3 白い少女と懲罰室の謎(5)
錵はかなり足が速いらしい。あっと言う間に見えなくなってしまったけれど、彼女が呼ばれた理由は、すぐ近くにあったようだ。木実は少しだけ速度を落として、息切れしかかっている澄を待った。
男子寮の裏側。人が集まっている。一階のある部屋の窓から、水が溢れ出しているのだ。その水はどんどん増えて、増えて、池ほども大きさのある水溜まりができている。寮の壁に沿うようにして水が溜まって、だんだん嵩が増えてきている。その窓の一番傍にいる男子生徒は、かなり背が高いようだが、既に膝まで浸かっていた。
「……あれ、窓の傍にいるのって、もしかして昴くんじゃない?」
「……そうだね、確かに昴くんだ。何があったのかな……」
「じゃあ、本人に聞けばいいよ。……昴くーん!」
木実が大きな声で昴を呼ばわった。昴は驚いたようにこちらを振り向くと、近くにいた他の生徒に断って、慌てて走ってきた。
「何か用か? 二人とも」
「何があったのか聞きたくて。どうしたの? あの水は?」
少し棘のある声で昴が尋ねるが、それに怯んだ様子もなく木実が問い返す。昴はぐ、と眉間に皺を寄せると、大きく息を吐き出して答えた。
「……あの部屋は、潤の部屋なんだ」
昴はそう切り出した。
彼は遅めの昼食を手早く済ませると、もう一度潤の部屋を訪ねた。しかし、いくらノックしても返事がない。これは本当に寝ているかとも思ったが、そうでない可能性も考えた。例えば、もし自分を探しに外に出たとしたら、どこかで迷子になっているかもしれない。そう心配した昴は、潤がどこかに行っているか探しに出た。しばらく探して、今度は寮の裏庭に行ってみるかとこちらに来て、潤の部屋から水が漏れていることに気付いたのだ。慌てて窓を開けたけれど、水が増えるばかりなのだという。
「あいつは暇なとき、自分の部屋を水で満たして、その中でぼーっとしたり寝てたりすることがあるんだ。水を扱う魔法に関して、あいつは天才だから、そういうときでもコントロールを誤ることなんてない。あんな風に水を漏らしていることなんて、今までなかった」
「じゃあ、何かが起きているかも知れない、ってことだね!」
「……もし魔法のコントロールがおかしくなっているのなら、あの中で溺れてしまってるかも」
「ああ。俺もそれを心配してるんだ。……でも、俺には、あれほどの量の水を一度に扱うことはできない。しかも、どんどん増えてるんだ。……先輩方が来てくれて助かった」
「……話は聞かせてもらったよ」
彼の後ろから、錵が現れた。
「生徒会役員の報告によると、あの水は男子寮の廊下にも相当量が漏れ出てきているようだ。ここまでになると、この学校の三年生でも、一人で扱える者は限られるだろう」
「そんな! 潤は、潤はどうなるんです!?」
「落ち着け! ……一人で、と言った。一人では難しいが、しかし、それなら協力すればいいだけだ。……みんな、杖やそれに準ずるものは持っているかい!」
錵はそう呼び掛ける。集まっていた生徒会役員の生徒や、他の生徒たちがそれぞれに返事をする。昴、木実、そして澄も頷き、皆それぞれに杖を取り出した。
昴の杖は、木の枝を削ったシンプルなもの。
木実の杖は、キャンディケインのように棒を撚り合わせた形の、きらきら光る透明なもの。
澄は、杖代わりの黒い羽ペンだ。
「一年生も協力を頼む! 呪文は『――――』だ!」
魔法の呪文は、魔力を持たないものには聞き取れないことが多いらしい。どこか異国の言葉のように不明瞭に聞こえ、音を真似ることも難しいのだとか。しかし、今ここに集まっているのは、皆魔力を持つものだ。未熟ながら、魔法使い、魔術師、魔女であることは確かなのだ。錵が伝えたその呪文も、当然判別することができた。
澄はモノクルの奥で、眼をきゅうと細める。そして、いつになく大きな声で言った。
「室内の潤くんは無事です! 焦らず、落ち着いて排水してください!」
「見抜、きみ、何でそんなことが」
「今は水です! 錵先輩、合図を!」
錵は僅かに目を見開くも、短く深く息を吸って、澄に応えた。
「みんな、合わせて! ……三、二、一、」
「『――――』!」
全員の声が綺麗に揃う。
潤の部屋から出た水、潤の部屋を満たしていた水がすべて裏庭上空に吸い上げられ、一瞬の後にぱちんと消える。それを見た昴はすぐに窓に駆け寄った。澄たちもそれを追いかける。
「潤、潤!」
「……す、ばる? 昴、何で」
「潤、無事か? 良かった……」
昴はその場に座り込んでしまう。潤はそろそろと立ち上がって、窓の下を覗き込んだ。
「す、昴……?」
「大丈夫かい、躰に不調はないかな」
「え、あ、あの、誰……?」
「ああ、これは失礼。私は生徒会長の、紅蓮錵」
「あ、こ、湖池潤、です……」
「きみの部屋から水が溢れ出して止まらなくなっていたから、皆でそれを外に出したんだ。魔法のコントロールを失っていたとしたら、きみが溺れてしまっている可能性もあったから。それで、何か躰に不調は?」
「あ、いえ、ないです。何も」
未だ混乱しているし、人見知りなのもあって、しどろもどろになってはいるが。どうやら不調はないらしい。昴も、ほっとした顔をしている。
「会長! 先生を呼んできました!」
役員の一人が、逆巻とともにこちらに歩いてくる。彼は騒動を知った段階で既に校舎に向かっていたが、錵は急を要すると判断してその場ですぐ解決することにしたのだ。
「臨機応変な対応、流石だ。後で校長先生にも報告してくれ」
「はい、分かりました」
「よろしく頼むよ。……さて、湖池くん、石英くん」
逆巻は潤たちの方を向く。
「たまたま職員室にいたのが僕だったから、彼は僕をまずここに連れてきたのだが。このような状況であれば、僕を呼んで正解だったね」
さて、事情を聞かせてくれるかい。
逆巻は笑わずに言った。
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