第3幕
第3幕 変わる日常―1
二人の学生が蝉の鳴く山道を歩いていた。
気だるげな少年と、顔だちの整った美しい少女。
いつもの様に通学路を辿っている。
だが、二人の間にいつもの様な会話は無い。
前を歩く少女は少年に見向きもせず、早足で山道を登っていく。
「……あのー、倉橋、さん?」
「何」
「……怒ってる?」
「そうだね」
恐る恐る話しかける虎鉄だが、今の凜に取り付く島も無い。
凜は虎鉄に振り返ることもせず、ぶっきらぼうに答えながらずんずんと前を行く。
――――だめだ、こりゃ。
虎鉄は深くため息をついた。
さかのぼること一時間前――――
◇
「……いってぇ……」
凜の掌底で気絶し床に転がっていた虎鉄は、未だ残る痛みと差し込む朝日により目を覚ます。強烈な頭痛が、先刻までの出来事が夢ではなかったと言う事を、虎鉄にひしひしと実感させた。
「目覚めたか、
頭を押さえながら起き上がった虎鉄の横には大妖怪、
「……おはよう、でいいのかな」
「おはようなのじゃ! 主様!」
妖狐が元気よく返事をする。
美しく、鈴なりの様で、その生きた歳月を感じさせる様な艶やかな声。
だがしかし、今の虎鉄には頭痛を加速させる耳鳴りにしか感じられない。
「朝なんだから、静かにしてくれ……」
「なんじゃ主様、朝から不機嫌そうな」
原因を作り出した妖狐が不思議そうに首をかしげる。
眠い目をこすりながら、虎鉄は妖狐の姿を今一度観察した。
小柄な体。見た目だけは十代前半の少女に見える。
まっすぐに梳かされた長い白髪が、その体を覆う様に揺れている。
眉に合わせて切りそろえた前髪の下には青い瞳が鋭く輝き、幼い顔立ちながら妖艶な雰囲気を醸し出す。
身に纏う白を基調とした十二単にも似た衣装には煌びやかな装飾が施され、漂わせる妖しさと見事に調和している。
そしてこの少女を一目で
紛れもなく、目の前の少女は人ではない存在なのだ。
虎鉄はベッドに腰かけ、昨晩のことを思い返した。
――――――――主様、私を殺してはくれまいか?
――――――――引き受けて、くれるかの……?
昨晩の興奮も冷めた今、虎鉄は交わしてしまった契約の重さを改めて実感する。
ここに居るのは稀代の大妖怪、玉藻前。
自分が、目の前の
考えれば考えるほど訳の分からない話ではあるが、凜の命は既に人質として囚われているのだ。
手の中に握られたままだった古びた
この繋がりを絶やしてはならない。虎鉄は再度決意を新たにした。
立ち上がり、視界の端に映る安物の置時計の時刻を確認する。
時刻は七時を回っている。
虎鉄は自分の顔を叩き、気合を入れて見せた。
「よしっ。行くか!」
虎鉄の様子を見て、妖狐は無邪気な笑顔を花開かせた。
「さあさあ主様よ、さっそく殺生石を探しに――――」
「何言ってんだ、学校だよ学校。」
「が、がっこお?」
「当たり前だろ。サボったら実家から何言われるか分かったもんじゃないし」
狭い部屋に隣接するこれまた狭いキッチンへと向かい、冷蔵庫の中身を確認しながら虎鉄は妖狐の気の抜けた声に返答する。
――――朝食は今日は抜きだな。待ち合わせの時間に間に合わない。
虎鉄は洗面所へ向かい着ていた服を籠に突っ込み、手早くシャワーを浴びる。
干していたもう一着の制服に着替え、簡単にリュックサックの中を
妖狐の抗議を適当にあしらいながら、スマートフォンで凜宛てにメッセージを送る。
出会ってから一日と経ってはいないが、虎鉄には妖狐の扱い方がなんとなく分かって来ていた。
「け、『契約』はどうしたのじゃ主様!もう
