幕間1 スイーツ少女の杖の話

 真明学院に入学が決まり、早々に入寮したあたしは、製菓研究会の見学に通っていた。

 入寮から四日目、製菓研の先輩たちと顧問の先生に誘われ、あたしは初めて、学院敷地内の果樹園に足を踏み入れた。

 多種多様な、樹木の形をした鉱石――本当は逆で、この鉱石が段々と今の植物になっていったらしいけれど――鉱樹こうじゅが、日光に照らされきらきら輝いている。

 今日の製菓研の活動は、果樹園の管理委員会の人たちと一緒に、春に取れる実の収穫をすることらしい。まだ正式には入部できていないあたしも、それに参加させてもらえることになった。

 今日収穫するのは、梅の実。鉱樹の梅は、幹や枝は黒に近い茶色で半透明、葉は薄い緑色で透明な中に、濃く不透明な緑色で葉脈が入っている。そして実は、黄緑色をした丸い透明な石を、小さな切子面ファセットで囲うようにカットしてあるかのようだ。日に透かすときらきらして、最初からこの形のまま生るなんてちょっと信じがたいくらい。「中身を見てみます?」と製菓研の出水先輩に進められるまま、ぱきりと半分に割ってみれば、梅特有の酸っぱい香りがふわりと立ち上る。断面は、縁から内側に行くにつれて、緑色から黄色にグラデーションしているのが分かった。

「種は入っていないんですね」

「ええ。実そのものが種でもあって、魔力が豊富な土に埋めておけば、時間はかかるけど樹が生えてくるそうよ。もっとも、この果樹園じゃそんなことしないけどね」

 管理委員会のメンバーである別の先輩が通りがかると、そんな風に笑って離れていく。鉱樹は生長するのに沢山の魔力を使うから、次第に魔力を必要としない植物の形に変わっていった。そのためこうして残っているのはとても少なく、今この国には、真明学院の本部、第一・第二地方支部のそれぞれの敷地内にある分しかないらしい。当然、実家の周りでも見たことなかった。こんなにきらきらした、宝石みたいなものが食べられるなんて! どんな味がするんだろう?

 あたしがよっぽど食べてみたそうにしていたのか、出水先輩は赤い髪を揺らしながら笑って、「生で食べるのは少し難しいですね」と言った。

 そうだ、生では食べられないのだった。綺麗な青梅の色だし、砂糖漬けにしてシロップを作ったらいいだろうか。炭酸水で割るとすごくいい匂いの梅ソーダにできるし、ゼリーを作っても綺麗だし。ゼリーにはシロップから取り出した実を入れても良い。ゼリーじゃなくて、寒天を使って錦玉羹にするのも素敵だろう。刻んでチーズケーキに入れても美味しいよね……。

 そう思い浮かべた次の瞬間、あたしの頭上の枝になっていた梅の実が、あたしが思い浮かべたとおりのお菓子になって目の前に落ちてきた!

 あああ、またやってしまった……。切子のグラスに注がれたソーダは炭酸水とシロップがまだ混ざり切っていなくて淡いグラデーションを描く中に、泡がはじけてきらきら光る。それに、やっぱり想像した通りのいい匂い! 足つきの硝子皿に盛られたゼリーは薄い黄色、刻んだ実は輪郭が曲線的になって、ゼリーと一緒にフルフルと揺れる。錦玉羹は四角く切ってあって、実がまるごと中に閉じ込められている。チーズケーキはそのきめの細かさを、梅の実と共に断面に示していた。

 あたしは、ものをお菓子に変える魔法が使えるけれど、その制御がとっても下手。頭の中でお菓子のことを思い浮かべただけで、その通りのお菓子が生まれてきてしまう。おまけに、今回は周りにあった梅の実のいくつかを使ったみたいだから良いけど、この魔法は、生き物をお菓子に変えることも出来てしまうのだ。今までも、虫や鳥、猫や犬をお菓子に変えてしまったことがあった。それに、まだ幸運にもやったことは無いけれど、人間だってお菓子にしてしまえるかも知れないのだ。あたしがこの学校に入ったのは、この魔法を制御できるようになるためというのが理由の一つなのだった。

