1. 逢空と桜花
早朝七時三十七分、
僕は、まだ見慣れない教室からぼんやりと校庭を眺めていた。外では男子バスケ部だとか陸上部だとかが朝練なるものを楽しそうに行っている。
彼らの
僕がもしもこうなってしまったらきっと、また自責の念に駆られてしまうから。
だけど、だけれども、彼らをどうしようもなく妬ましく思えてしまうのもどうも仕方のない事なのだ。
だ、けれども、固定化された何かなどいらない。
……
「……どうしたの」
しぶしぶそうやって俯いたまま、
「お、気づいていたならもっと早くに声かけてほしかったな」
誰か、はそう返してくる。出来れば無視したかった、という言葉を言おうとして我慢した。初対面の人にそんな台詞を吐けるほど僕は強い人ではない。
「……」
何か話そうとしているのをどことなく察して片耳に突っ込んでいたイヤホンを外した。外されたイヤホンから、少し前に流行った恋だとか愛だとかを謳う歌詞がかすかに聞こえる。
それを聞きながら、僕がいまだに
「ねぇ、どこから引っ越してきたの。噂の転校生って君だよね」
「東京からだよ。東京の港区ってとこ」
平然を保ってそうやって言葉を返すが、内心ではもう転校生くん、と噂立っているのかと心で一つため息をつく。というのも、どうやら転校生というものについて、興味の絶えない高校生からは格好の話題になるらしく、今までの学校でも
僕にとってそれは、臆病な自尊心を失わせるような苦行というか、尊大な羞恥心を浴びるような洗礼というか。どちらにせよ、そのワードにあまりいい気持ちはしないのだ。
……転校してからというもの、どうも卑屈になってばかりだな。
いや、もっと屈んでいるからそれはもう
「あぁ~、港区ってあれだよね。都会の都会というか、マンションがガラス張りでぶち高いっていう。
……あ、そういえば名前言ってなかったかな。私、おうはらっていうから。桜の原って書いて桜原。」
誰か、いや、桜原さんはそんな僕の感情に関与することもなく、前の椅子をこちらに寄せてまで会話を続けてくる。
なるべく顔を上げないようにしようとしていたけれど、目の前に腰かけられるといよいよ謎のプライドも折れてしまい、恐る恐る顔を上げた。
あげた途端、僕の顔が熱くなるのを感じた。なぜなら、そこには驚くほど深くて綺麗な瞳を宿した生徒がこちらを見て立っていたから。
僕はその瞳に妙にドキッとして、伝播するように身体が動揺してしまう。
「そうそう、マンションって言うよりほとんどオフィスビルだけどね」
僕は、その動揺に気付かれないよう少しぶっきらぼうに言葉を返した。
彼女の猫のような瞳を撫でまわしながら。
「そんな細かいことは気にしなくても…。それよりどう?オフィスビルどころかマンションすらそうそうない、
「うーん、こんな田舎だとは思わなかったかな」
「……」
あれ、僕は何かまずいことを言ってしまったのだろうか。彼女の瞳が波の
そして、少しある空白の時間が居心地を少し悪くさせた。
「いや……思ったよりズバッて言うんだね。まぁ本当に何もないから大体当たってるけど」
彼女は椅子代わりにしていた僕の机から立ち上がり、しわが寄ったスカートをパタパタさせながら僕の言葉に肯定した。
ただ、どこか含みのある言い方だったから僕は慌てて訂正する。
「いや、そういう意味じゃなくて。のんびりというか、ほのぼのというか。伝えづらいけど僕はこの町好きだよ」
「あ~、そっちか。逆に私、都会行ったことないんだけど、東京はどんな感じなの」
前の席の椅子を静かに引きながら尋ねてくる。
「え、うるさくて騒がしいだけだよ。まぁ娯楽は多いけど」
僕は、思っていたことをそのまま口にした。本当はきっと楽しい場所なのだろうけど、僕は東京に住んで4ヶ月で引っ越したためか、東京の楽しさに気づけなかった。
それに、息苦しい程眩しい街なのだ。
「へ~、まぁ私が行ってもそんな感想を持ちそう。どうも田舎慣れしちゃってて、静かな方が落ち着くからかもだけど」
……
「桜原、話すのもいいけど当番の仕事ちゃんとしとけよ。あと冬田くんは全校集会の時に紹介あるから準備しといてね」
それからも桜原さんと雑談を続けていたのだが、教壇から発せられた言葉によって唐突に会話が切れる。
ふと前を見てみると長身で眼鏡をかけた先生?がこちらを見ていた。なぜ疑問形なのかというと、教師にしてはあまりに若く感じたから。
だから、スーツ姿であっても教師ではないのではないか、彼からはそんな雰囲気を漂わせていた。
「
桜原さんは首だけ後ろに向けてそう口にする。
そして、めんどくさいな~、とか言いながら日誌を取りに行っていた。
日誌を取りに行く桜原さんと入れ違いに紫雨先生はこちらに向かってくる。
「おはようございます」
僕はどうしたんだろう、と頭に多少のはてなを付けながら挨拶をした。
近くで見れば見るほど、どうも教師というより生徒が似合う人だなということを実感する。
「おはよう、始業式の件、既に知っているよね」
「あ~、確か自己紹介をすればいいんでしたっけ」
「そそ。自己紹介は出身校とか、意気込みとかを語ればいいから。別に緊張するものでもないから適当に言っておきな」
それを教師が発言するのは
まぁ、別に自分はそこまで緊張するものでもないから大丈夫だろう。僕は人前に出て発表する、ということに関しては並々ならぬ自信を持っていた。第一、どうせまた転校すれば直ぐに僕のことなど
「先生~、日誌書くの面倒だから代わりにやってよ」
「……いや、それくらい自分でやってくれよ。今日は始業式しか用事ないから書くことそんなないんだしさ。それか、そんなにやってほしいなら冬田君に頼めば?」
「えっ?」
僕が謎の自信を抱えている間にも、日誌をめぐる話が進んでいたようだ。それにしても何か、名前を呼ばれたような気がしたのだが。
「あっ、確かに。日誌書いてよ」
どうやら聞き間違えではなかったらしい。彼女は、その深い眼でこちらを見てくる。
「……手伝うよ」
僕は、彼女の眼力に負けてしまう。ただ、やるではなく手伝うと言ったのは僕なりのちょっとした強がりだった。
「ありがと! いやぁ助かるな」
彼女は悪びれもない顔で感謝を告げる。
僕は少し悔しいことにその顔を見て満足しながら、彼女が日誌を開くのを待つのだった。
僕はこの時、まだ知らない。
ー僕は春風に吹かれるー
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