第5幕
第5幕 妖しき襲撃者―1
力なく座り込み紙札を握りながら、その小柄な体を震わせていた
自分以外の人の存在に、虎鉄の脳から急激に闘志が抜け、単純な疑問が浮かんでくる。
「――――ど、どうしてこんな所にいるんだ……!?」
そうして思ったことを、そのまま家原に投げかけていた。
「……え、えっと……私は、
緊張が解けたのか、堪えていた涙が溢れ出してしまった家原。祓魔式で抵抗しようとしたのであろう、手に持っていた紙札をぱさりと地に落とし、そのまま頬に手を当てながら俯いてしまった。
「ああ! えーっと……怪我は、無いか? ほら! 俺が追い払ったから、な? 大丈夫だって?」
「うう……ひぐ…………」
「な、泣くなって! 心配ないよ! もう狼はいないから、な……?」
同級生がこんな所にいる事態により、既に混乱してしまっている虎鉄の前で、力無く泣く家原。今の虎鉄には、栗色の長い前髪の下に表情を隠した少女に、どう対応していいか分からなくなってしまっていた。
『主様、この小娘はがっこうにおった者であるかの?』
不思議そうな表情で虎鉄に問いかける妖狐。家原の前で会話をする訳にもいかず、無言で首を縦に振り、肯定を表した。
家原桃香はクラスメイトだが、一度もまともに話した事は無かった。小柄で、少しウェーブのかかった栗色の短いツインテ―ルを、いつも教室の隅で揺らしている、という印象しか無い。
虎鉄以外とも話している姿を見たことは無く、内気な性格の表れなのだろう、長い前髪の下にいつも表情を隠している、そんな少女だった。
先程最後の狼を祓った時点で、妖の気配は周囲には感じない。置き去りに出来る筈も無いので、しばらくここで泣き止むのを待つのが良いだろうと、虎鉄は祓魔刀を
「ま、まあ、とにかく、もう大丈夫だから。な? 落ち着いても平気だよ」
「ぐす……うん…………」
虎鉄には涙を流す少女を慰める技術など無い。家原が泣き止むまで数分間、無言で隣に座り続けた。
◇
「……ごめんなさい、私、あんな妖、見た事無くて……」
「だから、うまく祓魔式も使えなくて、私…………」
座ったまま周囲の気配に気を掛けていた虎鉄に、泣き止んだ家原が声を掛けてきた。虎鉄の予想通り、あの赤い呪力を纏ったおぞましい狼の姿に怯んでしまい、祓魔式を発動する事が出来なくなってしまったのだろう。
「ま、まぁ、とにかく無事だったんだし、良かったよ」
「うん……あ、ありがとう、御門君……」
「い、いや、俺は、妖を祓っただけだから……」
俯いたままの家原から不意に掛けられた感謝の言葉に、虎鉄は照れながら返してしまう。
「それに、あいつは俺が追っかけたせいで家原の所に行っちゃったんだ。むしろ巻き込んだだけで、感謝される事じゃあない……」
「そんな事ないです、御門君は、私を助けてくれたんです……」
「そ、そうとも言うけど……」
掠れる程に、か弱い声色。
妖を祓い、誰かに感謝されたことなど一度も無かった虎鉄は更に返事に困ってしまい、この流れを逸らす為に別の話題を投げかけた。
「そ、そういえば! さっきも聞いたけど、どうして家原がここに……?」
虎鉄の質問に家原は初めて顔を上げ、その長い前髪の隙間から大きな瞳で見つめ返してきた。
「え、えっと、私は普通に、昨日学園の連絡屋さんに行って、依頼を受けたんです。
「ええ!? 俺も同じのを受けてるんだぞ?」
通常全ての連絡屋は情報を共有しており、その場所に留まる陰陽師の実力に応じた依頼を各所で任意に掲示している。そして誰かがそれを受けた時点で全ての情報屋から掲示は外される仕組みになっていると、虎鉄は昔凜から聞いていた。
しかし家原が説明した内容は、完全に虎鉄が受けた御祓いと同じ内容だった。二重で依頼が掲示されてしまっていたのだろうか。