 いい匂いを漂わせるお菓子に囲まれながら溜め息を吐く。すると、

「あら、こんなに美味しいのに、何をそんなにしょげてるの?」

「……えっ?」

 聞き覚えの無い女の子の声。きらきらと高いこの声は、さっきまで話していた先輩じゃない。そう気付いて顔を上げる。

 そこにいたのは、……女の子? ふわふわ、くるくるした、焦げ茶色の髪の毛に、梅の鉱樹の葉を飾って、髪と同じ色の軽やかなワンピースの裾には、これまた梅の鉱樹の葉と実が飾ってあって、少し動くたびにきらきらとする。硬質の肌でできた顔立ちは、年端もいかぬ女の子にも、長い時を経て老成した女性のようにも見える不思議なもの。でも、とても綺麗なことには疑いが無い。

 そんな彼女は太い木の枝の上に座って、裸足をぶらつかせている。チーズケーキを片方の掌に乗せて、もう片方の指先で少しずつつまんで食べ進める。きょとんとするあたしと目を合わせると、彼女はケーキの最後のひとかけを飲み込んで、くすくす笑った。

「だ、誰……?」

「あら、あら、分からない? わたしはわたしよ、あなたじゃないわ。それともホントに知らないかしら? わたしはわたしよ、誰かじゃないわ!」

 彼女は髪を揺らして笑いながら、ゆっくりとあたしの前に降りてくる。足元をよく見ると、地面についていなかった。浮遊魔法の類だろうか?

「ほんとのホントに知らないの? それはそうよね、初めてだもの! でもね、わたしは知ってるわ。誰かに誰かと訊くときは、まず自分から名乗らなきゃ!」

 軽やかな口調で歌うように話す彼女に、成る程、それはそうだと思い直す。あたしは彼女ときちんと目を合わせると、口を開いた。

「あたしは、焔木実。この学校の新入生です。よろしくお願いします」

 そう言って頭を下げ、また上げる。すると彼女は、呆気にとられたように目を丸く見開いた。そして次の瞬間、どうにも堪えられないと言ったようにくすくす笑い出し、終いにはとうとう、お腹を抱えて口を開けて笑う。

「ふ、ふふふふふ、あはははは! ほんとのホントに教えちゃうのね、知らないからってばかみたい! 成る程いいわ、教えてあげる。正直なこどもは可愛いものね!」

 笑い過ぎた彼女の目に、涙が滲む。彼女はそれをそのままにして、息を整えると私に向き直った。

「わたしは妖精。この樹の妖精。この梅の鉱樹のその全てが、わたしそのもの、わたしの全て。可愛い人の子、あなたのお菓子、とってもとっても美味しかったわ!」

「は、はい。ありがとう、ございます……? って、妖精?」

 妖精?

「妖精って、あの……?」

 妖精、精霊、スピリット、フェアリー……いろいろ呼び名はあるけれど、大体の特徴は共通して伝わる。古いものや、魔力の込められたものに宿る、或いはそれらが変化して発生する、生き物に似た形を好んでとる種族。人の子供が好きで、悪戯も好き。彼らにだけ伝わる魔法があるらしく、そのタネになりそうなものを渡せば、どう使われるか分からない。特にそれそのものが原始的な呪文であり魔法である『名前』は、どうあっても教えてはいけない……。

 名前、はっきり名乗っちゃったけど!? どうすれば!?

「おおい、先生を呼んできましたよ!」

 いつの間にかどこかに行っていた出水先輩が、戻ってきて声を上げていた。私がそちらの方を向くと、妖精の彼女も同じように、声のする方を向いたのが分かった。

 先輩が連れてきたのは、ネイビーのスーツを着た男の人だった。恐らく年の頃は五十代くらい、灰色の髪を緩めのオールバックにして、瞳も少し茶色がかった灰色。そして彼を追いかけて、尻尾の長い白い兎のような何かが跳ねていたり、何本も尻尾のある小さな銀色の狐のような何かが走っていたり、白い梟のような何かが羽ばたいていたりする。

 彼を見た途端、妖精の彼女がひゅうと音を立て彼の下へ飛んでいく。そう距離があった訳でも無いのに彼女は急いて、白い動物のような何かが驚いたような顔をして掻き消える。距離を詰められた彼は少し眉を顰めつつも慣れた様子で、彼の周りをくるくると飛ぶ彼女をあしらいながらこちらに向かって歩いてきた。

