朝の光は眩しくて:10

「予定に遅れが出ているが、調査隊は変わらず『砂漠の鏡』に向かう。モンスターの襲撃に引き続き警戒せよ」



 明朝。第一班リーダーの言葉を合図に調査隊は隊列を整え、引き続き『砂漠の鏡』へと歩みを進めた。第三班は昨日と同じように先頭の第一班と殿の第二班の間に挟まれる形で進軍する。先日までは、問題児の寄せ集めであった第三班を若干警戒しての編成であったが、今日に至っては、索敵に秀でているソーラとミウが四方を警戒し、全体にすぐ指示が出せる様にこの隊列で組まれているようだ。


 昨日の負傷者や罹患者も、軍医の看護と薬が効果的だったのか、問題なく歩ける程度にまで回復していた。憂いとすればまたモンスターの襲撃を受けることだけであったが、正午近くになった時点で無事平穏に行軍し、調査隊全体の緊張感は少しだけ緩んだ様子だった。


 砂漠の地平線がどこまでも広がる最中。開けた視界が続く光景を進んでいる。このペースなら夕方には湖の近くにある観測所に到着できるだろうといった所。

 ソーラは湖のある方向に目を凝らして、怪訝な顔を浮かべていた。



「ねぇね、何か異常?」



 ミウの問いかけに一瞬緊張感が走ったのは第三班の面子である。ソーラの気づきは他の人には気づけないものだ。今度もモンスターが近づいてきているのかと一瞬警戒するが、ソーラは「緊急ではない」と首を横に振りながらミウに答えた。



「湖が……どうしても見えなくて」

「それはそうだ。まだ見えるまで少し時間が――いや、君の目には見えてもおかしくないということか?」



 ドロシーは当然だと言わんばかりに答えかけるが、ソーラの目は超超遠距離まで望遠できるという点を気づいて問いかけ直し、ソーラもそれに肯定する。ソーラはミウに確認したいことがあるようだ。



「ミウ、砂嵐の音、聞こえる?」

「聞こえない。今日は風も静か」

「湖の周辺、だと思うんだけど。変な煙みたいなのに包まれてる。なんだろう、あれ……」

「煙、であればまず疑うべきは砂嵐だが。確かにその気配は感じない。経験則だがな」



 砂漠の行軍経験があるというゲオルクもミウの言葉に経験則で同意する。ミウの耳であれば大気不安定により生じる突風の音などもすぐに察知できるが、今日の砂漠は一切その気配を感じさせない、平穏なものであった。

 だからこそソーラの目に映る煙というものに疑問点が解消されない。ドロシーも簡易的に第一班、第二班のリーダーに情報を共有したが、「近くに言ってみれば正体も分かるだろう」という結論で、行軍を進めるようだった。砂漠で一番警戒すべき大規模な砂嵐でなければ行軍を止める理由もないだろう、といった話である。ソーラもそれには拒否せず、視線に先に映り続ける煙に不安を覚えながらも足を進めた。



 そして夕方。『砂漠の鏡』の付近に到着した調査隊の面々は、ソーラの言葉の真相を理解することとなる。湖の周辺が、砂嵐とは違う、黄色っぽい煙に包まれていたのだ。

 霧に近づき、侵入しようとすると、調査隊の面々は呼吸に違和感を覚え、咳き込むメンバーも見受けられる。その症状は昨日のジーナフォイロによるものとまた違った症状であるようだ。

 見たこともない異様な光景に動揺したのは当然。さらにティスアの言葉に調査隊は揺らぐ。



「刺激臭……毒性がある霧ね。長時間吸引するとマズイかも」



 薬学に精通するティスアのその言葉は嫌でも信ぴょう性を持ったものだった。ティスアは霧に交じる刺激臭が、毒薬を調薬する際とひどく似た臭いであると感じたのだ。それを聞いたドロシーが急いで全員に装備品のマスクの装着を指示する。



「まず観測所にいる連絡兵五名の安否を確認しなければならない。霧の中に侵入する。体調不良を感じたメンバーは直ちに報告するように」



 ドロシーのその言葉に調査隊は覚悟を決めた、または若干怯えたような顔を示した。明らかな異常事態が発生しているというのは一目瞭然であるからして、各々に緊張するのは当然と言えるが。

 そういった面々とは違う雰囲気で緊張感を滲ませていたのはミウである。当然気にするのはソーラだった。



「ミウ、何か聞こえた?」

「水の震える音。水中に何か居る」



 ミウのその言葉に第三班はミウに視線を集めた。水の震える音は、おそらく霧の中に沈んでいる湖から聞こえたものだと。状況によっては今すぐにでも霧への侵入を中止しようか、とドロシーは声をかけるがミウは「まだ大丈夫」とすぐに切り返す。



