第3幕 変わる日常―6



 弓削ゆげに連れられて虎鉄が向かったのは、式神の訓練を行う生徒達の元だった。

 辺りでは人を模した紙片が淡白い光の尾を引きながら、祓魔式ふつましきを用いて立てられた4本の黒い柱の周りを、思い思いに飛び回っている。

 

「すごいな……」


 昨日までの虎鉄には、見る事すら出来なかった光景。遠くからでもぼんやりと確認できていたが、いざ近づくと何とも美しく、その姿はまさしく光が舞い踊る舞踏会の様だ。虎鉄は思わず立ち止まり、その光景を見上げて自然と感嘆の言葉を漏らしていた。


 「はーい、皆ちゅうもーく。そんでもって集合ー」


 不意に弓削がやる気なさげな声で手を叩きながら生徒達を呼び、招集をかける。

 空を舞っていた擬人式神ぎじんしきがみは術者の元へ飛んで行き、ただの紙片へと戻る事でその役目を終えて行った。




 生徒たちを自分の周りに集めた弓削が、緩いテンションを崩さずその理由を伝える。


「えー、じゃあ今日は式神の練習は終わりねー。今から別の事やるから」


 弓削はそう言い、黒いスキニーパンツのポケットに乱雑に納められていた、祓魔式が刻まれた15cm程の紙札の束を取り出して生徒達に示した。


「なんか、テストだってさー。これ、呪力に反応して破れるらしくて、そん時になんかを測ってくれるらしいから、好きな祓魔式使って攻撃しろ、以上」


 弓削の適当な説明を聞き、ざわめきが生徒たちの間で漏れる。このように授業時間を削ってまでテストを行うことは、今年の春に学園に入学した時から一度も無かったからだ。


「んじゃ、アレに貼って来るから、適当に並んどけー」


「あ、御門は戻らなくていいぞ。これに参加な」


「え、あ、はい!分かりました」


 虎鉄にそう言い残し、弓削は先ほどの式神訓練にも使っていた黒い柱の元へ向かおうとする。



「待って下さい!」



 しかし、生徒の中から涼やかな声が上がった。


「……なんだー宇佐美うさみ? 質問かー?」


「はい、質問をさせて下さい」


 生徒の輪の中から、一人の男子生徒が四角いシルバーの眼鏡に指を添え、短いストレートヘアを揺らしながら歩み出てきた。


「僕には御門を参加させる意味が分かりません。時間の無駄です。こんな奴は校庭の隅で、出来もしない訓練をやらせて置くべきです」


「こいつは『名門』であると言う威光だけでこの学園に入学した汚い男です。見鬼の才も持たない奴が、僕たちと同じ扱いを受ける資格などありません」



 ――――また始まったよ……


 虎鉄は苦笑いしながら、冷たい罵声を言い放つ声の主に目を向けた――――


『なんじゃ、あの小僧? 主様に何たる無礼をわめいておるのじゃ? 殺してもかまわぬか?』


 ――――そして、自分の事を棚に上げて物騒なことを言い放つ妖狐を制止する為睨みつけた。

 


 宇佐美智司うさみさとし。分かりやすく虎鉄を嫌っており、いつも嫌な絡み方をしてくる男だった。


 成績は優秀だが、誰が見ても分かるほどにプライドが高い。比較的新しい陰陽師の家の出であるからか、入学時から事ある毎に『名門』の単語を強調しながら虎鉄に敵対心を向けて来ている。

 その割に、凜とは親しげにしようとしている様だが……

 