「サカマキ、サカマキ、やっと来たのね! 近頃全然来なくって、わたしもみんなも寂しかったわ! 今日は一緒にいられるのでしょ? わたしとみんなと遊びましょうね!」

「僕は、うっかり君を引っ張り出してきてしまった生徒の様子を見て、自分を引っ張り出した子にちょっかいを掛ける君を止めて叱るために来たんだ。君たちと遊んでいる時間は無いよ」

「ひどいわサカマキ、今日もなの? いつもいつもそう言って、いつもいつも帰ってしまう! 一体いつまで待ってたら、あなたと一緒に遊べるの?」

「まだしばらくは後だろうね。新しい年度が始まったばかりで、今は忙しいんだよ」

 その人――『サカマキ』先生?――はそう言いながら、ひらひらと手を振って妖精の彼女を引き離す。そうして私の前で足を止めた。

「君は一年生だね。名前は無事かい?」

「い、いえ……。名乗ってしまいました」

 あたしが項垂れると、サカマキ先生はふむ、と顎に手を当てた。そしてすぐ、妖精の彼女に振り向いた。

「一体何を企んで、この子の前に出てきたんだい?」

「あら、人聞きが悪いわね。何も酷い事はしてないし、悪い事も考えてないわ! お菓子が美味しそうだったから、食べてみようとしただけよ?」

 妖精の彼女は、そう言って丸い目を瞬かせる。先生が「お菓子?」と首を傾げると、彼女は心底楽しそうに笑った。

「そうよサカマキ、聞いてちょうだい。この子が私の梅の実を、素敵なお菓子に変えて見せたの!」

 彼女ははっきりとそう言った。サカマキ先生はもう一度ふむ、と頷くと、あたしに向き直った。

「彼女の前でやったことを、もう一度やって見せてくれないか」

「え、あ、でもあたし、コントロールが上手く出来なくて。もしかしたら、上手くいかないかも……」

「そう気負わずに。そもそも君くらいの年頃になると、魔力のコントロールは多かれ少なかれ不安定になるものなんだ。上手くやろうと意識しすぎると肝心の魔力そのもののコントロールに注意が向かなくなるから、落ち着いて、集中してやってごらん」

 あたしが俯くと、サカマキ先生がそう答えた。その言葉に顔を上げると、先生はうっすらとではあるけど、さっきまでの不機嫌そうな顔からは想像できないくらい優しい微笑みを浮かべていた。

 私は先生に頷くと、梅の枝から実を一つ取った。球に近い多面体、宝石のようなきらめき。やっぱり、こんな夢みたいな食べ物があるなんて少し信じがたい。でも、あたしには分かっている。これが、さっき私が生み出したお菓子のようになれる可能性があるってことが。そしてそれは、私が今ここで実現可能だってことが。

 小さく小さく、あたしにだけ聞こえるように呪文を呟く。途端に、あたしの指先から魔力が流れ出し、梅の実を変質させていく。

 きらきらした宝物のような梅の実。氷砂糖と一緒にしてシロップを造ろう。そしてそのシロップと、取り出して細かく刻んだ梅の実でゼリーを作るのだ。もとの梅の実みたいにきらきらしたゼリー。少し硬めに、元の実よりは小さめの球形に作って、一個ずつ透明なフィルムに包んで。

 目を瞑ってイメージする。摘まんだ梅の実の質感が、フィルムのかさかさした感触の向こうの柔らかいゼリーのそれに変わっていく。きっと出来上がったゼリーは、淡い黄色の中に透明な黄緑色が散らばっている。包みを解いてみれば、少し甘やかになった梅の香りがふわりと立ち上る。そしていよいよ口に入れたのなら、さっきよりも主張を強めた香りが早く早くと急かす。それにつられて歯を立てれば、とろりと口の中で溶けていくのだ。

 ぱちり。頭の中のスイッチが切り替わったような感覚。魔法の行使が完了したときの合図のようなそれに目を開けば。

「う、わぁっ!」

 手の中にあった梅の実は、確かにイメージ通りのゼリーになっていた。なっていたのだけれど……。

 果たして元は何だったのか。沢山の梅ゼリーが、私の頭上から降り注いだ!

