ご飯とお風呂とベッドの上

 ゲッタウェイはとっくに閉店を迎えていて、閉店を示す看板が立てられている。が、店内はまだ明るく、かすかに外に漏れる食欲を刺激する香り。でもなぜか、香りの中に懐かしさを感じている私がいた。

 店長さんに、急に決まった宿泊を申し訳ないと、どうお礼とお詫びを伝えようと考えていた私の脳内は、食欲にすっかり支配されてしまったようだった。



「あれ? この匂いって……」

「ゲッタウェイの店長……あ、ヌスレさんって言うんだけど。昼にも言ったとおり、友達のパパで。学院卒業生とかに下宿先を提供して、ご飯も用意してくれる人なんだ。今日の夕食は私のリクエスト」



 恐る恐る、閉店しているはずのゲッタウェイの扉を開く。すぐに黒いメガネをかけた店長――ヌスレさんが、ぶっきらぼうな顔のまま、フライパン片手に出迎えてくれた。



「おかえり」

「あ、その。すいません、ミウからお話は聞いてると思いますけど、私ソーラと言って――」



 正直に言うと、ミウが私のために店長に融通を利かせてくれたのはとても助かっていた。ただでさえ働く宛や、住む宛さえなかったところだったのだから。

 でも、急に決まった話だった。だから、私は不安だった。あの無口な店長さんも、語らないだけで迷惑に思っていて、私に対して「怒っている」のではないかと。意識の無意識の狭間で、男の人を見るたびにイラさんの怒った時の声がちらついてしまっていた。

 まずは挨拶をして。自分が迷惑をかけないことをちゃんと伝えて、そして謝らないといけない。そう思って私はいの一番に店長に頭を下げようと思っていたのだけど――



「食え」

「え?」

「冷めるから食え」



 何よりも大事なことであるかのようにそれだけを言って、親指でテーブルを指しているヌスレさん。ぶっきらぼうで、表情筋も動かないで、低く強い淡々とした口調。私が苦手な「男の人」の特徴――のはず、なんだけど。なぜかヌスレさんには、イラさんに抱いていたような、体の芯がきゅっと縮こまってしまうような感覚は覚えなかった。

 それはきっと、ヌスレさんが用意してくれた料理も関係あるのかもしれない。



「トゥマトゥマ料理! しかもこんなにたくさん……! 帝都にトゥマトゥマ料理出すお店があるなんて知らなかった!」



 トゥマトゥマ料理――私達が住んでいた村でよく食べられていた郷土料理がずらっとテーブルに並べられていたのだ。香りに混じっていた懐かしさの正体はこれだったのだ。

 ちなみにトゥマトゥマ、というのは私達の村での呼び方で、帝都ではトマトという名前で朝市に売られている野菜だ。涼しい地方に住む私達には慣れ親しんだ名産のようなものである。帝都では生でスライスされたそれをそのまま食すことが多いらしく、どこのお店を探してもトゥマトゥマ料理なんてなかったはずなのに。



「リクエストしたから。ここのお店にメニューはないんだって。人に合わせて作る料理も変わるらしい。……けどダメ元で言ってみたけどほんとに作ってくれるなんて」

「そっか。予約制だもんね、ここ」

「私も学院で噂には聞いてたけど……これはなんていうか、噂以上」

「お腹、空いちゃったね」



 難しいことを考えていた私の頭が、食欲と懐かしさで染められていく。後ろではヌスレさんが相変わらずの仏頂面だが、よく見ると私の方を見て小さく頷いていた。それはきっと、私に「食べろ」と促しているのだろうとなんとなく察せた。

 ヌスレさんは、何も言わず、何も介さないで。ただ、私達の「お家の味」を用意してくれた。私はさっきまで、ヌスレさんにどう言葉を紡げば受け入れてくれるだろう、と必死に考えていたはずなのに。


 もしかして、ヌスレさんは私を静かに、だけど確かに受けれ入れてくれているのかな――なんて、勘違いしてもいいのかなってふと思う自分がいた。



「たべよっか。ミウ」

「んふふぇ。久しぶりにねぇねに食べさせてもらえるねっ」

「そういえば、そうだね。……学院ではどうしてたの?」

「ルームメイトにお願いしてた。優しい子だったよ。紹介したいぐらい」



 ミウの首元にナプキンを引っ掛けて、私がその隣に座る。目の見えないミウは、どんなに頑張ってもお食事だけは一人でうまくできない。だから私が食べさせてあげる。これもいつも通りの私達の生活、その一部だ。



「いただきます」

「いただきます。はい、あーん」

「あーん」



 トゥマトゥマの赤いスープをスプーンに掬って、小さく一口をミウのお口に運ぶ。そして私も同じスプーンで一口。

 スープを味わった私達は、示し合わせたように言葉を紡ぐ。



「美味しい……」

「それに、優しい味」



 ミウは予想以上だったその美味しさに。そして私は美味しさの中で動かされた感情に。深く感心してしまった。

 どこかで食べたことがある味。だけど塩味も甘味もはっきり洗練されているのが一口だけでも分かってしまうぐらいに繊細で。だけどトゥマトゥマの酸っぱさはすごく大事にされている。これを作った人もきっと、とても繊細だということが分かってしまう。

 ヌスレさんは、そんな私達を見て、少し離れた場所でまた小さく頷いていた。



「――ありがとう、ございます。美味しいです、これ」



 きっと、私が伝えるべきなのは、謝ることでも、言い訳でも、畏れ多さでもない。料理というメッセージを受け取ったから。ついさっき、今日に会ったばっかりの私を、もう受け入れてくれているヌスレさんへの「ありがとう」を伝えるべきだ。


