第2幕 式神契約―終幕



「……コホン、冗談はこのくらいにしての」


 興奮したからか、頬を赤らめていた妖狐は再び姿勢を正し、話を再開する。


「私を殺す方法はただ一つだけ。この体の力の源である、殺生石せっしょうせきを砕くことじゃ」


殺生石せっしょうせき?」


「そうじゃ。今は八つに散らばり、どこにあるのかさえも分からんがの」


 妖狐はそう言うと、先程も少しだけ見えた物体――――胸元で鈍く輝く、青い宝石を虎鉄に示した。



 夜に似たあおの色。

 見つめつづけると、中に吸い込まれるような錯覚を覚えた。



「――――なんじゃ? まじまじと。欲情しておるのか?」


「そういうのいいから」


「むぅ」


 わざとらしく体をくねらせる妖狐を虎鉄は静止し、記憶の中の書物を漁った。


 何かの書物に、伝説として記されていた筈のものだ。

 殺生石せっしょうせき。周りに存在するすべての命を奪う、呪われた毒の結晶。

 平安時代、とある大妖怪を祓った際、死に際にこの結晶を残し、後世までその毒を人の世に放ち続けたという。

 その妖は皇室に潜み、人の世の転覆を狙っていた、ともされている。


 日本の三大妖怪に数えられるほどに強い呪力を持ち、九つの尾をなびかせる、巨大な化け狐。その名を――――


「お前、まさか、玉藻たまもの――――」


「なんじゃ、知っておるのではないか! 先ほどの戦いの際は全くと言っていい程に何も反応しなかったのにのう」


 驚愕の表情を浮かべる虎鉄に現世うつしよ仇名あだなを呼ばれた妖狐――玉藻前たまものまえは、更に威張る様に小さな体を反らして見せた。


「さ、さっきはそんな余裕はなかったからな……そもそもお前、名乗ってはいなかっただろ!」


「かっかっか。よいのじゃ! 名前なぞ、どこぞの誰かが勝手につけた物じゃし、何より私のことを知っておるなら話が速いわ」


「まあ?私は大妖怪じゃからの? 私を敬う権利が主様にはあるからのぅ? せっかくの機会じゃ、もっと存分に敬ってくれてもよいのじゃぞ!」


 腕を組み、顔が見えなくなるまでにふんぞり返る妖狐。

 どう見繕っても10代前半であろう小柄な体の後ろで、白い狐尾が縦横無尽に駆け回る。


 ――――正直この見た目じゃ偉そうに見えない……。

 虎鉄は呆れたような顔つきでため息をついた。

 そんな虎鉄の様子に気づいた妖狐も、恥ずかしそうに話を再開する。


「ま、まあ、今の主様に昔のことを話すのは、少しこっ恥ずかしいことなのじゃが……」


「いいよ、何とも思ってもいないし、正直よくも分かってないから。殺生石、だっけか?」


「そうか、それならよいのじゃ!」


 妖狐の青色の瞳が、記憶を探る様に動く。


「生まれて間もない頃の話なのじゃが、昔中途半端に討たれてのう。その際に力を残した状態の殺生石がどこかに散らばってしまったまま、私にも正しい居場所が分からんのじゃ」


「意識も定かではなかったからのう。当時の事は私もはっきりとは覚えていないのじゃがの」


 まるで他人事のように、妖狐は過去の出来事を話した。


「それを集めたらどうなるんだ?」


「散らばった殺生石は今も力を周りから喰らい、溜め込んでいるはずじゃ。集めたならば、むろんすべて私のものになる」


 自らの言葉を誇らしげに、ふふんと鼻を鳴らす妖狐。

 目的から逸れている様な内容の話に、虎鉄は訝しげな表情を向ける。


「ダメだろ、なっちゃあ。今でさえ殺せないんだろ? どう殺すんだよ」


「簡単なことじゃ。殺生石が集まったのなら、私は躊躇ためらわず主様に差し出す。集めた欠片をまとめた後、正しい手段で殺生石をくだけばよいのじゃ」


 妖狐はこちらに両手を伸ばし、身振り手振りで話を進めた。


「正しい手段って?」


「その時になればわかるじゃろうて。とにかく主様に、私は呪力を貸す。そのかわりに主様は何とかして、私の殺生石を集めてほしいのじゃ!」


 虎鉄は妖狐との話の中で当たり前に芽生えた疑問を投げかける。


「そもそも、なんで死にたいんだ?普通死にたくないもんだと思うが……」


「それは……乙女の秘密じゃ!」


「……へーそうかい」


 真面目に問いかけた疑問をはぐらかされ、虎鉄自身も頬杖を突きながら適当な相槌を返す。


 そんな虎鉄の態度が不服だったのか、妖狐はなんじゃとーとでも言いたげに頬を思いきり膨らませて見せた。


 ――――数百年生きた妖が乙女とは……



 ひとまずその話題は置いておき、結局この契約を自分自身どうするのかについて、虎鉄は考える事にした。


「何とかねえ……」


 百均で適当に選んで買った、安物の置時計の音だけが狭い部屋に響く。

 虎鉄はしばし会話を止め、今までに聞いた話を頭の中で整理する。


 現実離れした話ではあったが、やっとのことで、虎鉄は大体のことが理解出来て来ていた。

 場所や形、探し出すその方法すらも分からない、伝説――今目の前にいるわけだが――の創造物である宝石を探す。正直何か取っ掛かりの様な物がなければ、土台無理であるとすら思える要望だ。