 妖精の彼女の足元にもそれは転がっていって、彼女はそれを摘まみ上げる。そしてその包みを解いて、ゼリーを口に放り込んだ。

「うふふ、やっぱりあなたのお菓子、とってもとっても美味しいわ! ねえ、他のみんなにも、食べてもらっていいかしら?」

 心底楽しそうな彼女の言葉に、サカマキ先生は溜め息を吐く。そして額に手を当てて言った。

「駄目だ、と言っても、君はどうせ聞かないんだろう? 全く……」

「流石サカマキ、わたしたちのこと、本当によく分かってる! そうよ、わたしは聞かないわ。だって楽しそうなんだもの! ねえみんな、出てきてちょうだい? とっても美味しいお菓子があるの!」

 その言葉に合わせ、広い果樹園のあちこちから、彼女に似た女の子たちが現れた。髪の長さや色、質感が違ったり、花を飾っているのもいる。彼女たちは代わる代わる寄ってきて、私の足元に散らばったゼリーを拾い、食べていく。中にはいくつも持っていく子もいる。そして口々にゼリーの出所を話し合う彼女たちに、梅の妖精が自慢げに説明を始めた。

「ほらほらみんな聞いてちょうだい。ついさっき来た可愛いこども、彼女がわたしの梅の実を、甘いお菓子に変えたのよ」

 彼女の歌うような語り口に、他の妖精たちがうんうんと頷く。そしてまた口々に、歌い交わすかのようにそのこども……あたしのことを噂し始めた。

 そのうち、一人の妖精が何処かへと飛んでいく。程なく戻ってくると、彼女は手に持った何かを、あたしに差し出した。

 彼女の髪で咲いていたのは、薄いピンク色の透明の花。花弁は円く、五枚集まって小さく花の形を作っている。そして彼女が差し出したのは、柔らかな紅色をして、掌に収まるほどの丸い実。

「この実はわたし、甘い桃の実。この前この実がなったとき、この一つだけとっておいて、時を止めて隠しておいたの」

 妖精にはそんなこともできるのか。あたしが受け取ったその桃は鉱樹の実で、切子面の稜線がぴしりと真直ぐで、持ち重りがする良いものだった。

「何かに使おうと思ってたけど、いい機会だからあなたにあげる。梅の子にしてあげたみたいに、美味しいものを作ってちょうだい」

 別に、わざわざ梅の妖精のために、と作ったわけではなかったのだけれど。面白がりつつも、あたしが作るお菓子を楽しみにしてくれるのなら、やるしかない。

 あたしは桃の実を両手で持って掲げると、再び目を閉じて呪文を呟いた。桃の皮のさらさらとした感触が、イメージした通りのものに変化していく。

 今度イメージしたのは、桃のタルトだ。アーモンドパウダーを入れた甘いさくさくしたタルトにヨーグルトムースを流し込み、その上に薄く切った桃のコンポートを薔薇の花のように並べる。

 あたしは掌の広げ方を変え、タルトの底を受け止める。魔力の行使が完了し、タルトが完成する。目を開けた。

「……やっぱり、またか」

 さっきの梅ゼリーみたいに沢山降ってきたりはしなかったけど、やっぱりあたしが考えていたよりも多くのタルトを作ってしまった。それらが地面に落ちてしまう前に、桃の妖精や他の妖精が受け止めてくれる。そしてそのタルトを何も使わずに切り分けて、皆で食べ始めた。

 このタルトも、妖精たちは気に入ってくれたらしかった。あたしの手の上のタルトも半分くらい残っていたのを見て、サカマキ先生が言った。

「僕も、そのタルトを食べてみていいかな?」

「俺ももらえませんか」

 出水先輩もそう言った。あたしが了承すると、サカマキ先生が軽く指を振った。その指先から、魔力の籠もった風が吹き、残っていたタルトを三等分にする。先生と先輩が一切れずつ取って食べ始めた。

 皆が食べているのを見ると、あたしも食べたくなってくる。最後の一切れを持ち換えて、先の尖った方から口に入れた。

 イメージした通りの美味しさだ。タルトはさくさくしているかと思えば、ムースと触れた面はしっとりしている。桃のコンポートは柔らかいけど、もともとの食感も少し残っている。ヨーグルトムースはとっても滑らかで、桃と相まって爽やかな酸味と甘みが口の中いっぱいに広がった。

