4-4 さよなら1000万円

「せんせー待ってよ! 待って!」


 神崎さんが呼び止めるのを無視して、ホテル内を大股で歩く。

 まったく! こんなオシャレなところさっさと帰……。


「だから待ってって言ってんじゃん!!」

「痛いっ!!」


 ホテルの表の歩道に出たところで太ももの後ろにハイキックを食らい、僕は3歩よろけて立ち止まる。


「なんで! あのお金受け取らなかったの!?」


 神崎さんは憤怒ふんぬしてるけど、こっちは畏怖いふだっつの!


「だって見た? 1000万円だよ、怖すぎるって。あれ、僕の年収何年分だと思……って、哀れみの目で僕を見なーいっ!」

「余計に、もらっておいたほうがよかったのに……」

「そうだね僕も同意見だよ!!」


 ホントに、実際に痛いんだよ。

 威張ることではないけれど、僕がカードを切りはじめているということは、手元に現金がないということ!

 さっきは平常心をつとめていたけど、目の前に札束が積まれるたびに心臓がいつ破裂するか、札束危機一髪状態だったからね!?


奈朋なほのためのお金だから別にもらっとけばいいのに。それにあれ、パパの愛情だから」

「神崎さん……」


 神崎さんのお父さんは、お金を渡すことでしか愛情を示すことのできない不器用な人だとでも言うのだろうか。

 そういう人もいることは否定できない。

 でも。

 成人ならまだしも、保護者監督が必要な子を放置するのは……やっぱり見過ごしてはいけない。


「せんせー、わたしに同情してお金受け取らなかったんだよね? そういうの、ちょっと困るよ」


 神崎さんは口を尖らせてそっぽを向く。

 一昨日、彼女との約束を破って一悶着したこともあって、僕が気を使ってると思ってるのかな。

 もちろんアレについては猛省もうせいしてるけど、それでこうしているわけじゃない。


「お金をもらったから、その分きちんとしますって考え方は、良くないなって思うんだ」


 神崎さんは戸惑うように口元を震わせた。


「なんで? だってせんせー、他人じゃん。だったらわたしたちの間にお金があったほうが、せんせだってこんなりふじんな生活にも納得できるでしょ!?」

「そうすると、きみがお金で安心するようになるだろ? それは僕が悲しいから」


 彼女の前にしゃがみ込んで、視線を低くした。


「奈朋じゃなくて、せんせーが?」


 不安そうに首を傾げる少女に向けて、言葉を続ける。


「ええっと……。きみと僕は他人だけど、きみと僕のことは他人事じゃない。きみは僕の生徒で、シェアメイトだよね。僕はきみが困っていたら無条件で助けたいと思ってるんだけど……きみは違うかな?」

「……わたしも、助けるよ」


 ぼそりと神崎さんはつぶやく。


「よかった! 見捨てると言われたらどうしようかと思った〜」


 むっとして言い返そうとする神崎さんの肩を、喋り出すより早くぽんぽんと叩く。


「ね。人間は感情で動いたっていいんだよ。それに、そっちの方がうれしくない?」


 神崎さんは少しばかり黙ってから、ことんと頷いた。

 こうやって自分と違う意見でも、真剣に考えて受け入れようとする素直さは、彼女の良いところだと思う。


「せんせ。わたし迷惑かけるよ?」

「あはは。そんなの、ルームシェアが始まったときから覚悟してる」

「奈朋がいるぶん、貧乏になっちゃうよ?」

「大人にまかせなさい」

「忘れてると思うけど、奈朋のまだ揃ってない教材すぐにでも買って欲しいんだけど、本当に大丈夫?」

「……」

「絶対に忘れてると思ってた」


 そうだった。たしか、3万円くらい必要だったはず……。


「ダイジョブダヨ……ネットオークションデ服ウッタリスルシ……」

「もぉ、電話かして。雄一郎さんに電話してあげるから! あのね、子どもを育てるのは、いっぱいお金がかかるんだよ!? 毎月ちゃんと生活費くらいはもらっておこうね!?」

「はい。ごめんなさい……」


 神崎さんは僕からスマホを引ったくるようにして受け取ると、五百蔵いおろいさんの携帯に電話をかけて交渉してくれた。

 電話している小学生にどつかれて、こうべを垂れ、小さくなっているを、おしゃれな丸の内の人々がジロジロと見ながら通り過ぎていく。

 ……なぜだ。

 途中までは僕、カッコついてた……よね?


 ああもう。

 なきそう。

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