第9話 転機

前回のあらすじ

お師匠様に会って月見里さんの事を聞いたよ。

そして今日はいよいよ、倉橋さんと会うよ。


私はその日朝早く目が覚めてしまった。

倉橋さんとの待ち合わせの時間まではまだだいぶある。

私は一晩かけて一つの答えを出した。

それを今日倉橋さんに伝えに行くのだ。


昼より少し前、私は喫茶店についた。

店内を見渡すと、すでに倉橋さんが来ていた。

私は彼女の前に座り、アイスコーヒーを注文した。

「遅れちゃったかな?」

「いえ、私が早く来すぎてしまったんです。先輩は時間どおりですよ」

そうこうしているうちにアイスコーヒーが目の前に置かれた。


私は意を決して切り出す。

「あのさ……この間の話なんだけど……」

彼女は落ち着いた表情で私を見つめている。

こんなに緊張するのはいつ以来だろうか。

私はアイスコーヒーを一口飲み、

「ごめん。気になる人がいるんだ……だから、申し訳ないけど倉橋さんの気持ちには答えられない」

彼女は力なくうつむいた。

そこから二人の間に沈黙が流れた。


「……わかりました。気になる人っていうのは昨日の人、ですよね」

「……うん」

「先輩、気にしないでください。初めに言った通り、これで先輩の事はきっぱり諦めます。今までありがとうございました」

彼女は微笑んでいた。しかし目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「あの……」

私が声をかけようとすると、彼女はそれを制止し、「大丈夫です」と言った。

彼女は立ち上がり、私を見つめながら、

「今まで本当にありがとうございました。先輩の事が大好きでした。失礼します」

そう言って彼女は喫茶店を出ていった。

私は一人、アイスコーヒーを飲んだ。


その後、私は喫茶店で時間をつぶし、講座へと向かった。

今日も今日とて、門を開け扉をノックする。

すると着物の月見里さんが出てきた。

「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」と私をいつもの部屋へ導いた。

部屋に置かれた机を挟み向かい合って座る。

「なんだかこの光景も見慣れてきましたね」

彼女は嬉しそうに言う。

「確かにそうですね。毎回楽しみにしてますよ」

「本当ですか!うれしい! ……私も神田さんと会ってから毎日が充実してます。これからもよろしくお願いしますね」

そういう彼女の笑顔はとても可愛らしかった。

「こちらこそ、これからもよろしくお願いします」

「それじゃあ今日は、この間の続きでカー……」

彼女はそこまで言うと、前のめりに倒れてしまった。

私は驚き、声をかける。

「月見里さん、大丈夫ですか?」

彼女はお腹を押さえながら辛そうにうめいている。

「月見里さん!どうしたんですか?月見里さん!」

彼女は苦しそうにするばかりで何も答えられない様子だ。

私は大慌てで救急車を呼んだ。


その後駆け付けた救急隊により、月見里さんは救急病院へと搬送された。

救急用の待合室で彼女の帰りを待っていると、そこへ少女が現れた。

その少女は私に気が付くと、

「神田君、千歳は大丈夫か?」

と落ち着いた様子で私に尋ねた。

この少女の顔をよく見ると、お師匠様であったことに気が付いた。

巫女装束を着ていないと全く気が付かない。


それどころではない。今は月見里さんの事だ。

「いま中にいます。私が彼女の講座を受けている最中に、急にお腹を押さえて苦しみはじめたんです」

「そうか……」

私とお師匠様の間に沈黙が流れた。


お師匠様が切り出した。

「神田君。昨日君に会ったときに言ったことを覚えているか?」

「えっと……」私は口ごもってしまう。

「君なら千歳を救えるかもしれないと言ったことだ」

「そういえば。あれはいったいどういうことなんですか?」

お師匠様は難しい顔をしながら淡々と話し始めた。

「あの子の命は持って後半年。本人は気がついてはいないが、あの子は癌だ」

突然の事で私の思考は完全に固まってしまった。


お師匠様は続ける。

「私の能力は本当に厄介なものでね。わかってしまうんだよ。わかりたくなくても。でも私には見えるだけで、何もできない。本当にただの傍観者なんだ。節の時も、あ、節っていうのは千歳のおばあさんなんだけど、あの時も結局私は見ているしかなかった。だが今は違う、今は解決策を持った君がいる。……後生だ、あの子を救ってやってくれないか?」

