第3幕 変わる日常―9
「御門ー、お前なんで木刀なんか使ったんだ?」
「――――先生?」
あの
勝負の際に用いた
「なんでって……俺はそれ以外、
「ふーん……じゃ、あの
「あ、あの蝋燭って……」
虎鉄は思い出す。実技授業の最中、虎鉄だけが行っていた訓練。妖狐の力が塵一つ残さず消し飛ばしてしまった、あの蝋燭。
――――ヤバイ、見られた!?
焦りに冷汗が噴き出たが、何とか感づかれぬよう動揺を隠し、平静を装いながら誤魔化そうと試みた。
「あ、あー! あれは、鳥! そう、鳥が持って行っちゃったんですよ! ハハハ!」
『す、すまぬ主様! ……しかしその言いよう、いささか無茶であろうぞ……』
怪訝な目を向ける弓削と、虎鉄の言葉に若干呆れ気味の妖狐。虎鉄自身は分かってはいないが、虎鉄はとっさに嘘を吐くのが苦手だった。
それを聞いた弓削は煙草を咥えた口元に手を掛け、ぼーっとした表情のまま煙を吐いた。
「……ふー……あっそ。まあ、そう言う事にしといてあげる。 精々がんばれよー」
「あー、めんどくせ。あの穴どうしよっかなー……」
そして呟きと煙をその場に残し、面倒臭そうに頭を掻きながら、すぐに立ち去って行った。あの穴とは、恐らく虎鉄が校庭に残した呪い勝負の傷跡だろう。
虎鉄は秘密を守れた安堵感と申し訳なさに複雑な表情を浮かべながら、その姿を見送った。
『あの……ゆげせんせえ、と言ったか。まさか私の力に感づくとは……やりおるのう』
「やりおるのう。じゃねえだろ! 危うく1日も持たずにバレる所だっただろうが!!」
妖狐が他人事のように弓削を称賛するので、思わず虎鉄はそれに突っ込む。
そして更にそれに突っ込む妖狐。あくまで自分はバレぬ様にやったとでも言いたげな仕草で、虎鉄に言葉で噛みついて来る。
『わ、私はきちんと感づかれぬよう、注意をはらってやったのじゃぞ!? 何も悪くなかろうて!?』
「そもそも力使わなきゃバレないだろうが! ……本当に明日からは頼むぞ……」
昼の出来事や今の会話が、弓削が実はかなりの実力者であると言う可能性を暗に示している。より一層気を付ける必要があるだろう。
それらも踏まえて、明日からどうバレないように対応していくのかを、虎鉄は肩を落とし、息を大きく吐きながら考え――――そして諦めた。
妖狐は、その存在も含め、どう行動してくれるのかさえ分からないトラブルメーカーだ。今何か適当な対策を練った所で、徒労に終わるであろう事は想像に難くなかった。
「……まあいいや、とにかく今は、訓練の続きだ」
全てを諦めた虎鉄は、再度訓練用の
『そうじゃ! 主様にはもっと強くなって貰わねばならんからのう!
『まあ、私が力を貸したなれば何があっても問題は無いのじゃがの? かっかっか……』
その言葉に反応して、虎鉄は案山子を打つ手を止める。その様子をどう思ったのか、妖狐は虎鉄に恐る恐ると言った雰囲気で話しかけて来た。
『あー……ぬ、主様! 先程の一件、そう落ち込むことは無いぞ! あんなひ弱で
「……弱いって二回言ってるぞ……それに、別に落ち込んでる訳じゃねえよ」
腕と狐尾を必死に振りながら宇佐美の弱さアピールをする妖狐を見て、虎鉄は微笑みながら言葉を返し、訓練を再開した。
先程の一件。あの
実際、虎鉄はあの勝負で起こった事を踏まえて、今この訓練にいつも以上に真剣に臨んでいる。
虎鉄は負けた。だが、不思議にも、悔しさはあまり沸いては来なかった。
優秀な術師である宇佐美を、あと一歩まで追い詰めることが出来た。その事実が、逆に自信を持たせてくれると同時に、自分の実力を見つめ直す良い機会になったのだと、虎鉄は考えていた。
それと同時に思い出していたのは、あの『青い世界』で鬼が発していた、何とか言語として捉えられるあの唸り声。確かならば『見つけた』と繰り返していた筈だ。
その言葉が持つ本当の意味を虎鉄は知らない。しかし、何らかの理由で虎鉄や凜、そして妖狐を狙って襲い掛かってきた可能性さえあるのだ。
虎鉄は、弱い。今よりも強くならなければならない。
このままの実力では、あのような怪物がまた現れた際にきっと凜を守れない。
いざと言う時に、妖狐の呪力どころか、自らの呪力すらまともに扱えない様では話にならないのだ。
――――強くなる。俺自身が強くなって見せる。
夕焼け空の下、そうして黙々と木刀を打ち続けていると、不意に後ろから声がかかる。
「――――虎鉄……」
「凜……」
そこには、今朝は口喧嘩をして、昼には自分を助けようとしてくれた幼馴染が、二つの黒髪を風に揺らしながら立っていた。
「……一緒に、帰らない?」
◇
気まずさとヒグラシの鳴き声の中、横に並び無言で歩き続ける二人。
結局その沈黙が凜によって破かれたのは、山を降りて、一つ目の住宅街を抜けた田んぼ道に差し掛かった頃だった。
「――――あのね……今日は、ごめんね? 虎鉄は我慢してくれてたのに、私が宇佐美君に怒っちゃったせいであんな事に……」
そこにあるのは、朝の怒りも忘れ、心配そうに見上げる凜の姿。虎鉄は努めて、優しく返事を返す。
