切り口がぐちゃぐちゃに腐り果てて行く。


 術者を失ったからか、周囲を燃やし尽くしていた炎は全て消え、同時に囚われていた『青い世界』も消滅して白い月が空に見えていた。


 そうして真っ二つになった黒い肉塊と共に、虎鉄は森の中へと落ちて行った。




 転がりながら辛うじて衝撃を受け流し、地面へと着地した虎鉄。

 何も見えない、暗闇の中。急激に明るさを失った景色に、狭まった瞳孔が一気に開き始める。


 同時に戦いの最中、あの炎に煽られ受けた傷はどんどんと痛みを増して行く。

 疲弊した体が一気に倦怠感を増して行き、上手く立ち上がれない。抑えきれなくなった青い呪力も、殆どが空気中に放出されて行った。


「――――はぁ……はぁっ……!」


 力を失った祓魔刀を杖に、なんとか片膝を立てた姿勢を保つ虎鉄。

 その視線の先では、角もろとも真っ二つにされて尚、憎しみと怒りを放つ炎鬼妃だった肉塊がうごめいていた。


 妖狐の毒により腐食したそれは、腕なのか脚なのかすらも分からない何かを動かして、ずるずると虎鉄に這いずりながら近づいている。



「――――ニん、ゲン。くソ……にんげん……」


「ま、まだ、生きてるって、言うのかよ……!!」



 既に虎鉄も息絶え絶えで、最早戦うことは出来ない。言う事の利かない足を、何とかその場で倒れない様にする事だけで精一杯だった。


 しかし肉塊は次第に動きが遅くなり、それと同時にその場で震え始めた。


「あ、は。にんげん……ころす。みやげ。あげ、る」


 湿った声色。

 何故かその姿は、戦いの前に見せていた嗤い方に似ていた。



「おき、み。やげ、あげ。る……しね、にんげん、し。ね。あは」


「あは、あはは。あははあははははははは――――」



 そしてそう言い残すと、肉塊は赤い呪力の霧となり、空気中に溶ける様にして消えて行った。


「――――やった……のか……?」


 枝葉の隙間から差し込む微かな青白い光のみが照らす、暗い森の中。

 虎鉄の息切れの音だけが、辺りに響いていた。


 虎鉄は、勝ったのだ。妖狐と、家原に助けられながらも、何とかあの恐ろしい鬼を祓う事が出来たのだ。

 その安堵感が緊張や闘志を一気に解放、虎鉄の中に残っていた青い呪力が四散し、元の人間の姿へと戻っていた。


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