第5幕 妖しき襲撃者―3



 人間の膂力りょりょくでは到底成しえない力で地を蹴り、空高く跳躍した虎鉄。

 通常ならば禁忌とされる、呪力による自身の肉体強化。その代償は常人であれば計り知れないだろう。


 在野の陰陽師が試したならば、体に同一の呪力が二つ流れる事により互いに干渉しあい、倍増された呪力が肉体を傷つける。しかし虎鉄の場合、体中を駆け巡る妖狐の呪力がそのダメージを瞬時に回復する事で、デメリットを実質的に打ち消すことが出来ていたのだった。


 呪文すら唱える事無く無意識の内に編み出した、自身への付呪。

 虎鉄はこの機動力をもう一つの武器として、人型の鬼に立ち向かっていた。



「はあああぁぁぁぁぁ!!!」



 加速した虎鉄。対峙する、赤い呪力を身に纏う人型の鬼はその速さを察知し、瞬時に防御態勢に移った。

 祓魔刀と青い呪力が共鳴し、長大な青い刀となって空中で鬼の鱗に激突する。

 金属を打つような、甲高い衝撃音。


「はハハッ!! ェえけド効かねエぞ!? クソ人間がよォ!!」


 人型の鬼は自身の弱点が角である事を理解しているのか、頭を覆い隠す様に腕を交差させて、虎鉄の一撃を防いでいた。

 そうして防御に用いられた灰色の鱗を、妖狐の青がみるみる腐らせ、それが内包する呪力を奪っていく。


「――――んだこりャ!? キモチワリィィィ!?」


 自身の体に起こる異変に気付いた人型の鬼。赤い呪力と共に腕を大きく振るい、虎鉄を青い刀もろとも地面に叩きつけた。


「離れやガれェぇ!!」


「――――っ! だぁっ!!」


 虎鉄は体を無理矢理うねりながら空中で体勢を整え、手足を駆使して着地した瞬間に、再度空中の人型の鬼に向け、四足の獣の様に跳んだ。


「ちょーし乗ってんじゃねェゾォ!! クソ人間がぁぁァ!!!」


 虎鉄による再びの突進。人型の鬼は衝撃の直前に腕を横に振るい、鋭いかぎ爪が赤い月明りを反射した。そしてその動きに引き寄せられるかの如く、虎鉄の死角から赤い呪力の塊が襲い掛かった。



「ぐぅ――――!?」



 ――――重い!?


