第3幕 変わる日常―5



「ふっ――――うぬぬ……」


 照り付ける日差しの下。

 虎鉄は今、目の前の木製の台座に乗せらた蝋燭ろうそくの火を消すために、必死な表情でうなっていた。


 暑さと流れる汗に邪魔されながらもなんとか意識を集中し、教師の教えを思い出す。


 まず、頭の中で呪力を集めるイメージを作る。次にそのイメージを崩さぬよう気を付けながら、体内に流れる呪力の循環を指先に感覚を集中させて集める。最後に集めた呪力と体内の呪力を分断し、前方に――――


「――――っだぁ! やっぱできねえ!」


 虎鉄は止めていた分の息を一気に吸い込みながら、その場にへたり込んだ。


 先程から教えられている通りの手順をなんとか試そうとしてみるが、指先に感覚を集中させようがこれっぽっちも呪力が集まっている気がしない。疲れてへたり込んだ虎鉄の目の前では、蝋燭の火がゆらゆらと風を受け、むなしそうに揺れていた。



 時刻は13時。昼休憩が終わり、今は実技の授業を校庭で行っている。

 虎鉄が少し遠くを見やると、教師と運動着に着替えた生徒達の上空を、人型に模した紙片が飛び交っているのが見えた。


 今日の実技は式神訓練。正確に扱う訓練の一環として、定められた場所を順番通りに巡回させる練習をしている。ただ一人、虎鉄を除いて。

 虎鉄はまともに祓魔式を扱うことが出来ないので、他の生徒の様に上手く式神を扱うことなどもちろん不可能だ。その為、


――――じゃ、御門は今日もこれねー♡


と、祓魔式すら用いない様な極めて初歩的な訓練をするよう、いつも教師から指示されている。



 虎鉄の見鬼の才はあの『青い世界』で覚醒した。その時ほどではないが、今もちゃんと呪力の流れ等を感じることが出来る。

 しかしそれは言い換えれば、見えるようになっただけなのである。視覚、そして感覚的に呪力を知覚し、正しくそれを扱えるようになるのは、まだまだ先の様であった。



『昨晩から思っておったが、今の主様は呪力の扱い方だけはべらぼうにヘタじゃのう』


「わ、分かってるんだよ、言われなくても……」


 小さな口に手を当て、ケタケタとからかう様に嗤う妖狐に、周りに人はいないが念のため小さめの声で虎鉄は話しかけながら立ち上がり、再度指先に意識を集中した。



 ――――まあこいつも、式神と言えば式神なんだよな……



 式神。それは陰陽師に置いては術者に仕えるものを指す言葉であり、現代においては二つの種類に分類されている。


 一つは擬人式神ぎじんしきがみ。意思の無い物体に祓魔式を刻み込み、使役するもの。

 そしてもう一つは思業式神しぎょうしきがみ。呪力により具現化させた創造物を使役するもの。

 思業式神はその扱いの難しさからごく一部の陰陽師しか用いることが出来ず、一般的には擬人式神がよく用いられている。


 問題となるのは目の前に浮かんでいるこの妖狐だ。


 本来敵対する者である筈の妖を使役し、ましてや式神とする事など現代ではありえない。そもそもその様な祓魔式は存在しない。失われた、を除いて。


 それ故に、虎鉄は妖狐の存在を隠し通さなければならないのだ。



 だと言うのに――――


『ふむ、あの火を消せればよいのじゃろう? どれ』


「え、ちょ、ちょっと待――――」


 制止しようとした虎鉄の体内に妖狐の呪力が僅かに流れ込み、意識を集めていた指先にごく小さな青い光が灯る。

 

 そして糸の様な光線が僅かな高周波と共に指先から伸び、眼前でゆらゆらと揺れていた火を消し飛ばした。



「――――ばっ馬鹿野郎! 何してんだよ!?」


 虎鉄の焦り声に妖狐は何食わぬ顔で言葉を返す。


『何、とはなんじゃ? 主様を手伝てつどうてやっただけじゃぞ?』


「俺が消したいのは火だけ! 蝋燭ごと消し飛ばす奴があるか!」


「そもそもこんなの使ってる所見られたらどうするんだよ! 朝、誰にも見られないようにしろって言っただろ!!」


 小声、それでいて怒気の含まれた虎鉄の抗議に流石の妖狐も怯みながら言葉を返す。


『け、消せればよいとあの女に言われておったではないか!? 私はそのために、誰にも分からぬよう、ちょいーとだけ力を使つこうたまでじゃ……』


「――――ちょいーとってお前……まじか……」


 さらっと妖狐が発した言葉に、虎鉄は暑さも忘れて怖気づいた。

 


 考えてみればそうだろう、虎鉄は妖狐の『力』を身を持って体験しているのだ。

 鬼を祓う為無我夢中であった中でさえ、あの触れた物すべてを文字通り蒸発させてしまうかのように消し飛ばす、あまりにも強力過ぎる呪力の感覚は、虎鉄の手を通じて鮮明に残っている。

 妖狐の言う『ちょいーと』が虎鉄の範疇をはるかに超えてしまうのも無理は無かった。


 持て余すほどの危険な力を人前で、ましてや蝋燭の火を消すためだけに借りる訳にはいかないのだ。


「い、いいか! 俺が使いたいって言わない限りお前は俺に何もしなくて良い、良いからな!」


「お前の事誰かにバレちゃ不味いの! 分かってるか!?」


『そ、それは分かっておる――――』


 妖狐の答えに虎鉄は胸を撫で下ろしたが――――


『じゃ、じゃが、私は妖じゃ。妖は欲望のままに生きるものじゃ! 寝たいときに寝る、貸したいときに貸す! 主様の指図などうけぬわ』


――――妖狐が腰に手を当て視線をそらしながら何故か不服そうに反抗するので、再度口論の様な物にまで発展してしまう。


「お、お前俺の式神だろ!? 受けろよ!!」


『ばれなきゃよかろうなのじゃ!!』


「どこで覚えたんだよそんな言葉……!」


「御門ー、ちょっといいかー」


「なんだよ! って……」


 妖狐の開き直った態度にもはや呆れ始めていた虎鉄は、背後から呼ばれた声にそのままのテンションで反射的に言葉を返してしまった。

 青ざめた表情で振り向くと、そこには高い身長に良く似合う黒いジャケットを身に纏った実技担当の女性教師、弓削麻美ゆげあさみが青筋を浮かせ、苦笑いしながら立っていた。 


「え、えーと……なんでしょうか……弓削先生……」


「……いい度胸してんなーお前、あ?」


「す、すみませんでした!!」


 頭を90度下げ勢い良く謝る虎鉄を、その男勝りな鋭い目つきで睨みつける弓削。そして呆れたような表情は崩さないまま、本来の目的を虎鉄に伝えた。


「……まぁいいや。いいから来い、別の事やるぞー」


「別の事……?」


 その問いの答えを聴く前に、弓削は遠くにいる生徒達の元へ向かってしまっていたので、虎鉄もその後を追った。





 去り際に、弓削はとある違和感に気づいていた。


 虎鉄に用意した、蝋燭を乗せていたの台座の上。並の陰陽師では感じ取ることすら出来ない、微かな呪力の残滓を――――


「……なんだー、ありゃ」


 後ろを歩く虎鉄には、その声は届かなかった。


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