第3幕 変わる日常―8



 宇佐美から放たれる無数の


 呪力で出来たそれは、手に持つ触媒からどんどんと溢れ出して行き、そして宇佐美自身を囲う様に幾度となく張り巡らされて行く。

 真っ直ぐにぴんと張られた、ごく細い呪力の線。それは一目見ただけでも、触れた者の肌を切り裂いてしまう程の鋭利さを秘めている事が分かる。


 その姿を見て、虎鉄は先程宇佐美が言い放った『ハンデ』の意味を理解した。


 この勝負は、互いの胸元に貼り付けられた紙札が呪力に反応したら負けのルールだ。そしてそれがどの位の距離、強さで反応するのかも分かってはいない。

 虎鉄が接近戦しか出来ない事を知って、宇佐美は近づく事すらをも拒む『呪力の罠』を用いる作戦を仕掛けて来ているのだ。


 祓魔式を用い、呪力を望んだ形に変えて放つ事は可能だ。しかしこれ程までに精密に、そして正確に象る事は難しい。一度体外に放った呪力を空間に制止させるだけでも、相当な修練が求められる筈だ。

 目の前の光景は、宇佐美が優秀な術師であると言う事実を鮮明に物語っているのであった。



「さぁ、どうした来い! 僕はこの通り何もしていないぞ!!」



 先程同様大げさに手を広げ、白々しいセリフを叫ぶ宇佐美。周囲に張る罠に虎鉄がはまるのを、一歩も動く事無く今か今かと待ち構えている。


 その姿はまさしく、巣を張り獲物を待つ獰猛な蜘蛛の如し。

 同時に、宇佐美らしい戦い方とも言えた。


「――――くそっ……!」


 迂闊に近づけば確実に負ける。

 虎鉄は構えを崩さぬまま、じりじりと近づきながら隙を窺う他無かった。



 そんな虎鉄の様子を見て、宇佐美は更にその小馬鹿にする様な口元を歪ませる。


「なんだよ、威勢が良いのは最初だけか!? 僕がその気になれば、いつでも君を潰せるんだぞ――――!!」


 そう言い放つと同時に、宇佐美の周囲に張られていた罠の一つが杖を振る腕と連動して、しなる様に動き出す。

 そして細身の鞭と化した一本の呪力線が、高速で虎鉄に迫った。


 ――――だが、あの『青い世界』で鬼が見せた攻撃程では無い。

 体を翻すように反らし、勢いと共に地面を転がりながら虎鉄は鞭打べんだを回避した。


「――――っくぅ!? ……そりゃ攻撃してくるよな……!」


 土煙を舞わせながら受け身を取り、体勢を立て直す虎鉄。

 胸元の紙札は破れていない。直撃しなければ反応しない様だ。

 

「ははっ! 見えもしないのに良く避けたね! 運の良い奴だなぁ君は!!」


「……だから、見えてんだよ。お前の攻撃はな……!」


「まだでたらめを言うのか! 今更見栄を張っても遅いんだよ! 御門ぉ!!」


 その口調とは裏腹に、オーケストラの指揮者を思わせる優雅な仕草で銀の触媒を振るう宇佐美。呼応して何本もの呪力線がしなり、虎鉄の頭上から襲い掛かる。


 広範囲に降り注ぐ呪力の鞭。完全に避けることは不可能だ。祓魔刀を盾にして、胸元の紙札を守る事だけに専念するしかない。

 衝撃の瞬間――――だが次々と飛来する呪力線は紙札を一切狙う事無く、虎鉄の肌だけを切り裂いて行く。宇佐美は完全に虎鉄で遊んでいるのだ。


 しかし、そうして耐えている姿が気に入らなかったのか、遂に胸元に目掛けて呪力の鞭がうなりを上げる。なんとか祓魔刀ではじいた虎鉄は、その衝撃で大きく吹っ飛び、地に転がった。


「ぐぅっ――――!!」


 衝撃で肺の空気が抜け、視界が揺れる。受け身に失敗した体が、強烈な痛みの信号を脳に発している。


「――――あっはははは! ほらどうした、見えているのだろう!? 避けてみなよ御門ぉ!!」


 一歩も動く事無く、虎鉄を思うがままにもてあそび、高笑いする宇佐美。戦いより、虐める事が楽しくて堪らないと言わんばかりの表情で、立ち上がろうとする虎鉄を見下ろしていた。

 

「あぁ……君はそうやって土にまみれているのがお似合いだよ! 薄汚い、落ちこぼれが!!」


「倉橋さんも見ていて下さい!! これこそが、ここに居るべきではない証拠! こんなでは、あなたに見合わない――――!!」


 そんな宇佐美が戦いを見守る凜に対して放った、その言葉を聞いた瞬間、



「……んだと……てめえ…………」



 虎鉄の中で辛うじて抑え込んでいたはじけた。


 虎鉄自身にも理由は分からない。

 分からないが、宇佐美が放った言葉に対して、日常生活では到底感じる事の出来ない感情が、血管が沸騰するかの様な耐え難い怒り以上の何かが、虎鉄の心を大きく揺らす。


 虎鉄はキレた。今までの人生で一番と言える程に。


 ――――こんな奴に、負けたくない――――――!!



