1. 逢空と桜花(4)

「お疲れ~」


「このパート良かったよ」


「ちょっとテンポ早くしてしまったとこあったな」


 ステージ裏ではそんな声があちこちから聞こえる。会場がまだ少しの喧騒に包まれている中、私を含めると24人の吹奏楽部では反省会もどきの雑談会が行われていた。


 こんな時、私はいつもこんなことを考えるのだ。私は今日どれだけの人に、自分でもどうすればいいか分からないこの感情を伝えることができたのだろう、と。


 まぁ正直な所、伝わった人が一人だけだとしても私は構わない。私が、私の色が、私の想いが、誰かに伝われば、もう勝ちなんだ。


 私を伝えることが、私の信念なのだから。


 ……


「ふぃ~、お疲れ!」


「わっっっ」


 急に視界がぐらっと揺れた。慌てて振り返ると、同じ楽器を担当している夏音が辺り触りのない目でこちらを見つめている。


「びっくりしたぁ」


 誰が私の肩を押したのかを確認してからそう声を漏らした。というか全く知らない人だったらこんなこと言っていなかった。


 本当に今日の朝、私はなぜ冬田君にあんなに普通に声をかけれたのだろう。彼からは、私と同じような、なんとなくのシンパシーを感じたからであろうか。


 とりあえず私は夏音に対して抗議の視線をじっと、ただじっと向けた。持っていたトロンボーンを落としそうになってしまうほどびっくりしたのは事実だったから。


「……ごめんてば~。そこまでびっくりするなんて思わなかったんだよ。」


 これには夏音も少し反省したのか謝罪の言葉を零した。


「いいよ」


 ただ、こう言われてしまったら、私はどうしても許してしまうのだ。夏音の反省のはの字もないような笑顔を見て私は、またいつもの流れだな、と感じた。


 そんなわけで話題をさらっと変える。


「今日は音の調子よかったけど何かいいことでもあった?」


 夏音は気分屋なのだ。彼女の音色は何かいいことがあったら演奏は軽やかに、反対に嫌なことがあったら演奏の時まで少しジメジメした感じが伝わってくる。


 恐らく、私がそういう変化に気付くのが秀でているだけであって、多くの人は気付けないだろうと思うけれど。


「え?そうかな?いつもと変わらないテンションでやってたけど。それに、たかが始業式の演奏で気分上がるかって言われたらそうでもなくない?」


 なぜって、本人ですら気付いてないのだ。ここまでくると、私だけが持っている特殊能力なのではないかな、とすら思えてくる。


 あんなに、黄金色に輝くステージに相応しいくらいに演奏は煌めいていたのに本人が気付いていないなんて、宝の持ち腐れなのではないだろうか。


「ねぇ!そんなことより聞いてよ」


「な、なに」


 ホントに急に大声でいうものだから、私は少したじろいてしまった。やはり、夏音は気分屋なのだ。


「今日、冬田君だっけ。新しく転校生来てたじゃん。さっき演奏中ずっと由那のことびっくりするくらい真剣な顔で見てたよ。由那の顔に何かついてるのかと思わず二度見してしまったもん。何もついていなかったけど」


「あぁ、冬田君ね。今日の朝に少し話したからそれかな。でも何かついてるんじゃないかって疑うくらい見ていたなんてどうしたんだろ」


「……もしかしたらだけど、由那に一目惚れしたんじゃないかって思うんだよね。ほら、由那なんだかんだ可愛いし、なんで彼氏作らないのか分からないんだっていつも思ってるし」


「いやいや、それはないよ~。もしかしたら見たっていうのも夏音の見間違えじゃない?偶然目に入ったときに私のほう向いていただけとか」


 私は自分でも余りに無理すぎるだろう言い訳を苦し紛れに告げた。私はただ自分の演奏を、私の感情を多くの人に知ってほしいだけで…彼氏とか、恋人とか、そんな固定化された存在が欲しいわけではないのだ。


 それに、冬田君が私なんかに一目惚れするだなんて信じられなかった。きっと何かの間違いだろう。


「……見間違いじゃないと思うんだよね。ほら、冬田君、凪斗の隣でさ、どうしても視界に入るというかなんというか。で、ずっと由那のほう見てるんだもん」


 私は、そういえば…と演奏していた時のことを思い出す。確か、第2か3主題が終わったあたりだろうか。その時からずっと誰かの視線を受けているような気がしていた。


 あの時は私の想いを表現することに必死だったけれども、もしかしたらそれが冬田君だったのであろうか。

 

 もしもそうだとしたら、一人にでも私の想いが伝わったのかなと私は少し嬉しくなった。


「……見られてたのは本当かもね。そういえば少し視線感じた時あったかも」


「ほら~」


 夏音がニマニマしながら相槌を打った。


「でも、自分のこと一目惚れしたとかそうゆうのじゃないと思うよ。ただ、もしかしたらだけれど私の想いが届いたのかも」


「そっかぁ。私は一目惚れだと思ったんだけどな~。一応後で聞いてみよっと。

 でもさ、由那の想いが届いたんだったら、それはめちゃくちゃいい事じゃん」


 夏音は私をまっすぐに見つめて、心の底から思っているように丁寧に言う。

 そして、話が終わった後はいつもの笑顔で、


「さ、片付け行かないとだよ。みんなせっかちだから音楽室行っちゃったよ」


 なんて冗談交じりに言うのだ。これ以上、この話で私をしんみりさせないように。


「うん。みんなホントにせっかちだよね」


 だから、私は夏音の言葉に合わせて冗談交じりに返した。


「やっぱり夏音は私のことが分かっているなぁ」


 私は、彼女に聞かれないようにそう、ぼそりと呟いた。実際、私は何度も彼女に助けられているのだ。あの日からずっと。


 はぁ、やっぱり憎たらしいほど夏音には支えられているなと、深々と思いながら楽器を片しに音楽室へと足を運んだ。


 そして、表現を見抜いたかもしれない冬田君の名前を脳内辞書にもう一度インプットし直した。

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