第4幕 初めての御祓い―4



 バスを降りたすぐ先に見える御岳宿坊みたけしゅくぼうの看板。指定されていたごく和風の宿泊施設に虎鉄は到着する。どうやら連絡屋から話はきちんと通じており、学生服姿の虎鉄一人と珍しい物ではあるが、問題無く一人分の予約が取れている様だった。


 こうして、祓魔刀ふつまとうの入った竹刀袋以外の荷物を預けた虎鉄達は依頼人と会う為に、山頂にある武蔵国御岳神社むさしのくにみたけじんじゃへと足を運んでいた。



 木々に覆われ、簡素な舗装ほそうがなされた山道を進むと、赤い鳥居が見えて来る。更に鳥居をくぐった先にある階段を上り、二体の少し風変わりな動物を模した石造の間を抜ける。

 すると、紫色のはかまが映える白装束に身を包んだ女性が、賽銭箱の置かれた拝殿はいでんの軒下で虎鉄を待っていた。



「――――ようこそ、いらっしゃいました。陰陽師の方、ですね」



 聴くだけで物腰の柔らかさが伝わって来る声で女性が呟き、お辞儀をする。年齢的には同年代にも見えるが、その真っ直ぐに整えられ後頭部で纏められた艶のある黒髪が揺れる様と言い、神に仕える者特有であろう何とも形容しがたい高潔さを感じる。


 そんな彼女の持つ独特の雰囲気に若干怯みながらも、虎鉄は挨拶を返した。


「あ、どうも! 御門虎鉄と申します……陰陽師だって、分かるんですか?」


 虎鉄の素朴な疑問に、顔を上げた女性は流麗な声でぽつぽつと呟くように返答する。


「――――はい。私も、ので、なんとなく分かるんです」


「見えるって……見鬼の才があるってことですか?」


「はい――――詳しい話は、どうぞ中で――――」


 そうして拝殿の中を指し示しながら、女性は中へと入って行った。急な案内に、虎鉄も慌ててそれを追いかけようとする。

 しかし妖狐の存在を思い出した虎鉄は、こそこそと小声で話しかけた。


「お、おい、お前こんな所に入っても大丈夫なのか……!?」


 妖狐は紛う事無き妖だ。一般的に悪しき者とされる妖が、神聖な場所に立ち入ってしまったら、身も心も浄化されて消し飛んでしまいそうな物だと虎鉄は考えたのだ。しかし妖狐は平然とした口調でそれに答える。


『こんなちんけなやしろごときで、私の力をいましめられる訳がなかろうに! ほれ、さっさと追わぬか』


 少しばかり心配して言葉を発した虎鉄だったが、こうも平然と返されると拍子抜けしてしまう。この妖には一般的な常識など何も通じないのだと、あらためて実感させられたのであった。


 そうして妖狐の了承も得た虎鉄は、恐る恐る拝殿の中へと足を踏み入れて行った。





 案内された拝殿の中は、虎鉄にとっても初めて見る物ばかりであった。

 

 吹き抜けに近い天井をようした広々とした部屋の中は昼間でも暗く、蝋燭だけが周囲を照らす。足元や壁にはまつられている神への供物なのであろう、名前も分からない数々の物体が立ち並んでいる。