「適当に探して簡単に見つかるもんでもないんだろ? そういのは情報を集めてからやるべきだと思う」
「それに俺は約束を守る。契約は果たすよ」
「うむー……」
――――あって間もない頃の威厳はどこに行ったのやら。
契約を正式に承諾した時から明らかに口調も緩くなった妖狐が、悔しそうに虎鉄を見つめていた。
「じゃ、行ってくる」
「ちょ、待つのじゃ、主様!」
もっともらしい理由を突き付けられた妖狐は頬をこれでもかと膨らませながらも、スニーカーに履き替え陰陽塾へと向かう虎鉄の後を追った。
◇
虎鉄は結局、凜に昨日の出来事を伝えないことに決めた。
もちろん、虎鉄の家で起こった事ではない。あの『青い世界』に囚われた際のことだ。
凜を助ける為に、虎鉄は文字通り命を懸けた。
その事実を知った彼女は、きっと虎鉄を気遣い、また自分のことを強く責めるだろう。
彼女には笑顔でいて欲しかった。あの朝顔のようにたおやかで、無邪気な笑顔のままで。
そのために、虎鉄はあの恐ろしい鬼に立ち向かったのだ。
――――多分、これは俺の自己満足、エゴなのだろう。
それでも、虎鉄は守ると決めた。全てを隠し、胸に秘めたまま。
自分の首から下げられるよう簡単に細工した、
普段の自分であれば考えなられない程に子供っぽい考え方に、虎鉄は自嘲気味に笑った。
「……だってのになあ」
『どうしたのじゃ?』
「お前、付いてくるのかよ!」
『憑いてくるだけにのぅ? かっかっか』
「張り倒すぞ……」
うだるような暑ささえも吹き飛ばすほどに寒い台詞を虎鉄は一蹴した。
昨日の事を凜が覚えていれば仕方のないことなのだが、そうでなければ何も伝えないと決めたのだ。だと言うのに、当事者の妖狐がふよふよと浮かんだまま付いてきているのだ。
このまま凜と会えば隠し通すことなど出来るはずがない。
『私は主様の式神なのじゃから、常に一緒にいるのは当然のことじゃろうて!』
『それに安心せい、小娘には何もいわんし、その他の者共含め姿も見られんようにすればよいのじゃろう?』
頭を抱える虎鉄の考えを読むかのように、妖狐が言葉を返す。
『主様の考える事はすべてお見通しじゃ。今もほれ、
「浮かべてねえよ! そもそもあの時なんで隠れたんだよ!? 凜の服だって脱がしたのお前だろ!」
ベッドでしおらしくこちらを見つめる凜の姿を思い出しそうになったので、虎鉄は頭を振り浮かんで来た昨晩の画を全力で散らした。
『かっかっか。傑作じゃったの!』
「お前な……」
悪びれもせず、人を食ったような笑顔で尊大に嗤う妖狐の姿に虎鉄はため息をつく。
――――こいつと真面目に話すと疲れる……
暑さも相まってどっと疲れが増す虎鉄。
どうせ訳もなく、適当にからかう為にやったことなのだろう。
虎鉄は昨晩の行動を咎める気力すら奪われ、追求を諦めた。
「ほら、もうすぐ待ち合わせ場所だから隠れてろ。まぁ、今日は凜が待ってくれているかは分からないけどな……」
『言われなくてもはなからそうしとるじゃろう? 私ならそれぐらい楽勝じゃ! 霊体化しておけば誰にも見えん、主様にだってのう!』
「便利な機能だこった」
腰に手を当て、自信満々な表情で目の前にふよふよと浮かぶ妖狐が虎鉄にはばっちりと見えているのだが、そのことをわざわざ口に出す気力は今現在の虎鉄には最早無い。
――――深く考えないようにしよう。話す度に疲れる……
何度目か分からないため息をつきながら、妖狐と共に虎鉄は歩く。
そうして、いつもの待ち合わせ場所へと向かった。
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