第4幕 初めての御祓い―5



「思ったんだけどさ、殺生石せっしょうせきって自分の分身みたいなもんなんだろ? なんかこう、ちょっとでも気配を辿る、みたいな事は出来ないのか?」


 さかきと別れた後、虎鉄は問題が起こった場所へ向かう為に、道の無い森林の中を進んでいる。

 そうしながら、先程も榊に尋ねた殺生石の在りかについての問いかけを妖狐にしていた。


『それが出来たら主様に頼っておらんわ! 何故かは分からぬが、私では本当にさっぱり気配を感じられぬのじゃ……』


「ふーん……まあ良いか、どうせ探す事には変わりないもんなぁ」


 殆ど予想通りの回答に、虎鉄は歩きながら普段通りの声色で言葉を返した。

 妖狐の力の源である殺生石の欠片を見つけ出し、その上で妖狐を殺す。闇雲に探して簡単に見つかるはずはない。

 しかしどうあがいてもその契約を守らざるを得ない虎鉄は、その方法を探る為にも、御祓いを受けたのだ。



 そうしてがさがさと草木をかき分けながら進んでいると、異様な光景が目に入ってきた。

 明らかに自然に出来た物では無い、広範囲の倒木だ。直線状に開けた視界が、まるでが異様な力を以て押し倒すことで作られた、ある筈の無いを思い起こさせる。


 一目見て、榊の言っていた荒らされた現場だと分かった。


「――――……」


『そうじゃのう。何者かは私でも分からんがの』


 呟いた虎鉄に妖狐が答える。先日発現した見鬼の才が、この場所に確実に妖が居た、と言う事を感覚的に教えてくれる。どうやら獣などではなく、妖の仕業と断定しても問題無さそうだった。


 しかしそれは微弱な痕跡。いつ残したのかも分からない、空中を漂う色の無い残滓の様な物だ。虎鉄は妖の活動が活発になると言われている夜に、もう一度確認に来る事に決めた。



 そうして虎鉄は来た道を引き返し、登って来る途中で見つけた、池に面した開けた平地を目指す。夕刻になるまでの時間を利用して、呪力の訓練をする為だ。

 汗をぬぐいながら、人が通れる空間だけ倒してきた草木を目安に、山を下って行った。





 日が傾きかけて尚も降り注ぐ暑さの下。

 虎鉄は自然に出来た池が隣接する、開けた場所へと辿り着いた。壮大なみずうみ程では無いものの広々とした空間が木々を押し分け、少しだけ周りよりも風が吹き付けている。


 先程から見てきた限りでは人影は皆無だ。例え見られたとしても陰陽師以外の一般の観光客ならば、呪力を見られる事も無いだろうと思い、この場所で訓練を始めることにした。


 背負っていた竹刀袋を地に下ろし、中の祓魔刀ふつまとうを取り出す。押し込むようにしてしまわれていた黒革の腰帯も体に括り付けて、外れてしまわないぎりぎりの力でさやを絡め、祓魔刀を腰に下げる。


「――――よし」


 そうして虎鉄は腰を落とし、さやつかに添える様に手で触れて、『霧絶きりたち』を外界へと解き放った。



 抜き放たれた分厚い刀身は黒く、重い。そして何よりも目立つのは、その刀身に刻まれた祓魔式。虎鉄でも扱える単純な付呪の式だ。


 つかを握った手を守る為のつばは透かしの無い物で、装飾の類は一切ない。実戦を想定した作りになっている。


 しかし、ごく細い刃文はもんと共に真っ直ぐに打たれた刃先は、ほとんど切れ味を持っていない。言い換えるなら西洋のロングソードに近い、叩き切る為の打撃武器。あくまでも『人』ではなく、呪力を籠めた上で『妖』を祓う事だけを目的に打たれた刀剣である事が分かる。



 祓魔刀を抜いた虎鉄は、そのままいつも通りの訓練を始める。


 実家で散々読み漁ってきた色々な書籍から自分好みの動きを取り入れて作った、我流の剣術。誰に教わるでもなく独学で学んだそれは、殆どが本来人と対する、殺人剣と活人剣両方の動きが含まれている。

 きちんと一つの流派を学ぶ剣士ならば、きっとぎこちない動きに見えるだろう。


 それでも幼少の頃から続けてきた一連の動きは、虎鉄自身も気付かぬ内に洗練されており、蝉の鳴き声と共に舞を思わせる美しい動作で空間を薙いで行く。



 響く風切り音と、自分の呼吸。妖との戦いを想定した、淀み無い足捌あしさばき。



 そうしていつも通りのをこなし終え、虎鉄は祓魔刀を残心の後に納刀し、滲む汗を拭った。


「――――ふぅー……こんなもんか」


『主様の動き、何時見ても中々のものじゃのう! よい舞じゃ!』


「刀振り回してるだけなんだけどな……」


 息を吐くと同時に、それまで静かに虎鉄の動きを見ていた妖狐が感嘆の声を掛けてきた。ここに来た目的である、学園では決して出来ない訓練を行う丁度良いタイミングだと、虎鉄は妖狐に問いかける。


