3 白い少女と懲罰室の謎(3)

 交流館に到着する。錵はホールの端、小さなカウンターで、澄にレクリエーションルームの借り方を教えた。

 錵はカウンターテーブルの上に置いてあるフラットファイルを開く。中には、各部屋の番号と、日時が並んだ貸出票が挟んであった。

「この表の、自分が使いたい部屋の列と、使いたい日時の行を確認して、そこが空欄なら、自分の学年と名前を書く。これで借りられるよ」

 あ、そんな簡単なんだ。澄は少し拍子抜けする。

「どの部屋も中身に違いは無いから、空いている部屋を適当に借りればいいと思う。それとも、番号や位置取りにこだわりがあるかい?」

「いえ、特には。今日は借りませんし」

「おや、そうなのかい?」

「はい。……そうだ、錵先輩ならご存じでしょうか」

「何を?」

 錵が僅かに首を傾ける。澄は答えた。

「三階の一番端、番号のついていない部屋が一つあるでしょう? 私、あの部屋が気になっているんです。何の部屋か、どんなものか、錵先輩は知りませんか?」

「ああ、あの部屋か。……それなら、手続きは必要ない。鍵も掛かっていないから、ぜひ自分で見ておいで。悪いものではないから」

 そう答えた錵は、無表情は変わらないまでも、声音が少しだけ柔らかくなっていた。

 その後は二階に上がって、錵とはそこで分かれる。澄はそのまま階段を上って、三階へ。階段から一番遠い、端の部屋へ向かう。

 その後ろから、誰かの足音。次いで「おーい!」という呼びかけ。これは、木実の声だ、と澄は振り返る。

「おーい、澄ちゃん! やっと見つけた!」

「どうしたの、木実ちゃん?」

 澄が首を傾げると、木実は大げさに首を横に振った。

「どうしたの、じゃないよ! 澄ちゃん、お昼食べた!?」

「ううん」

「もー、やっぱり! 図書館に居なかったから、校舎の中とか、他の場所とか、念入りに探したんだよ。もしかしたら遅い昼ごはんにしてるかなって戻ってきたら、錵先輩に会って、三階に行ったって聞いたから追いかけてきたんだ」

 言いながら、木実は澄にビニール袋を差し出す。食堂で買ったおにぎりセットだ。

「具は確か、野沢菜と鮭。食堂、今はがら空きだから、行って座って食べよう」

「……ありがとう、木実ちゃん」

「ほら行こう。ご飯はちゃんと食べないとだめだよ」

「んん。うん。分かってはいるんだけどね」

 分かってはいる。一応。ただ、他に気を取られることがあると、どうしても優先順位を低くしがちだ。

「実家ではどうしてたの? あんまりご飯食べないでいたら、叱られたり心配されたりしない?」

「うち、家族もみんなこんな感じだから。今日は澄がそうなんだね、で流されてた」

「えええ……」

 木実の顔が、信じがたいとばかりに歪められる。それはいっそ、僅かな憐れみすら感じるほど。でも、本当のことなのだ。

 澄の家族は、全員が全員、研究好きの職人気質。何か思いついたことや、興味を持ったことがあれば、どうしてもそれに集中してしまって、周りのことを忘れてしまうこともしばしばだ。下手に邪魔をされたら怒ることもあるし、その「邪魔」に食事が含まれていることも多い。「どうせ一、二度食べなくたって平気」と、全員が思っている家だ。そんな家に生まれて、その中で育った澄も、それに近しくなってしまうことは当然の帰結なのだった。

「……まあ、私はまだましな方だよ。ほら、今おにぎり受け取ったし」

「そのレベル……!? ……いやあ、うちとは大違いだ」

 対して焔家は、皆がみな、食べることが好きだった。休みの日ともなれば、家族総出で凝った料理や菓子を作って、皆で食べているような家。作ったものを人に配ることもよくしていたし、人からもらった知らない食べ物をみんなで食べて、あーでもないこーでもないと話し合ったりもした。何があろうとご飯だけは食べないと、とみんな思っているし、「取り敢えず食べておけば何とかなる」とも、みんなで言うような家なのだ。

 食堂につく。階段のすぐ傍の席に座って、澄はおにぎりを取り出した。野沢菜の方だ。

「……いただきます」

「どうぞ」

(……取り敢えず挨拶は忘れないみたいだし、大丈夫かな)

 澄がおにぎりを少しずつ食べ進めるのを見ながら、木実はそう考えていた。ややあって、澄が二個目のおにぎりを取り出そうとして、ふと、止まる。

「どうしたの?」

「んー、いや、……もう一個食べたら、夕飯は別に食べなくても良いかな、と思って」

「そう言うってことは、今食べられそうってこと?」

「頑張れば」

「じゃあ、取っておいて夕飯にそれを食べればいいよ。食べないのは良くないけど、無理して食べるのも良くないからね」

「……うん、そうする」

 澄はおにぎりの包みをビニール袋に戻すと、それを持って立ち上がる。

「あ、どこ行くの?」

「三階。……木実ちゃんも来る?」

「え? ……まあ、用はないから、澄ちゃんが良いなら」

「うん。行こうか」

 二人は連れ立って、また三階へ。澄がゆっくりと階段を上る後ろから、木実もまたゆっくりと上った。

「レクリエーションルームに用があるの?」

 木実が首を傾げる。澄も少しだけ首を傾げつつ答える。

「そう……なのかな? レクリエーションルームの並びにあるのは確かなんだけど、番号がないんだよね」

「番号が?」

「うん。錵先輩にも聞いたけど、手続きはいらないから見ておいでってだけ」

「ふうん……? それなら、やっぱり見るの一択だね! 先輩が見てって言うんなら、悪いものじゃないだろうし」

 木実が軽い足どりで澄に並ぶ。澄は少しだけ歩幅を狭めた。

 そして、件の部屋の前に二人で立つ。他の部屋と同じ意匠のプレート、しかし刻印はないし、空室かどうかを示す方のプレートはない。

「何の部屋なんだろうね?」

「分からない。構内図を見たけれど、ここ十年分の記録には記載がなかったから」

 そう言うと澄は、そっとドアノブに手を掛ける。一度だけ木実と目を合わせると、ゆっくりと扉を開けた。

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