夏の太陽が沈む時

九十九零

嘘吐記

 いつも照り輝く夏の太陽のようなアナタへの想い。それを好意だと意識し始めたのいつからだろうか。多感な高校生の初恋なんて珍しくもなんともない。ただ、その恋の価値観はこの世界において珍しかった。


 一番大切なこの気持ちを、一番大切にしたい。そんな簡単なことが今は一番できなかった。

 嘘はいけないことだと昔から言われてきた。嘘を吐けば嘘になってしまう。正確に言うと嘘のように実体のない抽象的な存在になってしまう。

 だからみんなは嘘なんて吐かないし、吐く必要性すら今まで感じなかった。でも……。

「もしも運命があるのならば、アナタは運命の人なんです」

 そんな言葉を言うことはできない。勿論そんな小っ恥ずかしい言葉じゃなくたっていいのだろう。だけど、好きな人を思い浮かべた時にこの言葉が一番最初に浮かんだ。

 でも、この気持ちを伝えてしまえばきっと“今”を壊してしまう。心地よい距離は気持ちの片鱗が露わになるのに比例して開いてしまう。アナタが同じ気持ちならどれだけ良かったか。

 近くに居ても遠く感じるアナタとの距離、行ったり来たりしてるこの想い。遠目から見て人知れずはにかんだり、喋っている時に内心オロオロしていたり。だが、その中でもアナタに対する気持ちはより一層深まっていく。

“諦める”か“諦めない”そんなことを花壇に咲いていた名前も知らない長楕円形の花で占う。きっと他人から見れば奇怪な光景だろう。何世代前の乙女かよって思われるだろう。それに花弁は五枚しかないのだから頭を使えば望む答えを導く事も可能だった。

 そんな思い返したら恥ずかしくて死にそうな行為を辞めて帰路に着く。偶然なのか必然なのかそこにアナタはいた。特に話すでもなく、一緒に座るでもなくて少し視線を交わしてお互いに会釈をするくらい。それでも嬉しくて幸せだった。

 名前も知らなかったあの花をアナタを横目に調べる。きっとあの花占いでもしない限り興味も持たなかっただろう。

 何も進捗がない代わりに何も変わらないこの日常が宝物のように感じた。どうせあと少しで嘘になるのだからと、ただ少し儚げにバスの窓を眺める。

「勿忘草って言うのか……」

 宝箱の鍵を閉めたままで充分だ。宝箱を開けて中身を見てしまった時、何かが必ず終わる。玉手箱みたいに入ってるものが煙みたいなものかも知れないし、手に余る宝は誰かに奪われるかも知れない。

 だからキラキラした今を抱きしめていた方が幸せだ。それにもし、無謀にもアナタに想いの丈を伝えれば嘘を吐いたことにすら後悔しそうだから大事大事に胸の内に潜める。

 だが、それでも自分の気持ちに、嘘に、気付いて欲しいと思うし、でも気付いて欲しくないと思う。そんな矛盾が入り混じる毎日が着々と過ぎて行く。

 夏は長い。日照時間が多いからかそう感じる。それにイベントも多い。夏休みで午前は課外、午後からは遊べる。祭りや海水浴浮かぶものだけでも騒がしいものが多い。しかし、夏が終われば海も行かなくなるし、祭りも減る。静かになっていく。ついでに秋になれば静かにこの世界から去る。みんなの、家族の記憶からも消える。文字通り存在が嘘になる。

 やがて来る秋の静けさに身震いしながらほのかに色気付いた気持ちを溜息で隠す。

 それを悟られたのか目が合った。望んでいるのかいないのか、まだ答えはわからないが、目を逸らしてしまう。それでもこの嘘を見抜いて欲しいと言う気持ちはあった。


 ––––限界がもう分からない。


 だから今は何も言わないで。苦しいから。


 物足りないなんて言わない。どんなワガママも言わない。こうしているだけで今は幸せだから。だから……このままでいさせて欲しい。

 何かが変わるのが嫌で何もできないし、逃げ出すこともできない。だけど、つい欲しがってしまう。

 下を向いてしまうのは嘘吐きの無意味な反抗、悪足掻き。それは誰に対するものなのか。それすらもう分からないそのくらい屈折を繰り返していた。

 目を見て話せない。変化を望まないはずがいつのまにか変わっていた。変わったのはアナタじゃなかった。

 消える。そう思った時何か淡い期待が胸に熱を孕ませた。いつしかその熱は忘れて欲しくないと形を成して感情になっていた。そしてより一層気持ちと向き合うのに羞恥を感じるようになり、話をするどころか目すら見れなくなった。

