1 白い少女の人探し(5)
真明学院の図書館は大きい。
本校舎と同じくらいの大きさがあるその建物を前に、二人の反応は大きく違っていた。
木実はただただ圧倒されている。
澄は爛々と目を光らせている。
図書館の外見は、これまた洋館の趣である。ただし寮とは違って、堅牢そうな印象がある。外壁は赤みがかった茶色の煉瓦風、屋根は墨色の洋瓦。窓は小さく、数もそう多くはなかった。
澄はいかにも気が急いた様子で、墨色の両開きの扉を片方開けて入っていく。木実は少々苦笑いを浮かべていたが、澄の様子に気付くと慌てて追いかけた。
図書館は、三階までの吹き抜けになっていた。シンプルなシャンデリア風の照明は光量を絞られ、限られた数の窓がある部分を覗いて、壁は全て本棚で隠れている。三階と二階には、本棚の前に重厚な木のテーブルや椅子が並べてあって、そこで本を読んだり作業をしたりできるように小さなデスクライトが置いてあった。一階には更に本棚がずらりと並んでいて、どの棚も本がぎっしり詰まっていた。床にはワインレッドの絨毯が敷き詰められている。入り口すぐ横には重厚な木のカウンターがあり、図書委員だろうか、一人の生徒が中に控えていた。
澄は静かに、しかしわくわくとした様子を隠し切れずに、きょろきょろと辺りを見回している。木実も中に入るのは初めてだったから、興味深げに館内を眺めた。
(私、在学中にどのくらい、ここの本を読めるだろう)
澄は興奮したまま、彷徨うように本棚の間を進んでいく。木実はそれをそっと追いかける。澄が立ち止まって本を開く度に、木実はその周りの本を何となく眺めた。
「……あ、ごめんね。私、つい夢中になっちゃって」
「いや、いいよ。あんまり見ないものが見られて面白いし」
「……そう? じゃあ、もう少しだけいてもいいかな」
「うん」
木実が頷くと、澄は少し申し訳なさそうに、それでもとても嬉しそうに微笑んで、また歩き始める。
澄はどんなジャンルの本棚を前にしても、一度は足を止める。料理に関する本の前では、木実も思わず何冊かを手に取って眺めた。
澄はどんどん奥に進んでいく。光量が絞られている分、部屋の端に行けば行くほど暗くなってきてしまう。
(何か、少し怖くなってきた)
木実がそう考えていると、本を開いていた澄が彼女の方に振り向いて薄く笑んだ。モノクルの奥の目が、きゅうと細まっている。
「この辺りには、力を持っている本も並んでいるみたいだからね。……出来るだけ早めに戻ろう」
「えっ? い、いいの?」
「うん。在学中に何回も来るだろうし、今日のところは」
澄は静かな声で言う。木実は戸惑いつつも、その提案をありがたく受けることにした。
「じゃあ、そうしてもらっていいかな……?」
「うん。それじゃあ、行こう」
二人は静かに本棚の間を抜けていった。墨色の扉を開けば、その明るさに少しだけ目が眩む。木実が外に出たのを確認して、澄はそうっと扉を閉めた。
「……案内ありがとう、木実ちゃん」
「ううん。最後は途中で切ることになっちゃったし、ちょっと申し訳ないよ」
「それはいいんだよ。今日で全部見て回ることは、多分できなかったし。この図書館、地下室もあるらしいから」
「そうなんだ!? あたしが行くことは、あんまりないだろうなあ。……そういえば、これからどうする? 夕飯……には、まだ早いかな……日は少し沈んできたけど」
木実がそう言って、まだ少し明るさに慣れない目を眇めていると。
「――
一人の男子生徒が、図書館の前まで走ってきた。いったん足を止めると、辺りをきょろきょろ見回す。
彼は、背の高い少年だった。恐らく、百八十五センチほどはある。左右に軽く分けた少し長めの髪は、僅かにくすんだオレンジ色。瞳は高貴なピンキッシュオレンジ、少し吊り気味の目は、右側の方に泣き黒子がある。全体的に、かなり整った顔立ちだ。制服は黒いシャツに、前を開けた黒いベスト、ボトムスはスラックス、靴はローファー。襟元には白いネクタイ。学年章は腰に留め、はまった硝子は緑色だ。黒いキャスケットを、何故か被らずに右手に持っていた。