考えを巡らせた虎鉄の頭に、あの連絡屋の受付の男性が思い浮かぶ。
ぼさぼさ頭とよれよれの
「と、とにかく! あの赤い狼はやばいんだ。いったんこの山から離れた方が良い。立てるか?」
そうして虎鉄は落ちている紙札を家原に手渡し、そのまま手を差し伸べながら立ち上がる。
どの道この山は危険だ。何故角が生えた狼が襲って来るのか、そして実体すら持ち合わせているのか。何も分かってはいないが、この場に普通の陰陽師が留まる事は死を意味すると言っても過言ではないだろう。
しかし家原はどうしたものか、顔を赤らめるだけで立ち上がろうとする気配がない。
「――――? どうしたんだ?」
「ああああの、えっと、その……腰が、抜けちゃって……立てないん、です……」
「えーっと……」
「ご、ごめんなさい……! 私、御祓いも初めてで、それで、こんな事になっちゃって……」
虎鉄の言葉に、恥ずかしそうに俯きながら答える家原。
だが、無理もない。あの異質な赤い呪力を纏った妖に殺されそうになっていたのだ。普通の陰陽師が対峙した事など無い恐怖を感じたであろう事は、虎鉄も身を以て理解していた。
虎鉄は家原に背を向け、もう一度腰を落としながら振り返った。
「――――仕方ねえ、おぶってやるから、ほら」
「え、えええええ!? でも、あの、その……」
思いきり上ずった声を出しながら手をぶんぶんと振り、慌てながら返答する家原。虎鉄は困惑するばかりだった。
「……なにをそんなに、嫌がってるんだ……?」
「いいいやとかじゃなくて、そのぉ…………」
「んん?? よく分かんねえけど……? ほら、動けないんなら――――」
そうして意味の無い問答を繰り返していた、その瞬間――――
「――――っ!?」
虎鉄の感覚に、大きな違和感が走った。
高まる空間の呪力。虎鉄の五感が、命の危険を脳に伝えている。
先程の狼がまた生まれて、こちらに迫ってきているのだろうか。
違う。これは先程まで感じていた物とは、全く異なる違和感。
いや、これは、言い換えるならば異物感――――――――
「――――家原、祓魔式を使えるように準備しておいてくれ……!」
「えっ……急に、どうしたんですか――――」
「いいから! 早く!!」
虎鉄は瞬時に立ち上がり、祓魔刀に手を掛けながら家原に叫ぶ。
その異様な様子を見て、座り込んだままの家原も慌てて先程肩掛け鞄にしまった紙札を再度取り出した。
この感覚は、間違いない。
普通の妖などでは到底感じる事の出来ない、強烈な異物感。
『――――これは、どうやら本命が現れたようじゃの』
妖狐もそれに気づいたのであろう、先程同様に臨戦態勢とも取れる妖しい表情を浮かべている。
それはどんどんと増して行く。近づいて来る。
噴き出る脂汗。比例する様にそれは濃くなって行く。
そして今、正に空間の臨界点に達した――――――――
「――――こぉーんばぁーんわァ……!!」
ばさばさと草木をなぎ倒す音と共に、それが放つ重圧とは余りにもかけ離れた軽々しい声が響く。
何処からともなく現れたのは、人型の妖。
青白い月を背に宙に浮かびながら、虎鉄達を妖しき眼差しで見下ろしていた。
体系は人間の女性に近い。だがその腰からは蛇の様な細い尾が伸び、しなやかに絶え間なくうねっている。
身に纏う、腐り果てたぼろきれから伸びる手足には硬質の鱗が浮かび上がり、月明りを妖しく反射していた。
「……クソ共に辺りを探らせていたとは言え、まさかこォんな所でねェ……くは、あはハハ」
一声聞いただけで嫌悪感を
そして、その人型の妖の額には――――
「あッははははハハハハハハハハハ――――――――!! とんでもねェ掘りだし
――――額には、角。赤い呪力を纏った一本の角が生えていた。
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