 好きな人から離れるのは思いの外心に響いた。それも原因が自分なのだから尚更だ。だから嘘に罪悪感、後悔感じるようになった。それを一番拒んだはずなのに。しかし嘘だけはやめられない。嘘を隠すためには新たな嘘が必要になる。小さくても大きくても最初の嘘を隠す為に嘘を繰り返す。それは結果としてどうなるのかは分からない。けど嘘がバレないなら例えどんな終わりが来ようとも……。

 構わない。そう感じるはずだった。少なくとも嘘を吐いたばかりの頃は知られる羞恥を恐れたが、今は何よりも消えることやアナタに忘れることが怖かった。

 そんな怖さ、悲しさが心から溢れ、後悔と未練が身体から溢れてきた。

 想いを溜め込み、嘘を溜め込む。吐き出すことは嘘でしか叶わず、身体は次第に熱を孕み、いつからか火花が散るようになった。

 身体の中で散る火花はアナタが好きだと言うシグナル。そんなロマンスを唱える雰囲気ですらなくなってきた。アナタとの距離は開ききった。

“報われる”か”報われない“そんなことは関係ない。消える前にせめて話したいそれが最期の望みとして心の中で綺麗に形成された。

 限りなく澄み切った満たされたあの空いつか触れることができるのか。子供の頃そう思って笑われたのを思い出した。結果的には無理だとすぐに知ったが、嘘ならば、と思ってしまう。この想いに彷徨う微熱を嘘で溶かすように嘘は昔話で聞くような悪いことではないのだと知った。きっとそれを他人に伝えても信じてはくれないだろうし、その代償が嘘になる。そんなのは重すぎる。

 それでも、今を失うことを恐れても、アナタへの想いは重いのは変わらない。


 ––––この想いは間違いですか?


 間違い。そう言われてたとしてもアナタが好き。それは断言できた。

 嘘で好意を感じさせない恋は間違っているだろう。気持ちに真っ直ぐに、素直に向き合えないのは弱いからだ。きっとこの世界の他人は口を揃えてそう言う。だけど、弱い心が必ず悪いとも思えない。一人で考えて、悩んで。時折頬を緩めたり痙攣らせたり。そんな時間を罪だと、弱さだと言われたくなかった。

 そんな自分勝手を承知でアナタにもっと見て欲しいと思った。だけど、そんな勇気はなく、隠れたまま。前向きに考える気概も、戒める強い心もなく、そんな矛盾を許している。自分にだけに。

 もし、世界中の不安を集めて閉じ込めたなら何が起こるのか。弱く見えないだけできっと不安は誰しも持っているだろう。きっと、多分。

 心の中にあるこの想いとは裏腹に現実は残酷で願いは届くことはない。だから今日も嘘を吐く。嘘を隠す為に幾千、幾万の嘘を繰り返す。

 そんな嘘で埋まって行く心の中で、押し潰されそうな程に現実の残酷さと自分の想いは反比例していく。

 もうダメ。耐えられない、息ができない。気付いてよ。それはいつしか声になっていた。

 この想い、アナタが好き。

 目が合わせることはできず、想いは募り続ける。楽しげなアナタの隣、何も言えない。言わない。本当は何となく分かっていた。


 この想いが届くことはないことを……。


 泣いてはいけない、挫けてはいけない。カッコ悪いから、心配されたくないから、今が一番だから。言い聞かせて戒めていくのにも限界がきた。あと数日で夏は終わる明確な何かでもなくただの勘だがそれは確かなものだった。だからもう少し我慢しろ。