 そして何よりも目に付く、本殿ほんでんへと続く長い回廊と、それを隔てる巨大な扉。


 見鬼の才が覚醒した虎鉄には、名状しがたい呪力がその中から溢れ出る様子が分かった。

 この周囲一帯を守る、土地神が放つ呪力。白い光に例えられる事以外は、恐らく人や妖が放つ物とは全く別の性質を持っているのだろうと、虎鉄は推測する。


 そんな場所に、妖の王とも言える存在を連れ込んでしまった訳だが――――当の妖狐は眉一つ動かすことなく、きょろきょろと辺りを見渡していた。


 ――――心配した俺がバカだったのかもしれない……


 そうして妖狐の胆力たんりょくとも取れるであろう、神をも恐れぬ図々しさに呆れながら、虎鉄は拝殿の中央、正座する先程の女性の元へと向かい、同じように座布団に座る。


 依頼の、それも簡単な妖退治についての話をする物だと思っていた虎鉄は、こうした荘厳な場所に落ちつけず、それについての言葉を先に投げかけて見せた。


「あ、あはは、なんか、落ち着かないですね! 神様の前ですもんねここ! 俺みたいなのがこんな所入れて貰っちゃって!」


「――――そうなのですか? 私は、この場所が、一番落ち着きますので――――」


「礼拝を、する訳ではないので、気になされなくてもよろしいかと、思ったのですが――――」


「ああ、いえ、お構いなく……」


 女性から帰ってきた言葉が予想外の物で、返答に困る虎鉄。この女性は何やら見た目とは裏腹に、天然な性格なのだろうか――――と、虎鉄は苦笑いをした。

 そうしていると、女性がゆっくりとした口調で、礼をしながら挨拶を再開し始めた。



「申し遅れました――――私は、当神社の、宮司みやづかさをさせていただいております、榊明子さかきあきこと申します」


「みやづかさってことは……あなたが宮司ぐうじさんなんですか!?」


「――――はい、その呼び方で、よろしいかと」



 虎鉄は驚いて、榊が言う言葉をそのままで返してしまう。

 女性が神職に就く事は今の時代全く珍しい事ではないが、大人びているとはいえ10代前後であろう若い人間が、最高職である宮司を任されている事は、あまりないからだ。

 不思議そうに虎鉄を見つめる榊に、失言だったと話を続ける。


「すいません、失礼でしたよね……」


「――――? いえ、お気になさらず……?」


 尚も不思議そうに虎鉄を眺める榊。実際に何も気にしてはいないのだが、もちろん虎鉄には分からない。

 ただ、目の前の女性が依頼者であるのなら話が早いと、さっそく虎鉄は依頼についての話を問いかけた。


「あの、依頼についてなんですけど、妖が出たしれないってことで合ってますよね?」


 榊はそれに答え、ほとんど動かない表情を変えず、詳細を話し始めた。


「――――はい、先日からなのですが、『おおいぬ様』の御力が、不安定になっておりまして、それと同時に、この付近の林や畑が、荒らされるようになりました」


「おおいぬ様?」


「はい。そちらで、祀らせて頂いております、この地域を守られる、御神体の、御名前です。今は父が、中でおおいぬ様に御鎮まり頂ける様、祈祷を行っております。こちらについては、御依頼とは関係ないので、お気になさらず――――」


 榊は視線を扉に向けながら虎鉄の質問に返す。どうやら大本の原因が土地神の影響である可能性がありそうだが、虎鉄が何とかできる筈も無い問題なので、話を続けるように促した。


「――――そうして荒らされた地域は、ほかの方々が見ても、足跡や、柵が壊されたりと言ったものが見当たらなかったそうで、獣では無いと、私が、確認に向かったのです」


「付近には、妖の気配が、漂っていました。私や父には、祓う力がありませんので、陰陽師の方に、お任せしようと――――」


 榊はそうして場所などの詳細を話した。依頼書に記載がない物もあったので、虎鉄はメモをしながら話を聞いていた。妖の姿自体は確認できていないとの事なので、慎重に動く必要があるだろう。


 依頼の詳細を話し終えた榊に、虎鉄はある質問を投げかける。


「そういえば、榊さんが陰陽師を知ってるって事は、何か関りがあったんですか?」


「――――はい。私共の家系は、代々、陰陽師の責務を、引き受けさせて頂いておりました。ただ、私には、呪力が殆どありませんでしたので、父と共に、おおいぬ様に御仕えさせて頂いているのです」


 虎鉄が投げかけた質問に、初めて見せる微笑みと共に榊は返した。

 陰陽師は人知れず活動しており、表立って依頼を募集している訳ではない。それ故に、陰陽師と関りのある人間しか直接連絡屋に依頼を持ち込む事は無いだろうと思い、投げかけたのだった。


 見鬼の才に恵まれるも、呪力の弱い人間。自分とは逆だが、少し似た境遇の榊。ただ昔の虎鉄とは違い、不貞腐れる事無くその事実を受け入れ、前向きに何かをしようとする姿は、どうしても眩しく感じてしまうのであった。


「すごいですね、榊さんは。なんか憧れちゃいますよ、頑張ってるんだなって」


「――――? いえ、お気になさらず……?」


「ああっと、すいません! また変なこと言っちゃって……! はは……」


 またも不思議そうに虎鉄を見つめる榊に気づき、慌てて返す虎鉄。榊の持つ不思議な雰囲気につられて無意識の内に、説明しないと分からない様な気持ちをそのまま呟いてしまった。

 そしてそれを誤魔化すように、最後の質問を榊に向けた。



「えっと、あと一つ聞きたいんですけど……『殺生石せっしょうせき』って言葉について、何か知ってる事って無いですかね……?」


「せっしょうせき……? いえ……」



 その言葉を聞いた榊は、先程の表情のままで首を傾げていた。

 手掛かりすら無い殺生石集めには、各地を管理するような人物に聞くのが手っ取り早いと思っていたが――――そう簡単な話では無いようだと、虎鉄は息を吐いた。


「――――? ごめんなさい……私、何も知らなくて……」


「い、いえいえ! こちらこそすいません! 変な事聞いちゃったのは俺ですから、謝らないで下さい!」


 申し訳なさそうに少しだけ表情を濁らせた榊に、虎鉄は全力で謝った。向かい合う二人同時に頭を下げ続けると言う、何とも不思議な空気を作ってしまった。

 流石にこれ以上本業の邪魔をしてはいけないと思い、虎鉄は立ち上がりながら別れの挨拶を告げる。


「――――榊さん、ありがとうございました。 早速、妖を探しに行ってきます」


「はい。どうか、お気をつけて」


 そうして虎鉄は会釈をしながらその場を後にして、妖の捜索に向かった。


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