第2幕 式神契約―6



「なんじゃここは? 座敷牢かなにかかの?」


「黙ってろ……」


 虎鉄が1Kの小さなアパートの部屋に着くと、先程まで無言で付いてきていた妖狐が悪気の一切ない声色で心無い言葉をぶつけて来たので、虎鉄はぶっきらぼうにそれを遮る。


 家に帰る途中数人とすれ違ったが、幸いにも――――と言っていいものかは分からないが、特に不審がられずにたどり着くことが出来た。


「さすがにこいつの姿は見えていないだろうしな――――」


「何か言ったか? 主様よぅ」


 わざとらしく口を尖らせ、不機嫌な感情を最大限まで表現した妖狐が問いかけるが、虎鉄は無視する。

 ――――今は世間話をしている場合じゃない。

 虎鉄は部屋の電気のスイッチを肘でつけて、凜を備え付けのベッドに静かに横たわらせた。


「…………」


 規則正しい吐息が聞こえるが、凜が起きる気配はない。

 まずはこの現状を生み出した妖狐から、話を聞くしかないのだ。

 虎鉄は凜の体が冷えぬよう、タオルケットをそっと掛けてからクーラーの電源を入れ、壁際に立てかけていた小さな折り畳みテーブルを空いた場所に広げる。

 そしてほとんど使ったことのなかった来客用の座布団を敷き、その向かい側に腰かけた。



「――――で、どういうことなんだ」


「この部屋のことかの? あの主様がのう、なんじゃむさ苦しい部屋に住まわれおって……」


「その話じゃねえ!」



 部屋の中をふよふよと浮かびながら物色していた妖狐に、虎鉄はテーブルを叩いて抗議する。


 ――――お前、普通に浮かべるのかよ……

 ダメだ、こいつのペースに乗るとどんどん話がそれていく気しかしない……


 妖狐からは敵意の様な物は今のところ一切感じないが、先程から虎鉄を呼ぶ際の呼び方も含め、気になることは山ほどある。

 虎鉄はテーブルの向かいに敷いた座布団を指さし、妖狐に座るよう無言の圧力をかける。


 妖狐は渋々という様子で指示された場所へ向かい、その小柄な体を虎鉄に倣って腰かけさせた。





「さて、何から話そうかの?」


「さっきから言ってんだろ、凜はどうなっちまったんだ……!」


 虎鉄は真剣な表情で妖狐に問いかける。

 さすがの妖狐もこれに答え、からかう様な態度を改めた。


「あの小娘は死にかけとると、先程言ったの」


「そう、だったな……」


「呪術の傷を深く負っていたからのう。一言で表すなら……そうじゃの、魂が抜けかけていた、と言えば分かるかの?」


「なんとなくは……?」


「じゃから私が主様を真似て、小娘を式神にしてやった」


「ちょ、ちょっと待て!」


 ――――真似をした? 式神にした?

 まさか俺が唱えた、刀禁呪よくもわからない呪術を聞いただけで真似て、触媒の剣も無しにやってのけたのか……?

