第4幕 初めての御祓い―7
御岳宿坊の受付へと向かう虎鉄。しかしその最中、一つの違和感を感じていた。ほかの宿泊客どころか、従業員一人見当たらない。
どうしたものかと思いつつも、整えられた受付でPCに向かう女将の姿を見つけることが出来たので、ひとまず目的を果たすことにした。
「……あの、すいません」
「――――はい、どうなさいましたか?」
こちらに気づいた女将はキーボードを打つ手を止め、立ち上がる。虎鉄は財布を取り出しながら目的を伝えた。
「さっき料理を追加で運んで貰った部屋の者なんですけど、代金を先にお支払いしようかと……」
「まあ、わざわざありがとうございます! それではこちらでお受けいたします」
財布から諭吉が1枚消えて行ったが、後悔は無い。どうせ後で使う物だったのだと、虎鉄は自分を慰めた。
そうして、先程からの違和感を払拭する為に、女将にその事について質問した。
「さっきから、俺以外誰も見当たらないみたいなんですけど、何かあったんですか?」
「それは……」
虎鉄の言葉に女将は困ったように表情を曇らせながら、理由を説明した。
「先日、この辺りに狼が出たと、地主様からお話を受けまして」
「狼?」
「はい、夜になるとこの宿坊付近にも表れると。ですので、なるべく従業員も少なくして営業させて頂いております」
「私どもも危険な場所にお客様を留める事は不本意でございます。ご予約の際にご説明をさせて頂いておりますので、人が少なく思われたのかと……」
女将の説明する地主とは、恐らく神社の関係者だろう。そして狼は妖。
わざわざそんな時期に進んで訪れる観光客などいないのだろうと、虎鉄は納得した。
「そうだったんですね……」
「お客様にも、御予約の際にご説明させていただいたかと存じますが……?」
「――――あ、そ、そうでした! はは、忘れてたなー……!」
予約をしたのは連絡屋で、当然虎鉄は知りえない。つい思いついた言葉をそのまま返してしまい、下手な嘘で取り繕った。
「あ、ありがとうございました! それじゃこれで……」
「はい、夜はなるべく出歩かぬよう、お願いいたしますね」
こうして全く守れないであろう忠告を受けながら、虎鉄はそそくさと部屋へと戻った。
◇
「くおー……すぴー……」
「…………」
自分の部屋に戻った虎鉄。それを出迎えてくれたのは、明かりの落とされた暗い部屋と、その中央で気持ち良さそうに布団で寝ている妖狐だった。
「あ、主を労わるとかねえのかよ……!」
一人分で予約していたからか、布団も一組しかない。それだと言うのに、妖狐は虎鉄を差し置いて本来必要のない物であろう睡眠を、図々しくも布団で取っていた。
どうやらこの常識外れの妖は食事や風呂だけでなく、睡眠も
制服から浴衣に着替えた虎鉄は、部屋へと戻る。すると、先程とは少し違う光景が虎鉄の目に飛び込んできた。
雲に隠れていた月が顔を出したのか、暗かった部屋の窓から青白い光が差し込み、部屋、そして布団に潜った妖狐を明るく映し出している。
ぼんやりと照らされた、白銀を纏う狐の妖。その姿は悔しいが美しくも思えた。
虎鉄は妖狐に近づき、そっと腰を下ろしてその寝顔を見つめ、先程の会話を思い出していた。
――――まあとにかく私を殺すためにも、主様には強くなって貰わねばならぬからのう!
あの言葉は、間違いなく妖狐の本心だ。だが虎鉄にとってその言葉に素直に肯定する事は、既に難しくなっていたのだ。
妖狐と一緒に過ごした時間はまだ短い。それでも、この妖が『悪い奴では無い』事を、虎鉄は知っている。いや、知ってしまった。
目を瞑り、気持ち良さそうに眠る姿も、呼吸に合わせて揺れる狐耳を除いてしまえば、そこにあるのはただの人。無邪気に笑い、食べ、眠る、ただの少女なのだ。
そして虎鉄は、いつか少女を殺す。契約を結んだから。
その事実は、ここ数日間虎鉄の中でどんどんと恐れに変わって心を惑わせている。自分だけがそう思っているのかもしれないが、仲良くなる度に、怖くなる。
何故か妖狐は、自分の事をあまり話さない。
虎鉄を『主様』と呼ぶ理由も、死にたがる理由も、何一つ虎鉄は知らない。
問いただそうとしても、妖狐ははぐらかす様にして会話を避けているのだ。
本当に、何も知らないままこの少女を殺すのだろうか。
本当に、自分はその為に力をつけて行くのだろうか……
「……むにゃ……ぬしさま……びみじゃ……」
そんな虎鉄の苦悩を知りもせず、寝言を発しながら薄い掛け布団を蹴り上げ、だらしのない格好ですやすやと眠りこける妖狐。
無防備な寝顔を見た虎鉄は難しく考えるのが馬鹿らしくなり、妖狐に布団をそっと掛け直して自分も畳に寝転がった。
そのまま、明日に備えて休息をとる。
――――今はまだ、考えてもどうしようもない。その時になればきっと……
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