私は少し黙ってから話し始めた。

「お師匠様の気持ちはよくわかります。……しかしあなたは昨日、私の生きてきた人生を見てきたはずです。それでもなお、あの子を救えというのですか?」


私は2度目と3度目の人生を医師として生きた。

これには理由がある。

きっかけは1度目の人生だった。

その時の妻が癌になったのだ。

しかし闘病も虚しく、妻はこの世を去った。

その時私は自分の無力さがとことん憎かった。

大切な人が苦しみ死んでいくのをただ見ているしかできなかったのだ。

そして私は何より強く願った。

もし、もう一度生まれ変わることができたのなら、必ずこの病を治して見せると。

そして妻のような悲劇を、そばにいる家族をこれ以上悲しませるような病を無くしてみせると。


願いが叶ったのか、私は2度目の人生を生きることができた。

私はとにかく勉強した。なにせあの病を解決するには、まず医師になる必要があるからだ。

意外にも、あっけなく首席で医師になった私は、大学病院に勤務しながら寝食を忘れ研究に没頭した。

しかし努力も虚しく解決までは至らなかった。

あと一歩、糸口が見つかれば解決までこぎつけられる。

私は死ぬ間際まで悔しさでいっぱいだった。


その悔しさが通じたのか、私は3度目の人生を生きることができた。

そして私はやっとの思いで特効薬を見つけることができたのだ。


ハッピーエンドであればここで終わりだが、人生はまだ続く。


簡単に説明すると、癌は終わりの遺伝子なのだ。

いわば神が遺伝子に組み込んだ終止符である。

それを機能させなくする事で人類は癌を克服した。

しかし、これは神の領域を犯す行為であり、人類の寿命は著しく伸び始めた。

やがて食料問題から戦争が起き世界はメチャクチャになった。

特効薬を見つけた私も、気がつけば救世主から戦犯に変わってしまった。

私はただ、病に苦しむ人の命を救いたかっただけなのだ。


当時のことが頭をよぎり、私は二つ返事で、はいとは言えなかった。

「ろくなことにならないんです。もちろん私だって月見里さんの事を救いたいですよ。でも、それ以上に失われる命があるんです!」

「……確かに神田君の言うとおりだ。私も昨日君に触れその世界を見てきた。そして君の苦悩もね。だが、私はそれでもあの子を救いたいんだ。何としても」

お師匠様は「少し昔話をしよう」といい、一呼吸おいて話しはじめた。

「私はもともと孤児でね。あの神社に捨てられていたんだ。それを見つけたあの神社の神主が、男手一つで私を娘として育ててくれた。本当にありがたいと思うよ。しかし、月日が流れ父は病で亡くなったんだ。

その頃だ、千歳に初めて会ったのは。もともと千歳のおばあさん、節とは占いの関係で親交があったんだが、ある日突然あの子を連れてきた。どうしたのか節に聞くと、両親を交通事故で亡くし、一人ぼっちになってしまったのを節が引き取ったそうだ。当時のあの子は全然笑わない子でね、両親を亡くしたショックで口もきけないような状態だったんだ。

でもね、それを節は優しく大事に育て、やっとの思いであの子は、今のよく笑うあの子になったんだ。

私はあの子と節を見ていると、自分と父の事を思い出してしまうんだ。おそらくあの子に自分を重ねているんだと思う。

それに節が死ぬ間際に頼まれたんだ。あの子を守ってやって欲しいと。

そして節は、『あの子がお嫁に行くところまでは見てあげたかった』と言って死んでいった。

私はその時誓ったよ、今度は私があの子にとって、私の父や節の様に、親のような存在になってあの子を守ってあげようと。

だからこそ、私はあの子に死んでほしくない。生きて欲しい。生きてあの子に幸せになって欲しい。

でも、今の私に見える未来はあの子が死んでしまう未来なんだ。

私は神主の娘だから、神様を信じている。でも今回ばかりは歯向かってやろうと思う。

私の持てる力全てを使って、あの子を救ってやりたいんだ。

……君もはじめの人生ではそうではなかったのか?」


私の頭の中に1度目の人生の事が、走馬灯のようによみがえってきた。

そうだ。私は妻を、佳菜子を何とか病から救ってやりたくて、思いつく限りのことをしてきた。

抗がん剤治療も値段は高かったが、貯金を切り崩し、それが尽きると昼は会社員、夜はコンビニのバイトをして何とか捻出してきた。

合間を見てはこの病についてとにかく勉強し、ちょっとでもいいと噂を聞けば、どんなに高くともすぐに試した。

それはすべて、佳菜子に生きて欲しかったからだ。

だが、私の場合はダメだった。佳菜子を救えなかった。

私はその時のことが、10度転生した今でもなお心残りになっている。

私がもしお師匠様の立場だったら……


私にはこの人生でやることがあるのではないだろうか。


「……わかりました。私があの子を救います」

私は、お師匠様の目を強く見つめてそう言った。

「……あ、ありがとう」

そういってお師匠様はボロボロ泣き始めた。

しかし現実問題、ワクチンの作り方はわかっていても、ワクチン製造するための施設もない。

この状況でいったいどうすればいいのだろうか。

泣き止んだお師匠様は話し始めた。

「ワクチンの製造や開発などの場所やモノに関しては、私に任せておけ。これでも未来が見えるから、いろんなところに太いパイプを持っている。もうすでに場所も抑えてあるから案ずるな」