「……大丈夫だよ。凜を馬鹿呼ばわりした奴に、俺が腹立てただけだよ」
「でも……!」
「それに、あんなのちょっとした訓練みたいなもんだったろ? ほら、怪我だって殆どしてないしな」
「……なら、いいけど……」
虎鉄はそう言い凜に笑って見せた。
本当は適当に処置したあちこちの切り傷が痛むが、もちろん何も言わない。そして事実負けてはいるものの、あの
凜は俯いた後、もう一度虎鉄を見上げ、昼に虎鉄が口走った言葉の真偽を問いかけてきた。
「……さっき、言ってたけど、本当なの……? その、見えるようになったって……」
見える。つまり見鬼の才があると、宇佐美との口論の際に発言した事に対しての問いかけだった。これに関しては隠す必要は無いと判断し、自信ありげに虎鉄は答えた。
「本当だよ。今朝気づいたんだ。今までに見えなかった世界が見えた。案外、綺麗なんだな、呪力って」
「嘘……じゃないよね?」
「嘘じゃねえよ! 本当に今も見えてる。これで俺もちょっと練習すれば、一流の陰陽師の仲間入りだろ?」
「ど、どうしてそんな大事な事、教えてくれなかったの?」
「そりゃ、あんだけ凜が怒ってたら話せねえだろ」
「う、そっか……ごめん……」
虎鉄の言葉に、凜は驚きの表情を浮かべた後、今朝の自分の態度を思い出したのか顔を赤らめていた。
無理もない。昨日まで見鬼の才が発現したなどと言う話も、その予兆すらも無かったのだから。
そして数秒の沈黙の後、凜はゆっくりと
「そっか……虎鉄、見えるようになったんだね……!」
「やけに簡単に信じるんだな……?」
不思議そうに問いかける虎鉄に、いつも通りの天真爛漫な笑顔を浮かべる凜。本当に、楽しそうに笑っている。
「当たり前じゃん! 虎鉄が言う事だもん!」
「でも、朝は何言っても信じてくれなかったじゃねえかよ!」
「そ……それとこれとは別だよー!」
そしてすぐに膨れ面でそっぽを向く凜。だがその姿は、虎鉄の見鬼の才の発現を、自分の事の様に喜んでくれている様だった。
夕暮れ時、帰り道。昨日と同じ様に、幼馴染と何でもない話をして、笑いながら歩いている。それは、虎鉄が守りたかった、大切な光景。
いつもとは少し違う、様々な出来事に今日だけで何度も出会ったが、この時間だけはきっといつまでも変わらない。それで良いと、虎鉄は自然と微笑んでいた。
「何にやけてんの! 気色悪いよ虎鉄?」
「うっせ」
「まぁ? 昨日の事は? 虎鉄の見えるようになった記念に、水に流してさしあげましょう! 虎鉄が言うなら、本当に何もしなかったんだろうしね!」
胸を張り虎鉄に許しを与える凜。その言葉に昨日の凜のあられもない姿を思い出しそうになるが、なんとか押し留めて、普段通りの声色で感謝を告げた。
「……そりゃありがたいよ」
「あははっ!」
そうして歩き続けていると田んぼ道を抜け、別の方向へ向かういつもの分かれ道に差し掛かる。
すると凜は先程までの他愛ない会話を止め、少し神妙そうに虎鉄に呟いた。
「ねぇ……朝に私の事、何とも思ってないーって、言ったよね……?」
「あ、あぁ……まあそう言ったけど」
「虎鉄は……本当に、私の事どうだって良いって、思ってる……のかな……?」
寂しそうな表情で、虎鉄に問いかける凜。夕暮れの光を背にしているせいか、その端正な顔立ちは、真っ赤に染まって見えていた。
虎鉄は質問の意図を察し、普段の自分なら絶対に言わないであろう言葉を、照れ臭そうに伝えて見せる。
「な、何とも思って無い訳ねえよ! 凜は……凜は俺にとって……」
「――――虎鉄……」
吹き抜ける、日没を知らせる涼し気な夏風。辺り一面真っ赤に染まった住宅街の道の上で、虎鉄は思い切って口に出す。このタイミングでしか言えないであろう、いつも抱いていた本心を。
「俺にとって……その、すごく大切な……」
「たっ……大切な……?」
虎鉄の言葉に真剣に耳を傾ける凜。緊張しているのであろう、黒紅色の瞳が微かに揺れている。
その姿に答える為に、勇気を出して遂に言葉にした――――
「――――俺にとって大切な……大切な友達だ!」
「えっ」
虎鉄は伝えた。嘘偽りの無い本心を。
「いやー、こういうのやっぱ、面と向かって言うの恥ずかしいよな……!」
「……虎鉄ぅ……!」
しかし凜はまたも頬を膨らませて、嘘偽りの無い怒りと共に虎鉄を睨みつけていた。
「……えっと……なんで、怒っていらっしゃるのですか…………?」
「――――知らない! 知らないもん!! バカ!!」
そして罵声を言い残し、分かれ道を虎鉄の家とは別の方向へ進んで行った。
「ふーんだ、虎鉄のバカ」
「ちょ、凜さん!? おーい……!?」
虎鉄の情けない叫び声に振り返る事もせず、すたすたと早足で歩き去る凜。
彼女が浮かべている表情が朝とは正反対の物である事を、虎鉄は知る
『ぬ、主様よ……
そして妖狐が呆れながら呟いた言葉の意味もまた、もちろん知る由も無かった。
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