第1幕 死ねない狐―3



 授業が終わった後、虎鉄は一人剣術の稽古を行う。

 今の住まいは普通のアパートであり、練習用の剣を振り回すわけにはいかないので、毎日こうして学園の校庭を借りているのだ。


御門みかどー、あんまりやりすぎてケガなんかすんなよ!」


「んなこと分かってるよー!」


 遠くから帰り際のクラスメイト達の声が響いてきたので、虎鉄もそれに合わせて声を張った。

 当然、こうして学園の生徒から野次を飛ばされるのもいつもの事であったが、虎鉄は特に気にする様子もなく稽古に戻る。


 虎鉄とクラスメイト達は、特段にいがみ合っているわけではない。

 優等生であり、顔だちも整った凛との仲をこころよく思っていない者もいるようだが、それ以外のクラスメイトとは普通に話はする――――主に野次か、凜との関係についての話だが……


 この理由は今の陰陽師の在り方からきている。


 昔と違い、今や陰陽師は日陰者だ。

 妖の力も弱く、放っておいても大災害が起きるようなことはない。

 それ故に、今陰陽師を目指す者の殆どは、そこまでの情熱というか、ストイックさのようなものを持ってはいない。


 もちろん、昨今活動している弱い妖では役不足な程、凄腕の陰陽師は今も存在し、日々その実力を研鑽している。しかし、その他多数の陰陽師の認識は全くの別物なのだ。


 ある程度の実力を身に着けて、力の弱い妖を祓い、報酬を得る。それが陰陽師。

 世界の危機を救うだとか、英雄になるだとか、足手まといは排除するだとか、そういう考えをする者は殆どいない。ただの仕事なのだ。

 だから祓魔式がまともに扱えなくても、強く邪険にされるような事も無く、虎鉄も何とかやっていけている。


「そこに助けられているんだな、俺は――――」


「虎鉄ー!」


 考え事をしながら稽古をしていたら結構な時間が経っており、用事を終えたのだろう凜が声を掛けてきた。虎鉄は汗をぬぐいながら振り向く。


「生徒会の用事はもう終わったのか?」


「うん! 一緒に帰ろ? もう日が暮れるちゃうよー」


「そうだなあ……」


 辺りを見れば既に空の低い場所が茜色に染まりつつある。

 この学園から住宅街に出るためには、狭く、街灯もほとんど設置されていない山道を降りて行かなければならない。

 その為、日が暮れ始める前には敷地から出発するのが良いのだと、通い初めの頃はよく凜に口酸っぱく言われたものだ。


 虎鉄は簡単に着替えて、凜と共に家路につく。いつも通りの日常。

 中身を全て机にしまい込み軽くなったリュックサックを手に、虎鉄は歩き出した。


 凜は生徒会の書記を担当しており、日々の雑務に追われている。

 だが、毎日授業後の学校に長く残ってまで時間がかかる仕事をしている訳ではない筈だ。

 いつも待っていてくれているのだろうかと、虎鉄は少し申し訳なくなり、凜にそのことについて問いかけた。


「なんか、ありがとな。今日も残ってくれてさ。俺なんかとわざわざ毎日一緒に帰らなくてもいいんだぞ?」


 虎鉄の言葉を耳にした凜は、すぐに笑いかける。


「私が一緒に帰りたいからいいのー!」


「そう言うもんか? まあ、別に俺はどっちでも良いんだけど……」


 すると凜は、突然推理小説の登場人物のように、顎に手を当てながら虎鉄に流し目を向け笑った。


「ははーん? もしかして照れてる? みんなと噂になってるしねー?」


「いや、別にそんなんじゃねーけど……」


「ほらー、やっぱり照れてんじゃーん!」


 まさに推理が的中したと言わんばかりに、凜が嬉しそうに笑う。


「何が嬉しいんだか……」


 凛の無邪気な笑みの理由はよくわからないが、こうして気が置けない仲の友人と一緒に、どうでもいいことを話せる。こんな日常が続くのであれば、つまらない学園生活も悪くないものだと、虎鉄は心の中で呟いた。

 蝉の鳴く木々の隙間から差し込む光はより一層深い橙に染まり、日没の気配を知らせてくれる。

 虎鉄は少し早足になり、凜も続いて追いかけた。



 山道を下り、住宅街に差し掛かったころ、ふと、虎鉄は思い立った一つの疑問を凜に問いかけた。


「凜はさ、頑張り屋だよな。授業もだし、学園の関係ないことまで引き受けてて。そんなに頑張らなくても、陰陽師やっていけるんじゃないのか?」


 幼馴染の少し真面目な質問を受け、口元に手を当てながら凜が返す。


「んー、それもそうだけどさ、やっぱやるからには全力出したいじゃん! 自分のできることで、人の役に立てるんだし」


「それに私、名門出身ですので?」


「耳が痛いよ……」


「あははっ!」


 虎鉄を軽くからかいながら、その天真爛漫な性格を体現するかのように無邪気に笑う凜。


「それに、何かあった時に虎鉄の事守らなきゃだしね!」


「そういうのは俺が言うべきなんじゃないかな……」


「んー、それもそうかもねえ」


 凜は駆け出し、沈む夕日を背に微笑んだ。



「じゃあ、私に何かあったら、虎鉄が守ってね!」



 肩口で二つに軽く結った黒髪が、光を受けてさらさらと舞った。

 茜色に染まった空に映し出された幼馴染の姿が、虎鉄の中のおぼろげな記憶の中の約束と重なって見えた。


「……そういうことマジに言われてもなぁ」


「あー! また照れたー!」


「だからそんなんじゃないっての!」


 凜は本当に、無垢に、そして無邪気に笑う。

 そんな彼女の姿を見て、虎鉄は久々に口元が自然に緩んだ気がした。


 学園でのほんの小さないさかいなど、この笑顔を見るだけでどうでもよくなる。

 虎鉄はこの平和な日々が続きます様にと願いながら、暗くならぬ内に帰れるよう足取りを早めていった。



 逢魔が時の闇が、すぐそこまで迫っている。



「――――やっと見つけた」


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