「穏やかな呼吸……寝息……寝てるっぽい」

「水中、ということは湖の中ということだよね? 呼吸する音が聞こえるぐらいの……」



 ソーラは改めて確認する。ミウもソーラがどのような懸念をしているのかは理解しているので静かにそれに答えた。



「うん。外でも呼吸音が聞こえてくるぐらいの、大型生物。経験則、かなりの大きさだと思う」



 ピースがパズルに当てはまっていくように、状況証拠が揃いつつ合った。




   □ ■ □




 調査隊は視界の悪い霧の中を進み、観測所へとたどり着く。霧の中は日光が遮られているせいか薄ら寒さを感じる。


 観測所はある意味予想通りと言えばいいのか、人の気配や音もない。また、モンスターに襲われたような痕跡も一切見当たらなかった。

 観測所内は薄暗く、光源を用意しても建物内にまで霧が立ち込め、視界も確保しづらい。そのため先立って踏み入ったのはソーラと護衛のドロシーである。モンスターの気配すら感じられない静かな観測所の中を進めると、それが見つかった。



「死因は毒、か。服装も間違いない、軍服だ」

「食事中、だったんですね……」



 食堂と思わしき室内、テーブルを囲む形で倒れている5人分の死体を見つけたのである。テーブルの上にはまだ残っている食事が腐敗した状態で放置されており、5人全員が食事中に倒れてそのまま死亡したことが情況証拠で推測できる。

 また、死体は砂漠の環境によって若干ミイラ化していたものの、肌が異様な色に変色しているのも確認できた。毒によって死亡した死体の特徴そのものである。



「ドロシーさん。この観測所で使われてるお水って――」

「考えている通りだ。近くの湖――『砂漠の鏡』から汲み上げたものを使っている」

「異変の原因は湖にありますね」



 ドロシーは見るに耐えない状態となった死体に若干気分が悪くなっている様子で顔をしかめている。ソーラも当然気分が良い物ではないが、いま近くにある危険に緊張感が勝り、かえって冷静に思考が動いていた。危険と隣合わせである斥候としてこれほど頼りになる精神性は中々ない、とドロシーは軍人の視点からソーラへの信用度を密かに高めながら。その流れでソーラに状況判断を仰いだ。



「湖を調査したいが……明らかに危険度が高い。ミウ君が聞いた『音』というのも気になる。だが――」



 ドロシーは窓の外に視線を動かす。湖の方向に近づくにつれ、明らかに霧の濃度が上昇しているのが確認できた。



「霧の発生源が湖の方向にあるのも確かなようだ。視界も悪いし、何よりマスクをしていても身体に悪影響が及ぶ可能性もある。意見を仰ぎたい。ここは撤退するべきか?」



 「斥候としての意見を確認したい」と最後に付け足して、ドロシーはソーラに問う。ソーラは若干の思考時間を経緯した後に、慎重な様子で真摯に返答した。



「私は――調べたほうがいいと、思います。それと、個人的に調べてみたいです」

「帝都に帰還し、装備を整えて、調査隊をもっと大規模なものに編成し直すことも考慮できる。いやそもそも、この状況では観測所の放棄が最も現実的だろう。帝都に帰還した後に考えても遅くはないと思うが――」

「いえ、手遅れになる可能性が、あります」



 ソーラは今までに見たことがないほど冷静に、そして迫真に迫る顔だ。



「思い出してください。先日の飛行型モンスターの大量襲撃が、超大型モンスター出没の予兆かもしれないっていう話です。――ミウのさっき言ってたこととすり合わせると。『湖の中に、霧の発生源かもしれない超大型モンスターがいる』って。それってつまり、湖の中にいるモンスターが、帝都に移動しようとしているんじゃないかって」



 ドロシーはソーラの言葉にはっとする。


 そもそも、この調査隊の任務は、連絡が途絶えた観測所の確認――そして、先日の飛行型モンスターの襲来が、大型モンスター出没の予兆であるかもしれないという仮説の上で、『砂漠の鏡』への調査を決行した経緯である。

 

 加えて、湖の方へ歩いていた調査隊を、予定調和であったかのように飛行型モンスターが襲撃してきたのだ。

 状況証拠が、面白いぐらいに合致していく流れに、ドロシーは改めて危機感を覚える。



「私は昔、故郷のユマの村で似たようなケースに遭遇したことがあります。その時は、飛行型モンスターが襲ってきて一週間後に大型モンスターが現れたんです。――時間から考えれば、そろそろ何かが起きてもおかしくないかも」



 見えないながらも、確かに動いていると思われるタイムリミットの存在が、ソーラの危機感を煽っている。ドロシーも、今すぐの調査を思うのは自然な話だが、それでも深い毒の霧が決断を竦ませる。

 その時、ソーラが何か思い出した様子でドロシーに提案した。



「どうしても、すぐに調べたいんです。一旦合流しましょう。ティスアちゃんに相談したいことがあるんです」



 強い意思を目で伝えてくるソーラに、ドロシーは頷いた。



「その強かな決断力。軍人向きだよ、君は」



 ドロシーの褒め言葉混じりのそれには、ソーラは「きっとミウの方がよぽど向いてますよ」と笑ってごまかした。

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