1. 逢空と桜花(7)
僕たちは、誰もいない廊下を端まで歩ききって教室へと足を進める。
教室へと目線を流すと掃除道具入れの前の席に、桜原さんは腰かけていた。
一人で教室にいる様はなぜかどこか儚げに見えて、ありきたりで使い古された表現だけど、脆いガラスのように何かの拍子に砕けてしまいそうな印象を持つ。
どうも、彼女をみると母さんを思い出してしまう。
「おはよう~」
桜原さんの横顔をちらと確認して、夏音さんは挨拶をした。でも、彼女は外を見ているのか全く気付く気配がない。
いや、彼女の目線は外ではなくどこも見ていなかった。ただ、彼女の物憂げがまだほんのりと暗いガラスに屈折していた。
夏音さんは彼女が気づかないのを「はぁ」といつものことのように済ましながら彼女の机の前まで歩いていく。
すると、ようやく気付いたようで「あ、おはよう」と返してきた。そして、僕のほうを見て一つお辞儀をしてくる。
「由那ってば、さっきの挨拶聞こえてなかったとか酷いよ。何か考え事でもしてた?」
何か思うことがあるのか少し冗談めかしながら夏音さんが問う。そんな中、隣にいた倉峰は自分の机に向かっていく。そして、何か慌てて鞄から物をゴソゴソと出していっていた。
「えっ。ごめん、それは気づかなかったなぁ。いや、考え事じゃなくてただ眠たかっただけだから大丈夫」
「…そっか。まぁ最近はホント暖かくなって眠いよね〜。今日の世界史とか寝ちゃいそうだし」
この会話の中、一人違和感を感じていた。どうも僕には桜原さんの言葉が、あらかじめ用意されていたような、そんな偽りの台詞めいた言葉のように聞こえたのだ。
だからか、そのままの口調の夏音さんにも伝播していくかのように違和感を感じた。何か触れられたくない何かを隠しているような気がするのだ。
だけど、僕にはまだその正体に気づくことは出来なかった。
「でも、冬田くんと一緒に来てることにはびっくりしたよ」
「あ〜、昇降口で偶然出会ってね。ね?」
そんな僕の杞憂など
「あ、うん」
こんな時に返す言葉が思いつかないのが恨めしい。自分の語彙力に呆れてくる。いや、語彙力というよりただコミュニケーションがないだけであるか。
どちらにせよ、こんな短文だとこれから会話が進まないことなど分かっているのに。
「そっか〜。いつも二人で登校していたからちょっと驚いちゃったよ」
「ほら、私面倒見いいからさ。転校生くんには優しいんですよ〜。あ、付き合っていることもバレちゃったけど」
夏音さんは無い胸を張った。しかし、最後の言葉を言うときには恥ずかしくなってきたのかしおらしくなっていた。
「いや本当、それにはびっくりしたよ」
話に置いていかれそうになっていた僕は、慌てて会話に潜り込む。
「やっぱりそうよね。私も初めて知った時はびっくりしちゃったもん。でもさ、なんだかんだお似合いなんだよね」
「やめてよ〜」
桜原さんの隣で、夏音さんは俯いて顔を赤らめていた。倉峰くんはそんな中でも話に気付いてはいないようで必死に何かに書き殴っている。
……今日ってそんな大事な提出物あったかな。
そんなことを思っていると、恥ずかしさで居た堪れなくなったのか、ちょっとやることあるからと夏音さんもまた席に戻っていった。
そうして、二人だけが取り残された。昨日の朝が脳裏によぎる。
ただ、昨日のようにうまくはいかなかった。
なぜだか、急に三人から二人になるはと、話すことが思いつかなくて妙に長考してしまうのだ。頭の中にこれ話そうかな、と浮かんでは、いや今それは必要ないでしょ、と沈む自己完結が何度も起きていた。
桜原さんも同じ状況になっているのか二人して沈黙するというなんともシュールな絵面になっていた。僕は謎の焦りを感じて必死に話すことを脳内リサーチした。
「あ、そういえばさっき登校時間一番早いって聞いたんだけどどうして?」
急に僕はそのことが気になったので彼女に尋ねてみる。自分でもあまりにくだらない質問だとは思ったけれど、今更後には引けなかった。
「うーん。どうしてかぁ」
まさかそんなどうでもいいことを聞いてくるとは思っていなかったのか苦笑いを浮かべながらこちらを見つめてくる。
「なんて言うかな。いや、なんてことないんだけれども……家が明神池の近くで遠くてさ。それで親に車で送ってもらってるから親の都合で早くなっちゃうんだよね」
「ヘ〜、車通学なんだ。その明神池ってどこにあるの?」
うまく会話のキャッチボールができたことに一つ安堵した。
「そっか、転校してきたばかりだから萩のことあんま知らないよね。えっと、ここから北に5キロちょっとくらいかな」
「そうそう、まだ来たばかりで駅と学校の近くの港くらいしか行ってないからあんまり分からないんだよね」
「なるほどね。……よし!ちょっと今度の日曜日でも夏音たちと一緒に萩の案内できないか聞いてみるよ。城跡とかも案内したいしさ」
「え、わざわざ申し訳ないよ。助かるけど吹奏楽の練習とかもあるだろうし」
「いやいや、吹奏楽部は日曜日休みだから私も夏音も空いているよ。多分倉峰くんも空いているだろうし。あと、私はやりたいって思ったことは絶対やるタイプだから、私の中ではもう決定してるからね。今週の日曜日は冬田くんを案内する!って
それにさ、私たち友達でしょ?」
彼女ははにかむ。その顔は、あんなに儚げな顔をしていたとはまるで思わせないものだった。
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