「あっ、なあ! あんたら、潤を見てないか?」
「潤? どんな人?」
彼の性急な問いに、木実はゆるりと首を傾げる。
彼の説明によると、『潤』は青い髪に紫色の瞳の少年らしい。
「少し目を離したらはぐれちまって……あいつ、多分どこかで泣いてるだろうから、早く見つけてやらないと」
彼は悔し気に俯く。木実と澄には、彼の表情がよく見えた。
澄は少し目を瞑って、ゆっくり開く。そして少年に尋ねた。
「あの、あなたが右手に持ってる帽子は、あなたのもの? それとも、『潤』くんのもの?」
「は? ああ、潤のものだ。あいつがこれを落としたのを拾ってたら、見失っちまったんだ」
「……それ、貸してくれる?」
澄は軽く首を傾げる。その表情は消えていた。少年は訝し気な表情を隠さなかったが、しかし断る理由もないと考えたのか、それとも澄の無表情に威圧されたか、「……ああ、ほら」と、澄にキャスケットを手渡した。
澄は小さな声で「ありがとう」と言うと、右手に持ったそれを矯めつ眇めつしながら、目を柔らかく、きゅうと細める。
「……こっち」
澄はキャスケットを持ったまま、ふらりと歩き出す。しかし意外にもしっかりとした足取りで、彼女は真直ぐ北へ、そして寮の裏手に出る。
生徒用の寮の裏は、少しだけ上り坂になっている。そこを裏庭のように挟んで、教員用の寮もある。そしてその裏庭の端には、小さな池があるのだ。あまり人が集まる場所ではないが、日は当たるし、澄んだ池の傍にはベンチも設置されている。
そのベンチに、瑠璃色の髪の少年が座って啜り泣いていた。
「……っ、潤!」
「……
背の高い少年……昴が、潤に駆け寄る。昴に手を取られ、潤は立ち上がった。
潤は、背の丈は昴より低い。差は二十センチほどだろうか。前髪が少し長く、その下の目は丸い垂れ目、眉尻も下がっている。瞳の紫色はとても鮮やかだ。制服は白いシャツ、黒いベスト、スラックスとローファー。襟元のネクタイは、白地に黒いストライプが入ったものだ。しかし酷く不器用なのか、絡まってリボンのような形になっていた。ベストの胸には、五芒星を六つ、星型に組み合わせたブローチ。右上の星に、黄色い硝子がはまっている。高等部特別科一年生の証だ。そしてブローチとベストのボタンを繋げるように、金色の細い鎖が掛かっていた。
「ああもう、お前またネクタイ解いただろ」
「違うよ、ちょっと引っ掛けたら解けちゃったんだよ。でも、上手く結び直せなくて」
「……ほら、できた。お前も自分で結べるようになった方がいい。練習なら付き合ってやるからさ」
「……はい、『昴』くん。帽子。あ、それとも、『潤』くんに渡した方が良いのかな」
いつの間にか近付いてきていた澄が、二人にキャスケットを差し出す。潤がおずおずと手を伸ばして、それを受け取った。
「え、ええと……昴、この人たちは?」
「ああ、お前を探すのを手伝ってくれたんだ」
「初めまして、見抜澄です。よろしくね」
「あたしは焔木実! おんなじ一年生同士、これからよろしくね!」
潤の問いに、昴が澄たちを手で示す。澄と木実は順番に名乗って、二人に微笑みかけた。澄は薄いが柔らかく、木実は朗らかに。
「え、ええと、
「そういや俺、名乗ってなかったな。
少年たちも微笑んで名乗った。
「そういえば、二人はいつ来たの?」
「今日の昼過ぎだな」
「そのためにお昼ご飯を早く済ませたから、お腹空いたな……」
「じゃあ、食堂に行こうか。あたしたちはお昼遅かったけど、夕飯を食べてもおかしくない時間だし」
「そうだね。ちょっと軽めにすればいいかな」
「いや、澄ちゃんが軽めにしたら、すっごく少なくなっちゃうでしょ」
「そんなことないよ」
木実の提案に、澄が賛成する。昴と潤が頷いた。
「そうだな、いいんじゃないか。潤はどう思う?」
「いいと思う。昴が行くなら、ぼくも一緒に行くよ」
「もちろん! 一緒に食べよう!」
昴は快活に、潤はおどおどと笑う。四人はそのまま、連れ立って食堂に向かった。
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