「多分周りに誰もいないだろうし、お前の力を少し試させてくれないか?」


『承知したのじゃ! それに心配せんでもよい、主様の予感は多分ではなく絶対じゃ! 私も音を聞いておるのじゃからな!』


「そ、そんな事も分かるのかよ……もっと前に言って欲しかったぞ、それ……」


 そう言って自慢げに揺れる狐耳を指さす妖狐。霊体化の一件と言い、どうやらこの妖には、虎鉄の知らない便利な機能がまだまだあるらしい……


『ちなみに主様よ、どれ程の力を出せばよいかの?』


「……そうだな、『ちょいーと』で良いよ。呪文を唱えたら頼む」


『任せるのじゃ!』


 そうして虎鉄は祓魔刀を抜き、中段に構え全身の力を抜いた。その後、体内に存在する呪力を捉える為に意識を集中する。それらを手元へと流し込み、自分と祓魔刀を一体化させるようなイメージを浮かべながら呪文を唱えた。



《――――急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう……!》



 虎鉄の呪文に呼応し、祓魔刀が白く輝きだす。問題無く付呪の祓魔式が発動する事が分かり、虎鉄は胸を撫で下ろした。


「――――よし、頼む!」


 瞬間、妖狐の呪力が虎鉄に流れ込む。


 それらは自らが持っていた呪力を全て上書きするかの勢いで体内を駆け巡り、祓魔刀、そして全身から溢れ出した。それと同時に、空間に散布する微細な呪力を吸収し、虎鉄と空間の間で力の循環を作り出している。



 ――――『ちょいーと』でもこれかよ……!



 周囲に暗く広がる青い呪力。虎鉄が初めに放った白は、完全にかき消される様に姿を潜めていた。



 そして虎鉄は足元の違和感に気づく。あんなにも生い茂っていた草が瞬く間に腐食し、溶けるようにして消えていくのだ。

 妖の王の禍々しく、純粋で、妖しく、見る物全てが魅入る様な美しい青色。それは伝説の通り、触れた物すべての命を殺す、危険な毒を内包しているのだった。



「――――っ!」


『かっかっか! やはり主様とは相性が良いのじゃろう! 私の力に耐えうる常人など、まずおらぬであろうからの!』


「……そ、そういうもんなのか……!?」



 妖狐が発した意味深な言葉に、辛うじて反応する虎鉄。呪力を本格的に流し込まれるのは二回目だが、こうして見るととても制御できそうにない。


 事実、背中側からは絶えず呪力が狐尾を象りながら放出され続けており、それ以上に祓魔刀の切っ先からは莫大な量の青が、どろどろと墨の様に流れ出ている。


 虎鉄の視界に僅かに入った前髪も、妖狐の呪力に侵され色が抜け落ちたように白く染まっている。池に映り込んだ自分の姿は、まさしく妖憑あやかしつき。恐ろしく暗い青を纏った、白獣の化け物にも似た有様だ。



 虎鉄は何とか意識を集中し、祓魔刀だけに力を籠めるイメージを浮かべた。


「ぐ――――っ! だ、だめ、だ……!!」


 しかし、尚も体内から溢れる呪力は明らかに異質な物であり、そう易々と制御できる筈も無い。流れ出すそれらを体内や刀身に押し留める事は、今の虎鉄の力量では不可能なのであった。


「――――も、もういい……! 止めてくれっ……!!」


『ふむ、もう良いのか?』


 制御できない力を無理矢理抑えようとした虎鉄は、既に息も絶え絶えだった。搾り取るような声で妖狐に懇願し、呪力の注入を止めてもらう。

 同時に、全身に流れた妖狐の呪力が強制的に筋肉の活動を活性化させたのか、途轍もない倦怠感に襲われる。虎鉄は祓魔刀と共に体を投げ出し、天を仰ぐように倒れ込んだ。


「はぁっ……はぁっ……! きっつ…………!」


『ぬう……出会った頃ほど上手く扱えては無いようじゃの。私の力がだだ漏れじゃ!』


「あ、あん時は……夢中で……! 本当に、何も考えて……無かったって言うか……!」


 妖狐の言葉に吐き出すように言葉を返す虎鉄。あの『青い世界』では、どのようにして制御していたのかなど、もちろんほとんど覚えてはいない。そもそもあの戦いの最中、制御できていたと言えるのかも分からないのだ。


 これでは、実戦でまともに扱う事などできるはずがない。もっと練習を重ねなければならないだろう。


『ほれ! 私の為、ついでに小娘の為にも頑張ると言っておったであろう! へこたれるでないぞ?』


「わ、分かってるよ……よし……!」


 妖狐の激励に奮わされ、何とか虎鉄は立ち上がり、先程と同じ構えを取る。

 我ながら、とんでもない物を受け取ってしまった物だと虎鉄は苦笑いをしていた。だからこそ、今までのなんとなく生きてきた自分を変える。

 そして、いつか来るであろう強大な敵に立ち向かう力を身に付ける為に覚悟を決めて、再度呪文を唱えた。



《急急如律令!》



 こうして虎鉄は呪力の訓練を日が暮れるまで続けた。そして御祓おはらいの本来の目的を果たす為、あまり成果は得られなかったがこの場を後にした。


 しかし日没後の探索も上手くはいかなかった。

 月明りを頼りに先程見つけた痕跡の元まで向かったのは良いが、3時間ほど辺りを探しても妖を見つけることは叶わず、一度宿泊施設に戻り、明日の探索に備えることにしたのだった。


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