「美味い……」

「とても美味しいです! 今度製菓研でも作りましょうよ。俺がこのタルトに合う紅茶を選んできますよ」

 サカマキ先生は薄く笑んで呟き、出水先輩はとても楽しそうに提案する。あたしは頷いた。

「分かりました! じゃあ今度、レシピを持っていきますね!」

「はい、お願いします」

 出水先輩が、あたしに向かってまた微笑んでみせる。その横で、タルトをあっという間に食べ終えたサカマキ先生が言った。

「しかし、これだけの完成度で、ものを菓子に変換できるのだから、魔力の方向付けそのものは上手くいっているはず。何で他のものまで変わってしまうんだ……?」

 その言葉に、あたしは腕を組み、出水先輩は顎に手を当てた。

「考えられるとすれば、魔力を過剰に使ってしまっている可能性でしょうか。しかしそれだと、もともとの魔力量にもよりますが、躰に負担がかかるから自覚しやすいはずですが……。どうですか?」

 出水先輩があたしと目を合わせて問う。あたしは首を横に振った。

「あたし、魔力量自体は平均より少し上くらいで、そんな多くないですけど、この魔法を使った後に負担を感じたりはしませんね……。勿論、また制御に失敗したっていう心労はあるんですけど」

 そう言って苦笑する。出水先輩が眼鏡の奥で、青緑色の目を眇めた。すると妖精たちの、くすくす、くすくす、という笑い声が聞こえ始めた。

「あら、気付いていなかったのね」

「わたしたちから見てみれば」

「答えは一目瞭然なのに!」

 妖精たちが代わる代わる告げる。その声に、あたしも先生も先輩も振り向くと、妖精たちはまたくすくすと笑った。

「分からないなら教えてあげる」

「可愛いこどもに教えてあげる」

 そう切り出した妖精たちの話すところによると、どうやらこういう理由らしい。

 あたしは、魔力に方向付けを行う際に、他のものに含まれている魔力をも変質させてしまっているらしいのだ。

 使おうと思っている魔力を変質させようとするとき、周囲にある別の魔力も無自覚に一緒くたにしてしまう。変質させようというはたらき――つまりはイメージ――が多過ぎて、溢れてしまっているような状態らしい。

 そしてそれが、ただお菓子のことをイメージするだけでも起こってしまうことがあるのだ。「魔法でものをお菓子に変える」イメージがほんの少しでもあれば、お菓子そのものに対するイメージがそのまま、魔法のためのイメージになるのだとか。

 要は食い意地が張ってるってことね、というある妖精の笑い声に、あたしは頷かざるを得ない。

 確かにあたしは食べることが大好きで、何かにつけ美味しいお菓子のことを考えてしまう。その癖が治らない限り、この魔法を制御することが出来ないのだとしたら、それはほとんど不可能と言われているに等しい。

 すっかり項垂れてしまったあたしに何か思うところがあったのか、サカマキ先生が口を開いた。

「おい、君。この子の名前を聞いたんだろう?」

 話し掛けられたのは、梅の妖精のようだった。

「ええサカマキ、その通りよ。可愛いこの子が名乗ってくれたの」

「それを対価に、この子が魔法を制御できるようにしてくれ。そうすれば、彼女にちょっかいを掛けようとしたことを不問にする」

 それはつまり、サカマキ先生が梅の妖精をこのことで叱ることはないということだろう。でも、たったそれだけのことで、そんなことをしてもらえるものだろうか。

 妖精の彼女は、とても嬉しそうに、でも少し申し訳なさそうにこう言った。

「サカマキが怒らないのなら、それはとってもうれしいわ。でもねだけどね、名前一つじゃ、対価には少し足りないかしら。もう一つくらい何か貰えば、きちんと言うとおりにするけれど」