「やってやらあぁぁぁぁぁ!!」



 そして叫びながら立ち上がった虎鉄は、無謀とも取れる程に真っ直ぐに、宇佐美に向かい突進した。


「僕に近づいても無駄だよ! 触れる事すら敵わない!! 君はさっさと、地べたにでも這いつくばっていればいいんだ――――!!」


 宇佐美はそれに答え、何本もの呪力線を虎鉄の進路に打ち落とす。

 襲い来る呪力の鞭――――しかし虎鉄は直撃する寸前に一気に減速し、校庭に祓魔刀をえぐる様に突き立てた。


「――――っ!? そんな当てずっぽうな攻撃で――――!?」


 宇佐美の台詞を遮る様に、白い光を纏った祓魔刀が文字通りめうる最大限の呪力をもって校庭の土を巻き上げた。

 瞬間、宇佐美は虎鉄の意図を察知する。


 大量に舞い上がった土埃が広い校庭に吹く風とその衝撃に乗り、砂嵐を思わせるかの有様で、周りの生徒達を含めた全員の視界を塞ぐ。


 宇佐美は思わず、攻撃に用いていた物を含めた、全ての呪力線を自身の周囲に集中させていた。


「くぅ!? 汚い方法で、僕に歯向かおうなど――――!!」


 吹き荒れる砂嵐の中。虎鉄は再度走り出していた。

 隙の無い宇佐美の祓魔式。だがその心には、いまだ虎鉄に呪力が慢心が存在している。


 ――――隙を付くなら、しか無い――――!


 溢れる感情に呼応するかの様に高まる見鬼の才。

 加速する視界に入り込む情報から、必要の無い物を削ぎ落として行く。


 捉えるべきは、吹き荒れる砂塵の奥に白く浮かび上がる呪力線と、その呪力の流れ。

 集中を切らす事無く、更にその内の、流れがごく僅かに乱れたを探し当て、虎鉄は切りかかった。


 それは『青い世界』で編み出した、呪力を切る一閃。

 虎鉄は確信していた。例え妖狐の力を借りずとも、宇佐美の祓魔式をおのれの呪力だけで無力化できる。感覚が教えてくれる。



 何処を切れば、それらを殺すことが出来るのかを。



 祓魔刀の白い光が鮮やかに空間を滑り、宇佐美の呪力線を切り裂く。

 ぴんと張られていた張力に任せて、呪力線達がはじけ飛んでいく。

 そして切り進めた先、ぼんやりと見えた人型のシルエットに重なる最後の呪力線に目掛けて、渾身の呪力を叩き込む。



「はあああぁぁぁぁぁぁ!!」



 虎鉄が振るった祓魔刀の衝撃が土埃を切り開き、驚愕する宇佐美とグラス越しに視線が合った。


「――――こ、ころ、ひぁ」


 その瞬間、ようやく宇佐美は虎鉄の持つ強大な感情を、身を以てして体感した。


 虎鉄が先程感じ、纏っていた感情。それは『殺意』。

 戦いにおいて、敵対する者に向けるべき感情。それは憎しみでは無く、怒りでも無い。明確な殺意だ。

 あの『青い世界』での鬼との戦いで死線を潜り抜けた虎鉄は、虎鉄自身気づかぬ内にそれを学習していたのだ。


 無意識の内に放たれる、純粋な殺意。それは見る者を圧倒する強烈な力となり、宇佐美は後ろ側に倒れる様に自然とへたり込んでいた。


「ひゃぁぁぁあああ!!!!!!」


 再度祓魔刀を天高く振りかぶる虎鉄。宇佐美の甲高い悲鳴にも臆する事無く、殺意が炸裂する、その瞬間――――




《――――そこまでっ!!!》




 ――――またしても乾いた破裂音が響き渡り、同時に視界を塞いでいた土埃が一気に吹き飛ばされた。

 弓削が手を叩きながら発したのは、強力な呪力を籠めた声、言霊ことだま。それは聞く者の意識を瞬く間に支配し、上書きする。


「……はーい、おわりー。紙に反応があったからねー……アタシここまでやれって言った覚えないんだけど……」

 

 当然、戦いの最中であった虎鉄にも届いており、体を強制的に硬直させられていた。


 視界が晴れた校庭の中央。そこには、まさに切っ先を胸元に穿うがたれんとし、力なくへたり込む宇佐美の姿と――――その刀身を突き立てるの虎鉄。胸元の紙札の端が真っ直ぐに切断され、ぼろぼろと崩れる様に風に散って行った。


 宇佐美がへたり込んだ事により、自身が設定した祓魔式との位置関係に矛盾が発生し、乱れた呪力が虎鉄の胸元で揺れる紙札を先に切り裂いていたのだった。


 もちろんその事を虎鉄は知らない。紙札が反応した、と言う結果だけがそこにある。言霊により正気に戻され、緊張が一気に解けた虎鉄は、そのまま後ろ側にばたりと寝転がる様にして倒れこんだ。


 同様に何とか正気を取り戻した宇佐美。


「――――――――っ! クソっ!!!」


 自身の惨めな姿に羞恥しゅうちしたのか素早く立ち上がると、短く罵声を発しながら逃げる様にして校舎に去って行った。



「……負けた」



 照り付ける日差しの元で空を仰ぎ、ぼそりと呟く虎鉄の声。

 誰にもその声は届かない。近くで見守っていた妖狐を除いて。


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