 そう言い聞かせ、アナタの近くで今日を過ごす。

 強がって、言えなくて、臆病で興味のないフリをしていた。

 だけど、胸を刺す痛みは、熱は増していく。

 ああ、そうか好きになるってそう言うことなんだ。そう思えた。本物を知れたとも思った。

「それにしても、恋か……」

 それにしても、だった。自分がこれほどまでに色恋に現を抜かすとは思ってもいなかった。人並み以上に映画や小説が好きで、特にその中でもラブストーリーは本当に好きだった。それでもそれを見ている時の自分はどこか他人事にしか思えず、自分に重ねても冷静な自分が俯瞰してしまう。それにそれを口にするのにも少し抵抗があった。自己肯定力の低さからか嘘を吐きはしないものの控えめで遠慮がちなところがあったから。今でも少し信じられないし、だから見ている時は自分が見られない景色のようでそれが楽しかったし、面白かった。

 世の中にいる恋愛対象になり得る他人は飽きて嫌になるくらいいて、この国だけでも八桁くらいの異性が存在する。でも、沢山の他人が取るに足らなかった。自分ばかりで謙遜の中に自己愛を混ぜてくる嫌味な他人ばかり。物語に出てくる素敵な誰かではなく、それを知って素敵な誰かに出会う事なんてないだろうと思っていた。

 でも、それはとても身近にあった。キラキラと輝く太陽のようなアナタ。昔から一緒なのに最近気付いた。


『どうしたい? 言ってごらん。

 嘘を吐き続けて“嘘”になるか、想いを伝えるか』


 心の声がした。

 アナタの隣がいい。しかし真実は残酷だ。言ったから叶う。そんなに優しくはない。

 だから言えなかった、言わなかった。もう二度と戻れない。

 あの夏の日、最終前夜の日。そのバスの中のアナタ。

 今でも思い出せる。怒った顔も笑った顔も大好きでした。思い出すだけで頬が緩む。

 おかしいよね。アナタの気持ちを悟っていて、分かっていて。だからこれはアナタの知らない心の中だけのこの秘密。

 夜を越えて、この想いは遠くに行っていく。心の中からアナタが消えていく。

 嘘を吐けば、その存在がなくなってしまう。そんな世界で”今“のために嘘を吐き続けた。

 だから、最期くらいワガママを、困らせちゃってもいいよね。

 結局我慢できなかった。答えが欲しかった。二者択一の選択肢は見て呉れ簡単だ。しかし、それ以上に難しいものがある。その答えを言うのに自身の磨耗は避けられない。特に他人と相手ひととを差別化する時、更にそのどちらかがよく知る者や親しい者なら沢山の自己が磨り減る。アナタと親しいなんて仲じゃないかも知れないが、自分の存在を自ら感じられるものが欲しかった。相手からすれば迷惑なことだが、最期なのだから許して欲しい。心の中でそう謝った。

 そしていつもと同じでいつもより特別で最期の朝。アナタに想いを伝える。

「ねぇ、今日サボらない?」

 断って欲しかった。そうすれば納得できるし、アナタを傷つけずに済む。だから承諾して欲しい気持ちを抑えて本心からそう思っていた。しかし、最期まで思い通りには進まなかった。

「珍しいね……いいよ」

 望んでもない答え。そのはずなのに安堵のため息が零れた。幾ら押さえつけても好意に他の気持ちが勝てる訳がなかったのだと悟り、今はこの状況を楽しむことに決めた。最期だからと、不安が付き纏うが本当に最期なのだから楽しんだ者勝ちだ。

 行ったことのないカフェに普段観ないジャンルの映画。それもアナタとだから楽しく感じることができる。会話を興じ、今日まで開きっ放しだった距離はみるみる縮まり、普段通りを通り越して距離を縮めた。

 そして来た夕暮れ。この陽が落ちれば静かな秋が始まる。そう思うと寂しくて悲しくて涙に熱いものが溜まった。

「陽が落ちる前にちょっと寄りたいところがあるんだけど、いいかな?」

 そんな申し訳なさそうな申し出に当然のように頷き、寄りたいところに向かった。

 そこは見憶えのある懐かしい神社。昔はよくここで遊んでいた。そんな記憶が蘇る。きっとこの頃からアナタのことが好きだったのだろうと今更ながら気付き頰を赤らめた。言うなら今しかない。覚悟を決めて最期の気持ちをぶつけた。


「アナタのことが大好きです」


 最初に言いたいと思っていた言葉は姿を変えてより分かりやすく、簡潔になっていた。色々な気持ちがある中でこれだけは確かで伝えておきたいこと。だからそれだけを伝えた。二者択一を迫るのは自分の精神的にも耐えられる気がしなかったので、怖気付いて辞めてしまった。全く意気地なしは変わっていない。