 ただ虎鉄自身、何度もこう言った事を言われ続けているので、今では怒りよりも面倒臭さの方がまさっていた。


 なので、いつも反論もせず適当に聞いて話を流す様にしているのだ。



「……あのなー、アタシは上からこう指示されたただけで、御門も参加させろってのも、そうしろって言われたから言ってるだけなんだよ」


「そもそも入学テストに汚いもクソもあるか。ここに居るって事は合格してるって事だ。はいこの話終わりー」


 宇佐美が度々突っかかって来る事を既に知っている弓削は呆れ顔で振り返り、赤髪を雑に束ねた後頭部を掻きながら、面倒臭そうに質問に答えた。


 いつもなら小言の一つや二つで終わる問答。

 しかし今日の宇佐美は何故かここで収まらなかった。虎鉄には一切目を向けることも無く、毅然とした態度で弓削に向け反論を続けようとする。


「いいえ、納得できません。僕は一流の陰陽師になる為にこの学園に来たのです。の者に足を引っ張られたくはありません」


「実力の無い者は排除すべきです――――」


「お前なぁ……」



「――――や、やめなよ! 宇佐美君!」



 そんな弓削と宇佐美の会話の応酬に、聞きなれた声が混ざる。凜だ。

 何時いつにも増してあまりにも酷い宇佐美の言い様に、虎鉄の事を案じて反論してくれたのだった。


「い、いつも思ってたけど、そんな事を言うなんてひどいよ……!」


「虎鉄は、そんなんじゃないよ……! いつも頑張ってるし、放課後だって、いつも一人で残って練習とかしてるんだよ……?」


「く、倉橋さん……!?」


 いつも親しくしようとしている凜に強く反論されたからか、涼しげな顔が驚きの表情に染まる宇佐美。

 しかしどうしたと言うのか、それでも宇佐美は収まらなかった。凜に対しても、その冷たい言葉の矛先を向け始める。


「き……君だって『名門』の家の者だ。本当は僕と同じように、奴を邪魔者だと思っているのだろう……?」


「――――っ! そんな事、思ったことないよ! どうしてそんなこと言うの……!?」


「どうしても何も、奴は見鬼の才も、祓魔式をまともに扱うすべもない。いない方がマシだと、馬鹿でも分かる話だと思うけど?」



「そんな……ひどいよ――――」



 凜の、消え入りそうな声が響いた。


 普段と違う異様な有様に、静寂を保っていた吉春や、他のクラスメイトにも先程とはまた別のどよめきが起き始め、宇佐美をいさめようとする声が上がり始める。

 そんな状況で、尚も宇佐美は収まらない。


「きっ君達まで! ……どうしてだ! いつも思っているのだろう! 目障りだと!」


「宇佐美、今日のお前やべえぞ!? ここまで言うことないだろうがよぉ! 一回落ち着けよ!?」


「なんだと鬼一! 僕が間違ってるって言うのか!?」


 仲裁に入ろうとした吉春に、尚も興奮しながら叫ぶ宇佐美。

 そして、吉春の言葉を聞き入れたのか、急に感情が抜け落ちたかのように冷静になった。


「ぼ、僕は――――僕は間違っていない。そうだろう?」


「やはり、この男にテストなど受ける資格は無い。そもそも――――」



「――――そもそも、祓魔式をまともに使えない時点で初めからここに居るべきでは無いと僕は思いますが? こんな、陰陽師に必要ない。同じ空気も吸いたくない。退学にでもした方が良い……!」



「――――っ!」


「……だからさー……そんな事言われてもアタシは知らないって……」




 弓削は正に呆れ果てていた。


 そして、凜は絶句し、泣きそうな顔で俯いてしまった。




 虎鉄自身、何度もこう言った事を言われ続けているので、今では怒りよりも面倒臭さの方が勝っていた。

 勝っていたが――――


「……黙ってりゃあ、あることない事言いやがって……」


 今の虎鉄は何時にも増して機嫌が悪かった。凜と妖狐、二つの厄介事を背負ったまま学園に来ていたからだ。

 

 更に見てしまったのだ。大切な、幼馴染が傷つけられる姿を。

 感じていた面倒臭さと怒りが逆転し、魂に火が灯る様な感覚を感じる。

 そして遂に耐え切れなくなり、凜を見下ろす宇佐美に立ちふさがる様に責め寄った。


「おい宇佐美! お前、いい加減にしろよ! 言いたいことあるなら俺に言えばいいだろ!!」


「御門!?」


 今日初めて宇佐美と目が合った。その顔には、今までこうして来た際に反論などされた事が無かったからか、再度驚きの表情が浮かんでいる。

 怯む宇佐美にお構いなしに、虎鉄は怒りの言葉をぶつけ合った。


「そもそもお前分かってるか!? お前のせいで逆に時間無駄になってんだろうが!」


「も、元を辿れば君がいるから悪いんだ! いつも邪魔ばかりして!」


「俺が何時そんなに邪魔したんだよ! 大体いつもいつも小言ばっか言いやがって! 言われなくても俺が色々出来ねえ事くらい分かってんだよ!」


「僕の視界に入るだけでも目障りなんだ! さっさと自分から退学でもしたらどうだい、落ちこぼれが!」


「はっ! 残念だったな俺にはもう! 練習すれば祓魔式だって扱えるようになる! 落ちこぼれとは呼ばせねえぞ!」


「でたらめを……っ! 本当にそうならとっくの昔に発現しているはずだろう! 倉橋さんにまで嘘を吐くつもりか!」


「なんで凜が出て来るんだよ! 凜は関係ねえだろ!!」


『何なのじゃこのいやしい小僧は!? やはりここで殺して、いや殺すだけでは飽き足らぬ! 塵芥ちりあくたの如く消し飛ばしてくれようぞ!!』


 虎鉄と宇佐美、そして誰にも聞こえぬ妖狐の怒りが応酬を重ね、どんどん収集が付かなくなって行く。


 そして互いに、相手の胸倉を掴みかかろうとしたその時――――




《黙れよ、ガキが》




 強烈な爆発にも似た乾いた破裂音が響き渡り、一瞬にして校庭は静寂に包まれた。


「……アタシらを巻き込むなめんどくせー……!」


 青筋を浮かせた弓削が滑り込むようにして一瞬で二人の間に割り込み、虎鉄と宇佐美の胸元に、先程から手に持っていた紙札を呪力で

 


「せっ先生! 何を!?」


 息を吐きながら立ち上がる弓削に、虎鉄は驚きながら説明を求めた。


「……殴り合いにでもなって怪我される訳にもいかねーからな。使わせてやるから思う存分喧嘩でもしろやバカ共」


「はーめんどくせ。テストも止めだ止め。みんな見物でもしてろー」


 弓削はそう言い残すと、羽織っていた黒いジャケットの内側から煙草を取り出し、火をつけながら校舎に去ってしまった。



 そんな弓削の意図に先に気づいたのは、宇佐美だった。



「はは、そうか成程、まじない勝負と言う事か……! 面白い!」


「ま、呪い勝負……!?」


「いいだろう! 君がここに居るべきで無い証拠を、僕が教えてやる――――!!」


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