 あたしはその言葉に、ば、と顔を上げる、でも、またすぐに俯きたくなってしまった。

 あたしに、対価として渡せるようなものが何かあるだろうか。自信を持っていえるものはそうそうない。それこそ、あたしが作ったお菓子くらいしかない。……あ。

「あ、あの! 梅の妖精さん!」

「あら、何かしら?」

「あの、対価なんですけど、あたしの作ったお菓子じゃだめですか。月に一度、あたしがお菓子を作って渡しに来ます。それじゃだめですか」

 あたしの言葉に、梅の妖精は少し悪戯っぽい顔になる。

「月に一度は少ないわね、せめてもう一度持ってきなさい」

「え、あ、はい」

「それに、作ってきたのを渡すんじゃだめ。この果樹園で作ってちょうだい。あなたのその、素敵な魔法で」

「はい。この魔法で……」

「それなら良いわ。あなたがここからいなくなるまで、ひと月に二度、果樹園に来て、魔法でお菓子を作ること。それならわたし、助けてあげる」

 彼女は笑みを、優しい温もりを持ったものに変えた。

「……はい!」

 あたしの返事に、サカマキ先生がほ、と息を吐いた。

「君にしては随分と優しい条件だね」

「だってサカマキ、怒るでしょう? あの子にあんまり吹っ掛けたら」

「そうだね。あの子じゃなくても、うちの生徒だったら怒るよ」

 先生が、少し眉根を寄せる。その様子に、梅の妖精が溜め息を吐いた。でもすぐに、気を取り直したように顔を上げると、他の妖精たちに話しかけ始める。

 その言葉は、人の言葉とは違っていた。多分、妖精たちの言葉なんだろう。まだ異種言語学の授業を受けていないあたしには、内容がちっとも分からなかった。おまけに、とても声が小さくて更に聞き取り辛い。先生と先輩も、その声が聴きとれていないようだった。

 そのうち、妖精たちは話を止める。そして彼女たちの内、梅の妖精を含む何人かが輪になると、その中央で何かが光り始めた。その光が段々と強くなり、あたしはとうとう目を瞑ってしまう。一瞬の後、光が消えてあたしが目を開けると、梅の妖精が何かを持ってあたしの前まで近づいてきた。

「はい、あなたにこれをあげるわ。私たちの枝と葉を、使って作ったものだから、大事に使ってちょうだいね」

 あたしはそれを受け取る。それは二つあって、片方は杖だった。何本かの鉱樹の枝を撚り合わせ、曲げてある。キャンディケインにも似た形のそれは、きらきらと光を透かしている。もう片方は、ブローチのような飾りだった。鉱樹の葉を少しずつずらして重ね、飴の包み紙のようにひねってある。この飾りを身に着け、杖を使うことで、魔法を使うときに溢れたイメージを掬い上げ、自分の使おうとしている魔力だけに乗せることが出来るようになるらしい。

「あの、ありがとうございます! 大切にします」

「それなら良いわ。それからお菓子、待っているから。欠かさずに来てちょうだいね」

「はい!」

 妖精の彼女は満足げに頷くと、他の妖精たちより先に何処かに姿を消してしまった。他の妖精たちも、次第にいなくなる。そして最後の一人が姿を消すと、サカマキ先生が大きく息を吐いた。

「……取り敢えず、一度外に出よう。もう昼だし、他にいた生徒たちもとっくに出ている。食堂に行っているだろうから、僕たちも向かおう」

「はい、先生」

 あたしと出水先輩は頷いた。そして三人そろって果樹園を出る。

「君は一年生だね、名前は?」

「焔木実、と言います。よろしくお願いします」

「僕は逆巻一陣という。担当科目は歴史、今年の一年生のクラスの担任も務める。よろしく。それから、君は二年の出水樒君だね」

「はい、そうです」

「君は何故、僕を呼ぼうと考えたんだい?」

 逆巻先生の問いに、出水先輩はこう答えた。

「逆巻先生は、よく妖精を連れていますから。こういった事態に詳しいのではないかと思いまして。まあ、まさかあの妖精たちとあそこまで気軽に話せるとは知りませんでしたが」

 出水先輩の言葉にあたしは、あ、と気付く。あの時先生の周りにいた白い動物に似た何か、あれも妖精や精霊の類だったのか。

「成る程。悪くない判断だったと思う。これからもよろしく頼むよ」

「はい。また何かありましたらよろしくお願いします」

 出水先輩が頷くと、逆巻先生は眉根を寄せたまま、またあたしの方を向いた。

「今回は上手くことが運んだから良かったものの、相手によっては危険な目に遭う可能性もある。妖精の類には気を付けなさい」

「はい。これからはそうします」

「それから……」

 先生が、少し言い淀む。私が首を傾げると、程なくまた口を開いた。

「君はお菓子作りが得意なのだね。今度、製菓研を訪ねても構わないかな」

「え、ええと……あたしは別に構いませんけど……」

「そうか。……実は、甘いものに目が無くてね。また食べさせて貰えると嬉しいと思ったんだ」

「え、そうだったんですか?」

 出水先輩が問う。先生は表情を変えないまま、小さく頷いた。

「そういうことなら、製菓研総出で歓迎しますよ。俺も、お菓子に合うお茶を用意していますから」

「そうか。……ありがとう、よろしく頼むよ」

 出水先輩の言葉に、逆巻先生はまた、薄っすらと笑った。

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