 だが、やるしかないのだ。

 今や虎鉄はきつね憑き。凜もとされている。

 断るという選択肢を、選べるわけが無かった。



「引き受けて、くれるかの……?」



 無言でこれからの事を思索していた虎鉄の視界で、唐突に雰囲気が変わる妖狐。


 その美しさとあどけなさを共存させた顔に、今までに見せたことのない、縋るような表情を覗かせる。見つめてくるその青い瞳の奥には、僅かな寂しさの様な物さえ窺うことが出来た。


 目の前にいるのは、大妖怪、玉藻前たまものまえ。大勢の命を奪った大悪党だ。その筈だった。

 窮地を助けてくれたとは言えど、虎鉄と凜、二人の命を天秤にかけた契約を結ばされたのだ。


 だが、虎鉄には今、目の前にいる妖が、ただ助けを求める一人の少女として映し出されていた。


 妖狐の本心は分からない。本当は悪い妖ではないのかもしれないし、今見せている表情もが全て嘘の、とてつもない荒魂あらみたまなのかもしれない。

 ただ話してみて、今虎鉄を見つめているが『悪いヤツではない』ことだけは分かっていた、そう信じたかった。


 そうして虎鉄は、結んでいた口を開き、言葉を紡いだ。



「分かってるよ。一度決めた道だ。どうせやるしかないんだもんな」



 虎鉄が返事をした瞬間、妖狐はこれまた見せたことのない、見た目の年齢相応の無邪気な笑顔を浮かべたのだった――――



「たかが石ころ、俺が見つけ出してやる。そんでもって、お前をちゃんと殺してやるよ」





「そろそろ目覚めそうじゃのう」


 正式に契約に対する返事をしてから、心なしか態度や口調が緩くなった妖狐と殺生石の由来について等をより細かく話をしていた虎鉄は、時計の針が既に3時の方向にまで差し掛かっている事に気がついた。


「明日目覚めるって言ってたけど、もうなんだな……」


 虎鉄は心の準備をする。

 凜が目覚める。

 この妖が憑いて動かされた、ニセモノでない凜が、目覚める。


 何を話せばいいか。何から話せばいいか。

 そもそも何もなかったことにしておくのか?どうするべきか。


 虎鉄はこの後の会話に使うであろう言葉を探し、必死で最善の答え方を考えた。


 そもそもここには妖狐がいる。

 目覚めた凜に詳細を求められた際、虎鉄と同じように話をつけると先程約束もしてくれた。

 これなら話もスムーズに進むだろうし、本当にあった事を話すべきなのだろう。


「――――う――――ん……?」


 つい数時間前までは死にかけていたはずの、幼馴染の声。

 虎鉄の心臓が高鳴る。

 ベッドに横たわる凜の前で立ち尽くす虎鉄。

 その様子を見た妖狐は垂れていた狐尾をぴんと立て、悪戯を思いついた子供のような、妖しい表情を浮かべた――――


「あとは頑張るのじゃぞっ主様!」


「あ、え、ちょ、どこ行く」


 後になっても虎鉄にはその理由がさっぱり分からなかったのだが、背後にいた筈の妖狐は唐突な挨拶を言い残し、空中に消えた。正確には、姿を隠しているだけなのだが。


「――――うーん、あれ……?」


 混乱し、頭が全く働かなくなった虎鉄が振り返る。


「虎鉄……?」


 凜が目覚めた。しかし、何を話すべきだったか。予想だにしていなかった展開に虎鉄は分からなくなってしまっていた。

 思考が停止しかけていた虎鉄は、とりあえずぱっと頭に浮かんだ言葉を返してみる。


「……あ、オハヨー?」


 ――――問題ない。妖狐がいなくても、ちゃんと話せるはずだ。

 何も問題は無い。無い筈だ。ないよな?


 虎鉄はまともに回らない思考をフル回転させ、次にくる言葉を予測し、なんとかそれに適した回答を頭に羅列する。



 ――――さあ、来いっ!



 混乱した結果、謎に勢いをつけながら構えをとる虎鉄。

 しかし、帰ってきたのは静寂。

 どうしたものかと虎鉄は凜を今一度観察した。

 すると何故か顔を真っ赤にした凜が、恨めしそうな涙目で虎鉄を睨んでいた。

 更に降ろした視線の先では、凜が胸の辺りをタオルケットで押さえている。


 華奢な体、しかししっかりと丸みを帯びた体のラインをくっきりと浮かび上がらせる、頼りない薄手の布地。するすると肩からずり落ち、陶器のように白いが見え――――



 ――――なんではだかなんだ



 謎の構えをとったまま硬直する虎鉄の手元に、ひらひらと何かが舞い落ちる。

 視線だけを手元に移す虎鉄。そこにあるのは一枚の、薄桃色の、女性ものの下着。


 虎鉄の思考回路は瞬時にパンクし、完全にショートした。

 

 もう少し冷静であれば、マシな言い訳を考えられただろうが、もう遅い。


 ここは自分おとこの部屋で。

 二人きりで。

 凜は裸にひん剥かれていて。

 この状況に置かれた二人に起きる、会話の内容は、


「…………良い夢、ミレマシタ?」


「……………………へー」


「あっ、いやっ、これは違っ、待っ」



「――――――――バカ!!!」



 凜の掌底が虎鉄の目元、こめかみに突き刺さり、頭蓋骨を揺らす。

 強力な衝撃が瞬時に軽い脳震盪を引き起こし、意識を朦朧とさせる。完璧に決まった凜の渾身の打撃は、虎鉄をいとも簡単に膝から崩れ落ちさせた。


 凜はいつの間にかベットの横に放り投げられていた制服に一目散に着替え、鬼の如き足音を立てながら部屋を後にしていった。



「ち……違うんだ…………」



 一人きりになった部屋の床で痙攣する虎鉄。


 朦朧とする意識の狭間、妖狐の傲慢不遜ごうがんふそんな嗤い声が響いていた。


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