 それを聞いたヌスレさんは、何も言わず、奥の厨房へと入っていった。ただの無口なんかではない。ヌスレさんにとっての言葉は、きっと料理なんだろうと、感覚で理解できた気がする。


 私達がテーブルに置いてあったトゥマトゥマ料理を完食した頃には、ヌスレさんはいつの間にかお店から姿を消していた。

 代わりに書き置きがひとつ、「帰る」と、一言だけ。文字でも口数が少ないんだ、と少し面白く感じながら。ほとんど会話もしていなかったのに、私の中でヌスレさんは、リョーさんと同じ「怖くない男の人」として認識されていた。




   □ ■ □




 そして私が一番驚いたのは、貴族様のお家にしかないであろう個人用浴槽がこのお店の一階に併設されていたことである。

 なんでもお店に使っているオーブンの熱を利用してお湯を沸かせるらしく、下宿するみんなのためにヌスレさんが工事したのだとか。貴族様でもなければ、一般人である私達には公衆浴場しか縁がない。加えて村に住んでいた頃には公衆浴場なんてものすらない、水浴びぐらいしか身体を清める手段がないのは当然の話だ。



「ふぁぁ……帝都に来てから一番贅沢してるよぉ」



 有名なお食事屋でとっておきのお料理を食べて、その後に個人浴槽でミウと二人っきりでお風呂に入る。自分にはもったいないぐらいとても贅沢な話だ。もちろんミウの身体や髪を洗うのも私のやることだし、浴槽に入る時は必ず手をつなぐ。これも昔からの私とミウのお約束。



「噂には聞いてたけど……これも予想以上」

「私とミウなら平気だけど、それでもやっぱり二人で入るのにはちょっと狭いかな?」

「狭いからいい」

「んー、そっか」



 学院に行ってから、村にいた時以上にミウの寂しがり屋が加速している気がするけど。

 いや、この狭くて、肌が触れ合うこの距離感が心地よいのは、きっと私も帝都で生活して、寂しがり屋になってしまったからかもしれない。


 ミウの長くて綺麗な銀色の髪を、ティスアちゃんから以前もらった特製ヘアーオイルで丁寧にトリートメントしつつ。お互いヘアーオイルの少し甘い香りに包まれてすっかり身体と心が解けた状態でお風呂をあがる。そして取り出すのは真っ白なバスローブ。私が冒険者としてお給料で買った唯一の贅沢品。

 バスローブを着ようとすると、ミウがぴくっと身体を動かして、なにかよからぬ噂を聞いた時かのような反応を見せる。



「布が擦れる音がする……」

「バスローブっていうんだって。帝都だと、お風呂からあがった後に着るのが流行してて――」

「んー……」

「――あ、そっか。ごめんねミウ。こっちでの生活に慣れてきちゃったから」



 ミウと一緒に寝ることも久しぶりだったのですっかり「約束」を忘れていた。


 ミウは「音」の魔法の使い手。その副作用として、私の目と同じように、ミウは誰よりも優れた聴覚を有している。それこそ、どこに物があって、周囲がどういう環境なのかさえ、目が見えないはずなのに把握出来てしまうほどに。ミウは「音波レーダー」と称していた。

 そしてそのデメリットも存在する。聴覚が敏感過ぎるため、少しの物音でも身体が反応して、寝ている途中でも起きてしまうこと。

 ミウは視覚で太陽の光を感じ取れないため、寝起きにとても弱い。なので私は一緒に寝て、朝に弱いミウの朝支度のお手伝いをするのがお約束なのだが、お互いに服を着ながらベッドで寝ると、ミウが寝ている途中に服の擦れる音が気になって起きてしまう。なので――



「んー。ねぇねの抱きまくら久しぶり……少し痩せた?」

「え? そうかな。……ミウは相変わらず細いね」

「胸も相変わらずちっちゃい。こんなとこでもねぇねに勝てない」

「私もほかの人と比べたらちっちゃい方だと思うんだけどなぁ」



 こうやってベッドの上では、お互いに裸で抱き合いながら寝るのが、昔から変わらないお約束となっている。ミウはいつも私の胸に顔をうずくまりながら寝る。理由を聞いたら「ねぇねの心臓の音とか、血の流れる音を聞いてると安心できる」とのこと。当人としては大分気恥ずかしい理由だけど。

 きっと、「私の音」がなかった学院での生活は、寂しかったんだよね。そう思うのは自意識過剰なのかな。



「学院で生活してて、寂しくなかった?」

「寂しかった。……でも、こうやってねぇねの心臓の音がやっと聞けて、寂しかったの全部忘れた」

「そっか。ならよかった」

「ねぇねは……寂しくなかった?」

「……寂しかったかも」



 ミウに問われてやっと自覚した。私もやっぱり寂しかったのだ。ミウの寝息も聞こえない夜が。ミウの体温を忘れてしまいそうになった夜が。帝都に来て、冒険者として働いてからは、夜に考えることはいつも「明日は怒られないようにしよう」と反省することばかりだった。



「でもミウの身体に触れて、寂しかったの全部忘れた」

「お互い寂しいの忘れちゃったね」

「じゃあ残ったのは、なんだろうね」

「ヘアーオイルの甘い香り」

「なるほど。……ティスアちゃんにお礼言いたかったな」

「それって、前に居たパーティの人?」

「うん。……あっ、そういえばミウは知ってる? ティスアちゃんも魔術学院中途退学したって言ってたんだけど」

「……心当たりあるかも」

「じゃあなおさら紹介したかったな」

「会えるでしょ。冒険者やってたら」

「そっか。私、また明日から冒険者だもんね」



 ベッドの上で抱き合いながら、自然と話は弾んでいく。こうやって時間を忘れて話を続けていく内に、お互いに声が小さくなっていって気がつかない内に寝てしまっている。それが「普通の私達」の一日の終わり方だった。

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