第3幕 変わる日常―終幕
その後、凜と別れた帰り道で、すぐに『明日も朝集合!』とだけ書かれたメッセージがスマートフォンに送られて来ていた事に虎鉄は気付く。朝ほど怒ってはいないのだと、虎鉄はほっと胸を撫で下ろした。
そうして沈みかけた太陽を背に10分程歩き、虎鉄は自宅に辿り着く。
「……ただいま」
『おぉ……? ……ただいま? なのじゃー!』
アパートに着く度にいつも癖で発していた言葉を、妖狐が元気よく真似をしている。無駄に声が大きいが、『霊体化』の効力で特に近所迷惑にはならないのだろうと、虎鉄はその姿に微笑む。
――――なんか、本当に子供なのかもな……
1日妖狐と一緒にいて、その性格は完全に子供のそれであると虎鉄は薄々感づいていた。史実通りであれば数百年以上生きている筈なのだが、見た目や世間知らずな点も含め、どうしてもそうは思えなかった。
リュックサックを適当な場所に放り、ベッドに腰かけながら虎鉄はそのことについて問いかける。
「……なあ、ずっと気になってたんだけど、本当に何百年も前から生きてるんだよな……?」
「なんじゃ? 主様も、書物か何やらで知っておったじゃろうに?」
「いや、それはそうなんだけど……その割にはモノを知らないって言うか……」
「な、なにを言う! 私は妖なのじゃぞ!? 当然、
どうやら馬鹿にされたと感じたのか、妖狐は不服そうに返答する。しかしすぐに、何かを思い出すように首をかしげた。
「…………おるが……まあ、最近はちょいーとだけ居眠りをしておったような……そうでないような……」
「い、居眠りってどれくらい……?」
「うーむ……数十年か、数百年か……まあ、昼寝の様な物じゃな、うむ」
「ひゃ……ひゃく……」
その言葉に虎鉄は口を引きつらせた。何世紀にも渡る昼寝など、人間の物差しで測れる物では無い。しかし妖にとってはその程度なのだ。
子供っぽさはどうであれ、実際に数百年眠っていたとするならば、妖狐が知らない事があっても何ら不思議ではない。スケールの大きすぎる回答だが、虎鉄は納得することが出来た。
「わ、分かった。この話はもういいよ……」
「そうか? なら良いのじゃ。して主様、飯はまだか?」
「えっ」
当たり前の様に妖狐が口にした単語に、虎鉄は呆けた表情でそのまま聞き返してしまう。
「……は? 飯? 食べ物?」
「そうじゃ、飯じゃ! それ、
「お前、飯食うの!?」
言葉の意味が頭に浮かんだ物と合致し、虎鉄は更に驚愕する。妖は基本的に、空気中に漂う呪力を糧に生きる存在の筈なのだ。人間の食べ物を必要とする妖など、それこそ聞いた事が無かった。
「別に食わんでもよいのじゃがのう。昼に主様や、周りの人間共が食っておったじゃろう? なら私も食わねばならぬ」
「意味、分かんないんだけど……」
「あ、妖は呪いで生まれるのじゃ! そして呪いとは欲じゃ、欲を
「……それっぽいこと言ってるけど、食いたくなっただけって事?」
「な、なにを言うか!? 私は偉い妖なのじゃ! よいから用意するのじゃ!!」
昼の言葉を掘り返して、腕と狐尾をぶんぶんと振りながら説明する妖狐。その姿はやはり駄々をこねる子供の様で、虎鉄は驚きもさる事ながら、自然とため息を吐いていた。
「はいはい、分かりましたよ……俺、一応、
そうして誰に話すでも無く自問自答しながらキッチンに向かい、虎鉄は久々に一人分以上の料理を作る為に、少ない冷蔵庫の中身を
◇
『――――続いてのニュースです。昨日未明、
「ぶっ――――げほっ……」
「んん? どうしたのじゃ、主様。行儀が悪いぞ? あむ…………んー! 美味なのじゃ!」
「いや……」
狭い部屋の中央に折り畳みテーブルを開き、控えめに見ても貧しいと言えるであろう食事を妖狐と向かい合って食べていた虎鉄。
特に意図も無くつけていた小型テレビ――妖狐が『なんと人間が板に!』と予想通りの反応を示していた――から流れてきた女性キャスターの音声に、思わず吹き出してしまった。
『――――において突如鳴り響いた爆発音。現場では死傷者などは確認されておりませんが、依然として原因は不明です。付近の皆様が深夜に出掛ける際には――――』
「んむー! このもやしとやら、珍妙な形をしておるがなかなか美味じゃのう! 飯を食うとは、こうも欲を満たしてくれるものなのじゃのう……」
ニュースになる程の事件の当事者は露知らず、もさもさと具の少ないもやし炒めを頬張っている。その顔はいかにも幸せそうだった。