 すんでの所でその気配に気づいた虎鉄は、青い刀を背中側に背負う、受け流しの構えを取り、その呪力を以て防御を試みた。

 しかし防ぎきる事は困難だった。実体を持つかのように重さを伴った赤い呪力はにも似た質量を以て、虎鉄を空中から再度地面へ向けて押し出す様に吹き飛ばした。


 不意打ちを喰らった虎鉄は受け身を取ることも出来ず、開けた地形の端にある木に思いきり叩きつけられた。



「か――――は!?」



 全身に痺れる様に伝わる痛み。衝撃で息が出来ない。

 しかし虎鉄は気力だけで踏ん張り、なんとかその場で倒れる事無く青い刀を構え直す。


「あはハ!? どおぉしタ、クソ人間が!!! その程度かヨぉォ!?」


 興奮した人型の鬼は尚も叫び散らし、宙に浮かび赤い月を背負いながら虎鉄を見下ろしている。

 遊んでいるつもりなのだろう、その醜い顔に光悦とした表情を浮かべている。

 あくまでも自身が優位であると示す為か、その場から動こうともしない。


「……ふざけやがって……! 舐めてんじゃねえぞ!!」


 虎鉄は青い刀と震える脚に更に呪力を籠め、鬼ではなく周りの木に向かい跳躍する。

 そしてそのまま木から木へと絶え間なく移りながら、敵の隙を窺った。


 それを消極的な動きと捉えた人型の鬼は、またも怒りに似た感情を籠め、歪んだ口から舌を突き出し甲高い声で叫ぶ。


「チョロチョロきめェんだよォ!! あア”!!?」


 視線を動かし、虎鉄を目で捉えようとする人型の鬼。

 そして虎鉄は背後を取れた一瞬の隙を見逃さず、幾度となく鬼に切りかかった。


 切りかかり、避ける。木々の隙間を跳躍し続け、また切りかかる。


 しかし人型の鬼は、凄まじい反応速度でそれを防ぐ。


 青い刀が音を響かせ、火花を散らしながら剥がした鱗も、生え変わる様に再生を続けていく。


「うざッてェ!! うぜェウぜぇうぜェ!!!!」


 その最中、初めて人型の鬼に焦りの表情が見えた。


 そしてその再生と再生の狭間に見えたのは、緑色の肌。虎鉄は渾身の呪力を脚に籠め、先程までと桁違いの速度で木から突進する。


 急加速する視界。見鬼の才により見えた、人型の鬼に流れるおぞましい赤い呪力。


 そして感覚が捉えたのは、その僅かな乱れ。


 高速で宙を駆ける虎鉄。その姿はまさしく、白と青を纏う狐憑き。


 人型の鬼は尚も反射的に腕を交差させ、額から生えた角を守る体勢に移行する。


 虎鉄はそのまま青い刀を空中で斜めに滑らせ、人型の鬼の片腕を灰色の鱗の隙間から、突き刺す様に断ち切った。



「はああああああアァアあぁぁぁあアいぃぃ痛てぇぇぇぇェェェェェ!!!!?」



 この世の者とは思えぬ程の甲高い声と共に、重力に任せてぼとりと地面に落ちた、鱗を纏う人型の鬼の片腕。

 虎鉄はその付近に着地しながら淀み無い動きで構えを取り、空中で暴れ、赤い呪力をまき散らしながら喚く、人型の鬼を無言で睨みつけた。



「クソがクソがクソがクソガくそガクソガクソガクソガクソあアァァァァァァ!!!??」


「許さねェ!!! 殺ス!!! 殺す殺スころスコロすコロスコロスコロスコロシキロギキアェェェェエエアアイいイアアアアアア!!!!!」



 そして、あの嘲笑うかのような表情を捨てた人型の鬼が、鼓膜を破らんとする程の、甲高い爆発的な咆哮を上げた。

 同時に先程まで周囲に散らばっていた赤い呪力が、鬼の体に向かって一点に集まって行く。


「――――やっぱ、本気なんか出してねえじゃねえか……!!」


 向けられた感情に、尚も虎鉄は不敵な笑みを以て返して見せる。


 感じるのは、怒り。虎鉄を殺す為の、壮絶な怒り。

 例え見鬼の才が無くても、きっと肌で感じていたであろう。遂にあの人に似た化け物が、本気を出したのだ。


 人型の鬼は空中で丸まる様に体を折り曲げ、それと同時に切り裂いたはずの腕がぐずぐずと根元から再生する。

 そして、赤黒く、血色を思わせる額の角がどんどんと輝きだし、昂ぶり、集められた赤い呪力を一気に解放した――――



「ギィィィィァァァァァァァァァァァァアアアアアアア!!!!!」



 ――――瞬間、虎鉄を包む周囲の温度が一気に上昇した。

 耳鳴りに似た叫び声に、思わず耳を塞ぐ。

 そして暗かった筈の『青い世界』が、突如として明るさを取り戻す。


 虎鉄が睨みつけていた化け物が纏っていた赤い呪力はその姿を変え、全てを燃やし尽くす真っ赤なとなり、空を、赤い月を覆い隠す程に赤く、空中で燃え盛っていた。



「炎の――――祓魔式!?」



 反射的に頭に浮かんで来た考え――――しかしすぐに、虎鉄はそれを改めた。


 あれは、ただ呪力を行使しているだけだ。祓魔式でも、呪術でもない。


 ただ虎鉄を憎み、燃やし尽くし、骨すらも残さんとする怒りを体現した、炎。


 対峙する、怒りの妖はその名を告げ、地に立つ虎鉄に射殺す程の視線を向けた。



「我ハ……炎鬼妃えんきひ……灰モ残サズ殺シテヤルヨォ!! クソ人間ガァ――――!!!」



 そして怒りの炎が、轟音を放ちながら虎鉄に襲い掛かった。


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