3 白い少女と懲罰室の謎(1)
「ねえ、きみ、だあれ? ねえ、みんなは知ってるかなあ? 知らない? そっかあ」
その少年は、左手にはめた黒猫のパペットに向かって話しかけた。彼の足元にも、いくつかのぬいぐるみがあって、彼の周りをくるくると回っている。
少年の背丈は、百五十センチより少し高いくらい。髪はミルクチョコレートのような茶色、耳の上だけ少し伸ばして、細い三つ編みを作っている。瞳はピンクがかった鮮やかな赤、垂れ気味の目を少し細めている。黒いシャツに黒いベスト、なぜか制服ではない黒いハーフパンツを履いて、それにつけたサスペンダーは肩から降ろしている。足元は黒いブーツ。そして黒いケープを羽織っている。留め具は赤い大きなボタンに黄色い紐を通したものだ。その上から、黒いポシェットを斜め掛けにしている。帽子もかぶっているようだが、指定のキャスケットではなく、黒い長方形の袋型のものだ。少しずらして被っているせいで、動物の耳のような形に見える。学年章は、どこにもつけていなかった。
「きみはだれなのかなあ? こんなところにいるなんて、何か悪いことでもしちゃったのかな? ねえみんな、どう思う? ……うーん、悪い子には見えない? 実はねえ、ぼくもそんな気がするんだよ」
少年は薄く微笑んで、ふわふわした声で話している。何だか、話しかけられている、という気がしない。彼の視線は、ずっとぬいぐるみたちに向けられていた。
「……私は、一年の見抜澄です。あなたは?」
「みぬき? みぬき……何か聞いたことあるなあ。ここで会ったことは、なかった気がするけれど……そういえば、そもそも話したことも無かったかも? みんな、覚えてる? ……覚えてないかあ、じゃあ、名前を言ったことも、きっとないよねえ」
「はい。もしよければ、教えていただけませんか?」
「ぼくはねえ、
顔だけは澄の方に向いているが、目線は相変わらず合わない。左手に持ったパペットをぱくぱく動かして、千尋は問いかける。
「ここは、立ち入り禁止ってことに、なっているはずだよ? ぼくはみんなが手伝ってくれるけど……きみは、そうじゃないよねえ?」
「確かにあまり褒められたことではないかもしれませんが……結界の鍵の呪文を看破して入りました。構内図で確認したら、部屋はあるのに名前がなくて、気になったので」
最初は戸惑ったものの、澄はもう、千尋の挙動にすっかり慣れていた。千尋はその様子に、少しだけ首を傾げる。
「何だかきみ、少し変。みんなが動くのにも、ぼくが喋るのにも、首を傾げない……。おまけに、ここに入ってくるなんて」
ねえ、みんなも変だと思うよね? 彼はまた、ぬいぐるみたちに話しかけた。
「私はあなたのことも、この部屋のことも、あまり知らないので。ぬいぐるみが動くのは魔法でしょうし、首を傾げるようなことはないでしょう」
澄の透明な眼が、千尋の眼を射抜く。千尋はまた目を逸らした。
「……ここはぼくらの秘密基地。これはぼくらのおもちゃ箱。もしも、もう一度来てみたいなんて思うなら、今度はもっと見せてあげる。でも、今日は帰って。今日はまだ、見せてあげられないから」
「はあ……はい。分かりました」
澄はそのまま足を進め、千尋の横を通り抜ける。
扉を閉める前に、澄は振り返って、軽く頭を下げる。千尋は薄い笑みのまま右手を振って、彼の左手の黒猫も両手を振っていた。澄が顔を上げても、彼とは結局、目が合うことは無かった。
澄が扉を閉める。彼女が纏わせていた光の球も全て出て行ったから、懲罰室の中は真っ暗になる。
千尋は穏やかな笑みを絶やさない。傍らにぬいぐるみたちがいるからだ。そして今日は、新たなぬいぐるみがまた一つ増える日だからだ。千尋はポシェットから、小さな懐中電灯を取り出した。
懐中電灯で道を照らして、彼は懲罰室の、一番奥の房まで向かう。鉄格子の扉には、鍵が掛かっていない。それを無造作に開けて、彼はその中に入った。そして明かりのスイッチを押して、懐中電灯を消す。
そこには、可愛らしい子ども部屋のような空間があった。ふかふかのキルティングのラグ、揃いのデザインのクッション。布のかかった籠もいくつか置いてある。どれもとりどりのパステルカラーで彩られていた。……壁に打ち付けられた鎖と、天井から下がる無骨な電球には、似つかわしくないが。
しかし千尋は、そんなことは気にしていない。ラグの上に座り込むと、懐中電灯をその辺りに転がして、左手のパペットを外す。それからポシェットを開けて、毛むくじゃらの何かを取り出した。それから、籠の中からも、似たような毛の塊をいくつか取り出す。
「みんな、もう少しで新しい仲間ができるから、待っててね」
ぬいぐるみたちが鉄格子の傍に並んで座っているのに向かって、そう声を掛ける。そしてポシェットからさらに何かを取り出す。鋏に針に糸、ボタンやビーズ、アップリケ……裁縫道具の類だ。
「どんな色にしようかなあ……」
その呟きを最後に、千尋の声はしばらく聞こえなくなる。
鋏で何かを切る音、針で縫う音だけが、止まずに響いていた。
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