言い終わってみればどこが好きだとかも言えばよかったと思う。けど、明確な何かを好きだと言うのは何か違う気がした。

 言葉と共に陽が落ちた。それを確認すると存在が嘘になる。そのはずなのに姿は消えず、今もアナタの前に立っていた。

 正直驚いた。だが、消えるのは間違いない。証拠に体は透け始めている。この人気のない神社で、思い出のいっぱい詰まった神社で消えるのなら悔いはないと、それっぽいことを思いながら目線をアナタに戻す。今日もいつもと何ら変わらず、目を逸らしながら伝えた人生最期の告白。

 消えることで逃げ出すつもりだった。返事なんて求めていなかったから。悟っていたから、分かっていたから、怖かったから。

 しかし、返事はかえってきた。

「バカ、遅いよ。何で今日で最期なのに、最期なのに……。

 最期に昔みたいになれたから悔いなく笑顔で嘘になれると思ったのに。

 アナタへの気持ちを殺し続けてたのに。

 同じ……。アナタのことが大好き。アナタ以上に」

 嘘なんて吐かなければよかった。不思議とそんなことを思うことはなかった。

 想いが届いたことに、歓喜の笑みをこぼした。

 真実は残酷だ。だけど、とても美しい。誰かがそう言っていたのを思い出した。

 そう思いながら二人の姿は薄れていく。嘘になる。それを知って尚更一緒に居れた。最期に想いが分かったのだから最期は二人で嘘になろう。多分そんな感じ。言葉を交わさずともそれを確信した。

 でも、身体が粒子みたいになり始めた時、ふと何かを思い出したように神社の御神木に近づいた。それを見るでもなく、見守るでもなく、手を繋いでアナタ一緒に近づいた。

「ねぇ、カッター持ってない? 彫刻刀とかでもいいけど」

 どうして、とは聞かずにカバンから筆箱を取り出してその中に入っていたカッターを渡した。それを受け取ると少し恥ずかしそうに振る舞うアナタに魅入っていると笑いながらアナタは言った。

「どうせ消えるならちょっとは悪いことしてもいいよね」

 受け取ったカッターで御神木に相合傘を描き、その一方にアナタは自分の名前を書いた。それを終えるとカッターを返してもう片方に名前を彫るように目で訴える。それを微笑見ながら肯定して名前を刻む。

 それを終えるとそれを二人して嬉しそうに見つめる。

 傘の下に並ぶ二人の名前。文月野陽葵ふづきのひまり秋乃静化去あきのせかい

「ねぇ、なんで名前の最後の字、『射』から『去』に変えたの?」

「ああ、去るの方が合ってるかなって。どうせ読みも変わらないんだし」

「そうだね……」

少し残念そうにそう呟く。もう感覚も薄れ始めている。繋いだ手の、絡めた指の暖かさが消えて少しずつ恐怖を感じるようになった。でも、敢えて少し前向きに捉える為に未来のことを尋ねた。

「ねぇ、もし。自由に夢を選べるなら、どんな夢を見る」

「私は––––」

 その言葉を最期に二人は誰からも忘れられた。嘘のように。

 静化去と陽葵お互いがお互いのことを憶えているかなんてことはもう確認のしようがない。

 だが、きっと他の誰とも違う、とだけ言えた。

 二人はどんな夢を見ているだろうか。嘘のない世界でもう一度恋に落ちて今度こそ付き合うような綺麗な夢だろうか、それとももっと欲望に満ちた少し身勝手な夢だろうか。それに文句も称賛も付けることはできない。

 でも好きっていうのは多分そんな夢に頼らなくても大丈夫なのだろう。

 だって本当の好きはどこが好きかと聞かれても漠然としていて明確には答えられないのだけど、その人の何気ない癖や仕草に「ああ、好きだな」なんて思えるものなんだと思う。

 そんな漠然とした好きを、何度も感じられるのが本物なんだろうなって。

 優れた長所に対する好意は、きっとただの恋だ。

 だから、嘘を吐いてまで好意を隠したのだからきっと彼等なら大丈夫。

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夏の太陽が沈む時 九十九零 @rei_tukumo

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