本当に流石だこの人は。


しかし私の中に一つ懸念がある。

それは今回のワクチン開発を公にしてはいけないということだ。

前の人生では、研究結果を世界中に発表したところ、世界規模の大戦が起きてしまった。

そんな私の不安を知ってか、お師匠様はさらに続けた。

「そうそう、このワクチン開発は絶対に公にはしない。人の口に戸は立てられないが、それに関しては安心してくれ。私や君の様な異能の力を持つものを呼んである」

「それはいったいどういうことですか?」

「その人は記憶を消すことができるんだ」

「記憶を、ですか。そんなことできる人が本当にいるんですか?」

お師匠様は吹き出し、

「それを私たちが言ってはいけないだろう!私たちだって他人から見れば同じように思われているよ!」

確かにそうだ。他人から見れば、私たちも同じように思われているだろう。

「とにかく、安心してくれ。約束は絶対に守る。というか、この約束を破ったら千歳も幸せになれないからな!」

「ふふ、そうですね。わかりました。私は全力で彼女を救います」

「よろしく頼むぞ」

「よろしくお願いします」

そう言って私とお師匠様は握手を交わした。


それから私はお師匠様が用意してくれた施設にこもり、開発にいそしんだ。

毎日が充実し、適当に生きるという私の当初の目標はどこかに消え去ってしまっていた。


今の私はとても緊張している。

結論から言うと、ワクチンの開発は成功した。

お師匠様は約束どおり、関係者の記憶を消し、痕跡を残さなかった。

これでひとまず、世界規模の大戦は回避できた。

そして今日は彼女にワクチンを投与する日。

今までの経験や思いが詰まったワクチンだ、これで彼女も回復に向かうに違いない。


病院の入り口につくと、お師匠様が私を待っていた。

「おーい!神田くん、こっちだ!」

「お師匠様こんにちは。今日はよく晴れていますね」

「ああ、少し熱いくらいだな」

するとお師匠様は神妙な顔をして私に話を始めた。

「突然だが、君に良い知らせと悪い知らせがある。どっちから聞きたい?」

「……そうですね。いい知らせから聞きましょう」

「未来が変わったぞ」

お師匠様はそう言ってニヤッと笑った。

「ほ、本当ですか!……よかった……」

「気が早いな!だが、確かにあの子は救われる。君の作ったワクチンでな」

私の目はうるんでいた。

今度は救うことができたのだ。私の大切な人を。

「本当にありがとう。君のおかげで私の大事な娘が救われたよ。……本当にありがとう」

お師匠様は小さな体を二つに折らんばかりに深々とお辞儀をした。

「頭を上げてください。これができたのも、お師匠様が陰でいろいろと動いてくれていたからです。それにしてもあんな設備、よく用意できましたね。ほとんど私が当時使っていたのと変わらない設備でした」

「それは、君の過去を見たからな!その方が、君もやりやすいと思ったんだ。まあ、さすが私といったところだな!」

お師匠様は自慢げに言う。だが本当にすごいので、特に嫌味には感じなかった。


「それで、悪い知らせというのは?」

「その前に、手を出してくれ」

私はお師匠様の前に右手を出した。

お師匠様が私の手に触れ、小さな声で「やはりな……」と言った。

そしてお師匠様はまじめな表情をして話し始めた。


「これが悪い知らせかどうかわからないが、君にはおそらく次の転生はない」

「え?」

私は突然のお師匠様の言葉に、頭の中が真っ白になった。

お師匠様は構わず続ける。

「以前、転生者を見たことがあると話しただろう?その時は、見えたんだよ、なんとなくだけど次の人生が。でも今回君を見てみたがやはり次の人生は見えなかった。おそらく君がこの世ですべきことを達成したからじゃないかな?君はこの数百年、本当によく頑張ったよ。ありがとう。」

私の両目から涙があふれ始めた。

お師匠様の言う通り、私は自分の大切な人を救うことができた。

それに満足し誰かに、今までの人生を全てを認めてもらえたことが、本当にうれしかった。


しかし、それと同時に、これからどう生きるのか?、という疑問が私の中に湧き上がってきた。

転生を繰り返す中で、私は途中からなんとなく目標ができそれに向かって行動してきた。

だが今回の人生は、もうやりたいことが見つからないのだ。

だからこそ、ここから先自分の最後の人生をどうするのかが不安であり、自分の中にもう何も残っていないような恐ろしさが私を支配していた。

怖い。死ぬことが怖い。次の人生がもうないということが怖くて仕方がない。

私はおそらく死に慣れてしまったのだろう。

なれているからこそ、自分の死に対して特に恐れる必要はなかった。

むしろ死にたいとすら思っていた。

だが、いざ死を目の前にすると恐ろしくて仕方がない。

私は目の前が真っ暗になり、お師匠様へワクチンを渡し、足早にその場を立ち去った。


家に着いてから私は、頭から布団をかぶりベッドの中でぶるぶると震えていた。

私はこれからどう生きればいいのだろうか?

自分でもわからなくなってしまった。

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