3 白い少女と懲罰室の謎(4)
少しだけ軋るような音を立てて、扉が開く。
きらり、きらりと、光が二人の目に飛び込んだ。一度だけ瞬く。二人は部屋をぐるりと見回して、揃って溜め息を吐いた。
そこは、まるで小さな美術館といった様相を呈していた。
朝焼け、夕暮れ。夏の真昼に、冬の星空。雨も、雪も。もちろん曇り空も。空を、空だけを描いた絵が、いくつもいくつも並んでいた。どれも、シンプルな額に収められている。そしてその絵の前には、狭いテーブルというか、台のようなものが一つずつ置いてある。そしてその上には白い布が敷かれていて、絵に描かれた空をそのまま映したような硝子玉が二つずつ並べてあった。絵はどれも同じ大きさだけれど、硝子玉の中には一組だけ、とても大きいものがあった。
「……綺麗だね……」
「……うん」
卒業生か誰かが、残していったものなのだろうか? 絵の方は、まるで本当の空が目の前に広がっているかのようにさえ見えるし、硝子玉の方はまるで宝石だ。どうしても、一つずつに見入らずにはいられない。
「……
絵の隅に、小さく描かれた文字。書いた者のサインだろうか。硝子玉を作ったのも同じ人物か、それとも別人か。読みは、もしかしたら「けい」の方か? 疑問も興味も尽きないけれど、それは一先ず置いておいて、今は目を奪われていた。
「凄い、すごいよ……! 全部が光ってるみたい!」
「確かに。何だか、とても楽しんで描いたことが伝わってくるね」
木実がはしゃぐ。澄は静かにそれぞれの作品を見つめる。
絵も、硝子玉も、ちっとも埃を被っていなかった。その部屋にあるすべてが、柔らかく暖かな光を放っていた。
……どれくらいそこにいたのだろう? 二人ははっとした。
外から見える空の様子はあまり変わっていないから、恐らくそう経ってはいないはずだけれど。何だか、夢でも見ていたような感覚さえある。二人は呆然と顔を見合わせた。と、その瞬間、澄の視界の端に何かが映る。澄はすぐさまそちらを向いた。木実も戸惑いつつも同じ方を向く。
そちらにあるのは、夜空の絵だった。舞い上がった桜の花弁が、星空の中に描かれている。その前に置かれた硝子玉は、直径三センチほどのもの。絵に描かれた空と同じように、藍色の中に金銀の細かな粒と、ごく小さな花弁が舞っている。それだけだったはずが。
いつしかその前に、誰かがいる。二人。一人は灰色の髪を一つに束ねて、薄い赤茶色の眼で笑いながら、もう一人に硝子玉を差し出していた。もう一人の方は、墨色の長い髪を三つ編みにし、硝子のような真っ黒い眼で、差し出されたものをきょとんと受け取っている。反対側の手に絵筆を持ち、イーゼルに乗せられた桜舞う夜空の絵を前にしていることから、恐らくこちらが「肇」だろう。その二人の姿は、十秒も経たないうちに、ふ、と掻き消えていた。
「……今のは」
「ええ、と。澄ちゃん、何か見えたの?」
ということは、木実には今のは見えなかったのか。なるほど、と澄は内心で独り言ちる。
(なるほど。今のは、懲罰室で見えたものと同じ類のものか)
その空間に、あるいはその空間にある何かに、染み付いた想い。そうなってしまうほどに鮮烈な、体験に結び付いた感慨。あれは、そういうものだ。その場所やものが、過去を夢に見てしまっている様子、とも言えるかも知れない。
澄は昔から、そういう類のものが良く見えた。今はこのモノクルを付けているから、余程強い、はっきりとしたものでない限りは、見ようとしなければ見えないけれど。
「うん、いや……何でもないよ」
澄は僅かに口角を上げた。木実は「そう?」と首を傾げるも、気にしないことにしたのか、目を何度か瞬くと、ポケットからスマホを取り出しながら言った。
「そっか。さてと、これからどうする? 今はえっと……三時四十分だね」
「そうだね。……私はまた、図書館に行ってこようかなと思ってるけど」
「……それ、夕飯食べるの忘れるやつじゃない?」
「大丈夫だよ。忘れても、おにぎりは食べるから」
「それ、大丈夫って言っていいのかなー……」
木実は苦笑しつつ部屋を出る。澄もそれに続いた。そのまま階段を下りていくと、二階に着いたところで、錵と遭遇する。
「ああ、二人とも。……あの部屋はどうだった?」
その声音に、少しだけ悪戯っぽい色が混ざった。錵は、表情はあまり変わらないが、その分、声の色がよく変わる。
「凄く綺麗で、ちょっと時間を忘れちゃいました!」
「とても素晴らしい場所でした。先輩は、あの部屋のことをご存知だったんですね」
「そうだね。……あの部屋にあるのは、かつてこの学校に在籍していた二人の生徒がのこしていったものなんだそうだ。二人はとても仲が良かったから、同じ場所に置いてあるのだそうだよ」
「何で、あの部屋なんです? それに、構内図に記載がないのも気になります」
「さあ……そこまでは。その生徒たちがここにいたのも、もう相当に昔のことらしいからね。その頃の記録を漁ればいくらかは情報が出て来るかも知れないけれど、そもそもいつのことだか曖昧だから」
「そうなんですか……。あの部屋のこと、生徒はみんな知っているんですか?」
錵の答えに、木実が問う。彼女は思ったのだ。あんな素晴らしいものを知っている人がもし少ないのだったら、それはとても、寂しいことだと。
「……いや、そんなに大勢は知らないだろうね。わざわざ構内図を見たり、調べたりなんかしない限り、そもそも番号の無い部屋があるなんて気付かないし。私だって、会長になってから偶然知ったにすぎない」
「……そうでしたか」
木実が項垂れる。澄は少しだけわくわくしていた。
(ここにいる間に調べたいことが増えちゃったな)
澄の笑みが、少しだけ深まる。
三人は何となく連れ立って、結局一緒に交流館を出た。出入口で別れようとしたところで、突然音楽が鳴り出した。何やら不思議なメロディ、恐らく管弦楽だ。
「ああ、すまない。出ても?」
澄と木実は頷く。音楽は、錵のスマホの着信音だったらしい。
「ああ、錵だ。何かあったのか? ……はあ!? ……ちょっと待っていてくれ、すぐに行く!」
錵は電話を切ると、「悪い、もう行く!」と走って行ってしまった。
「何だろうね?」
「何だろうね。……行ってみようか」
木実と澄は顔を見合わせると、錵の後を少し遅れて走っていった。
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