 そもそも生きた人間を式神にするなんて聞いたことがない。まあ、俺はそれよりも異質である妖を式神にしたわけなのだが。


 虎鉄は必死で妖狐の言葉を咀嚼そしゃくし、理解しようとする。


「……続けてくれ」


「そうしてじゃ、私が抜けかけていた魂を式神として縛ることで、此方こちらの世界に無理矢理繋ぎ止めてやったのじゃ!」


 自信満々に胸を張る妖狐。

 狐耳が細かく動き、それに連動して体の横から左右に揺れる一つの尾が見え隠れしている。


「主様の唱えた呪術を真似て、適当に呪力を与えてやったのじゃが……いざやってみれば簡単なことだったの」


「まあ、そもそも私は主様の式神じゃ。正しく言うなれば、小娘は主様に仕える式神になったわけなのじゃがのう?」


「……そ、そうか」


 まるで今すぐ褒めろと言わんばかりの表情で話す妖狐。

 極力努めて虎鉄はその意思表示に気づかぬ振りをし、話を続けさせる。



「まあこうしてその小娘は無事式神になり、なんとか『生き返った』わけなのじゃが――――」


 妖狐が胸元に手を伸ばし、何かを探る。


「――――肝心の魂がどこにあるのかまだ話しておらんかったのう」


 はだけた衣服の隙間に見える肌に、あの青と同じ色をした宝石が覗き、家の電灯を受け鈍く輝いている。


 目当てのものが見つかったのか、妖狐は胸元から手を抜き出すと、ひもで吊るされたあるものを虎鉄に見せた。


 古びたお守り――――のようにも見えるそれは、錆び付いた鉄でできた小さな札だった。

 表面には小さく、祓魔式のようなものが記されている。虎鉄に内容を読み取ることは出来なかった。



「私は、に小娘の魂を縛り付けたのじゃ」


「お前……っ!」


「言ったであろう? これは対価であり、『枷』でもあるとのぅ」



 妖狐の顔が、まるでおもちゃを見つけた子供のように再び妖しく嗤う。そのまま指で札を小さく弾き、虎鉄へと鉄札――――凜の魂を投げ渡した。


「……さっき凜の体を操っていたのは……?」


「なに、術を行使するときに必要じゃったから少し借りたまでじゃ、憑こうと思えばいつでも憑けるがの」


「それに心配せんでもよい。じきに明日にでも小娘は目を覚ますじゃろう。あくまでも、生き返らせるという契約じゃからな!」


 虎鉄は妖狐の話を聞き逃さぬよう記憶に書き留めながら、投げ渡された鉄札の感触を確かめる。


 受け取った鉄札は想像以上に軽く、人の魂、命が預けられている物とは到底思えなかった。

 しかしこれは、おそらく妖が作り出した呪物。

 焦げ茶色の錆に覆われ一見古びているだけの外見も、もしかするとその効力の為に意図的に生み出された代物なのかもしれない……


「分かっておるじゃろうが念をおすぞ? 無理に壊そうものなら小娘の魂はあの世行きじゃ。もちろん、私と交わした契約を反故ほごにしてものう?」


「わ、分かってる。そんな事するつもりはないよ」


 虎鉄の掌にあるのは、凜の魂。軽々しく扱って良い物である筈がない。

 意識を集中すると、小さな鉄札からは先程の共鳴するような感覚を確かに感じ取ることが出来た。


「私と主様、そしてそこの小娘は魂が繋がっておる。一つ死ねば道連れじゃ。それまでは簡単に死んでくれるなよ、主様?」


「まぁ私はそう易々とは死なぬのじゃがのう! かっかっか」


 自嘲じちょうとも、自慢ともとれる声色で嗤う妖狐。


「ともかくじゃ。簡単に望みを叶えてしまってはつまらんじゃろう? これはおぬしが契約を履行りこうするまでの間の、いわゆるじゃ」


「……つまり、お前を殺すまでの間ってことで、良いんだな?」


「もちろんじゃ! おぬしが私を殺したあかつきには小娘の魂はそちらに戻そうぞ。はなからこんなもの、私にはいらぬわ」


「……それは願ってもないことだな」


「そうじゃろう、そうじゃろう」


 虎鉄が視線をそらした先には、凜の安らかな寝顔が見える。

 この妖狐が言うことが確かなのであれば、凜は不完全ではあるものの、生きている。


 凜は、死んではいない。

 その事実は、虎鉄の妖狐に対する不信感を薄めさせ、より冷静に話す余裕を与えてくれたのだった。



「……何ならここで、今すぐお前を殺してやってもいいんだがな」


「かっかっか。威勢が良いのは、よいことじゃ!」


「な、何が言いたいんだよ……?」



 再度ひとしきり嗤った後、妖狐の顔が急に鋭くなった。



「さて、ここからが本題じゃ」


 凜のことはあくまで人質で、どうでもよいと言わんばかりの扱いをするこの妖狐に若干の苛立ちが募るが、妖の価値観が人間の物と同等ではない事は容易に想像できる事であった。虎鉄はぐっと言葉を飲み込み、妖狐の話を聞く姿勢を見せた。



「肝心の、私を殺すための話なのじゃが――――」


 自嘲するような表情。その本意は読めない。


「――――簡単にいうなれば、今の私は不死。のじゃ。故に私は祓えぬ。普通の方法ではのう」


 いかにも意味ありげに虎鉄に語り掛ける妖狐。


「つまり方法はあるってことだな」


「その通りじゃ! さすが主様、やはり聡いのう!」


 話が通じたことに対してなのか、妖狐は嬉しそうに狐耳を震わせる。


 ――――しかしどうもむず痒い……

 虎鉄は、出会った時からどうしても気になってはいたが、凜に関する情報の為に我慢していた疑問を投げかけた。


「なぁ、その主様ぬしさまってのはやめてくれないか……」


「ほえ? なぜじゃ」


「そもそも、俺はお前と会った事もなかったし、何にも知らないんだけど……」


「な、なにを言う! 主様は主様なのじゃから主様なのじゃ!」


 虎鉄の言葉に、怒る、と言うよりは間違いを指摘する様に妖狐がまくしたてた。


「主様が主様である所以、それは主様だからじゃ! 今の主様に分からずとも主様は紛れもなく、主様じゃ!」


「どうじゃ!これなら今の主様でも理解できるであろう?」


 テーブルを何度も叩きながら、子供が駄々をこねる様に力説する妖狐。

 混乱する言語を並べられた虎鉄は反論を諦めるしか無かった。


 ――――どうやら根は子供っぽいらしい……

 虎鉄は興奮する妖狐に本題の続きを話して貰える様、手を上げて降参を示した。


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