「……妖でも美味いとか不味いとか分かるもんなんだな」
「なんむ、わかにしへおふほは!?」
「……食い終わってからでいいよ……」
ハムスターの様に頬を膨らませて夢中で食べ続ける妖狐。
――――今日から食費だけで、3倍くらいになりそうだ……
その凄まじい食べっぷりに虎鉄は
虎鉄は実家からの少額の仕送りで一人暮らしをしている。学園は普通の高校と同じ様に土日は休みだが、バイト等はしていない。そもそもこの住宅街は中々の田舎にあり、バイトを募集する規模の店に行くだけでも電車に乗る必要がある。
特にこれと言った趣味も無く、金の使い道がそうそう無かった虎鉄。それ故に、わざわざバイトをする必要も無かったのだが――――
「んむー! びみびゃ!!」
――――この奇天烈な日本語を発する、同居人になるであろう存在により、その必要性が増してしまったのであった。
土日だけでもバイトをするか、実家に連絡して何とかするか――――
「……そう言えば」
――――そして虎鉄は、ようやく一番の解決策を思いつく。見鬼の才が発現した事で出来るようになった、
そうして早速、その方法を実行に移す為の計画を考え始めたのだった。
「――――ぷはぁ! 満足なのじゃ! これが人間の言う、まんぷくとやらなのじゃなあ!」
そんな中味噌汁を飲み干し、ようやく食べる手を止めた妖狐が幸せそうに腹を叩いた。そして虎鉄が先程の計画に関する問いかけをする前に、更なる要求を求めて来る。
「次は湯浴みじゃ! 今朝、あの狭い部屋で主様がしておったであろう?」
「こ、今度はシャワーかよ……使い方分かるのか?」
「しゃわー……大丈夫じゃ!」
何を
そして妖がシャワー……という常識的な質問も、もはや意味を持たないと諦めて、虎鉄は部屋の出口、狭いキッチンを指さしながら答えた。
「……じゃあ、着替える場所ねえから、ドア閉めてそっちで着替えて入れよ」
「何を言う主様? 着替えの場所などいらぬであろう?」
『こうして霊体化しておれば、姿は見られんのじゃからのう!』
そうして虎鉄の目の前で、妖狐は全裸になった。
「ちょっ…………!」
速い――――あの鬼の攻撃よりも速い。いや違う。消えた。一瞬だった。まるで虚空に消えるかの様に鮮やかに、妖狐が身に纏っていた白い衣服が消えた。無垢な体の胸元に埋め込まれるようにして輝く、青黒い宝石がやけに眩しい。
――――いや、そうじゃねえだろ!!!
突然の事態に、思考があらぬ方向に展開すると共に視線のやり場に困り、思わず虎鉄は妖狐とは真逆の方向に首を思いきり回転させた。その事が原因だった。
『うむ? なんじゃ? いきなりそっぽ向いて、そんなに耳を赤くしおって――――』
『――――ままま、まさか、主様、見えておるのかぁ!?』
その問いに、無言で返す虎鉄。
『……なななななんにゃぁぁぁぁあああああああああ!!!!』
そして妖狐の謎の叫び声と共に呪力が行使され、部屋中が軋む音が聞こえたと同時に、途轍もない重さとなって虎鉄に襲い掛かる。
その重さに耐えきれず、虎鉄はアパートの床に叩き付けられる様にしてうつ伏せに倒れた。
「ぬぁーっ!!! お、重い! 傷が痛い! やめろぉ!!」
『どどどどうして何も言わんのじゃ!! 今朝から見えておったのであろう!?』
「り、理由を聞くのが面倒だったんだぁぁ!!」
『はなから
「じゃあわざわざここで服脱ぐなよ!! しかもなんか昨日の夜と言ってる事違くねえか!?」
『みみみ見せるのと見られるのでは話が
そう言い残し、表情も仕草も一切見えない妖狐は浴室へ駆け出して行く。そして当初の予想通り、もう一度大きな叫び声が響いた。
「……い、言いすぎだろ…………重い……」
結局虎鉄にのしかかる呪力が解かれたのは、30分も後になってからだった。
◇
とある暗い場所。
明かりを点ける事もせず、ブラウン管テレビだけを見つめる二つの人影が、小さな天窓から差し込む月明りに照らされ揺れている。
音も無く流れる画面には、ごくありふれた
「――――やはり、目覚めたのか」
呟いたのは、老いた男。その表情は読めない。
「……担当させた者からは、その様な報告は何も受け取ってはおりません。しかしこれは……信じられないな…………」
そして驚愕と共に、流麗な声色で言葉を返す、長髪の若い男。
誰も知らない暗い場所で。
二つの人影はただ画面の中に映った、青い呪力を見つめ続けていた。
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