4-3 札束ピラミッド

 で、数時間後。

 テーブルの上に積まれた5つの札束ピラミッドに、僕は目が釘付けになっていた。

 500万円の向こう側のソファに腰掛けたブラウンスーツの老年男性は、すっかり頬を緩めている。


奈朋なほさんの表情を見ていると、生活に慣れていることがよくわかりました。本当に長谷川様にお願いして良かった!」


 彼は五百蔵いおろい 雄一郎ゆういちろう氏。部屋を決めるときに神崎さんに付き添っていた、ピリッとしたおじいちゃんである。

 氏は血の繋がった祖父などではなく、神崎さんの叔父さんの会社の人らしい。


 今日は前々から五百蔵さんに呼ばれ、僕たちは指定された有名ホテルのレストランに訪れていた。入口で名前を告げると別室に案内されるという特別対応をされ、その時点でまずビビり上がってしまった。

 レストランのお値段も気が遠くなりそうで、僕はいちばん安い1500円のコーヒーを頼んだ。もちろん五百蔵さんが姿を現すまで味を楽しむ余裕なんてありません。

 一方隣に座った神崎さん。彼女は全く気にする様子もなく、すでに1杯1700円のオレンジジュースを飲み干し、持ってきた本を読んでいる。……この子大物すぎるんですけど?


「で、すみません。これはどういう……?」


 目の前の見たこともない数の渋沢栄一……渋沢栄五百が気になりすぎて、チラチラと見ながら男性に尋ねた。


「お渡しが遅くなって申し訳ございませんでした、奈朋さんの生活費です。どうかこちらでお納めください」


 これが生活費?

 500万円もあるんですけど、一体これ何年分!?


「ああ、あのっ! 取り決め時は、最長でもマンション更新までの2年間の同居って聞いていたような〜……?」


 もしかして僕、いいカモだと思われてる?

 それで、大人になるまで預けるつもりだとか思われていたりしたらどうしよう?

 まさかウェディングドレスを着るまで!?

 いやいやいや普通に無理だよ!?


「ひとまず1年分と思っておりましたが、足りませんでしたか?」

「逆です引くわ!!」


 思わずデカイ声でツッコんでしまったけど。か、神崎さんって何者……なんだ?

 ゼンマイのねじを回すように、ゆっくりと彼女へと首を回す。

 この子、大金なんて目もくれずにメニューをガン見してるし。

 というか、1700円のあれ、おかわりする気?

 ルームシェア始めるときから、いいところの子だとは思ってたけどさぁ……。


「あと、それとは別に長谷川様への謝礼もございます」


 アッー!?

 テーブルの上に、さらに札束が5つ増えた。

 僕は目を開けたまま昇天しかけた。


 どうしよう、また夢なのかな?

 だってこれだけ現金があればコーヒーも買い放題だし、好きな服を悩まず買えるんですけど! まだこっちにきて服見る余裕がなかったから行きたいショップもいろいろあったんだよね〜。なんなら正価プロパーでブランド品も買えるじゃん!? 帰りにプ◯ダでスポサン買って、そのまま履いて帰っちゃおうかな〜最高か〜っ!(早口)


「……あれ。でも僕、彼女のご家族と会ったことないですよね? 大事なお嬢さんを預かるのに、ご挨拶なくこんな大金だけ受け取るなんて……」

「いえ、それはこちらの都合が悪く、申し訳ありません。お父上様も叔父である旦那様も、多忙でどうしてもこの場に来ることができないのです。ですが奈朋さんのお父上様より、長谷川様を信頼している証として預かってまいりましたこちらを納めていただければ」


 ええ。なんだソレ。


「もちろん、来年分の生活費および謝礼もまた4月にお持ちいたします」

「信頼の証が、1000万……」


 なんかそれって。


「暗に、1000万で信頼させてみせろ。ってことですよね」


 口に出してみて確信した。

 さっきから感じていた違和感はこれだ。


「神崎さん、帰るよ」


 僕は神崎さんの手を取って立ち上がった。

 神崎さんは状況がわからない様子で立ち上がり、僕たちの顔を見比べていた。


「それでは長谷川様。こちらを……」

「いりません、そんなの」

「えっ。せんせー、なんで?」


 疑問の声は神崎さんの方が先に上げた。

 僕はその答えを、腰を上げた五百蔵さんにぶつける。


「時間がなくて自分が会えない代わりに、お金で彼女の身の保障をしろって? そんなの拒否します。もしかしたら怪我をさせるかもしれないし、泣かせるかもしれませんよ。心配ならご自分で様子を見に来ることですねっ!」


 テーブルの札束がチラリと視界に入る。

 あれだけあれば、神崎さんにも苦労はかけないだろう。

 だけど、あれは絶対に受け取るべきお金じゃない。


「お金で人を動かそうだなんて、この子はモノじゃありません!」


 握りしめた小さな手は、こんなにも温かいんだから。


「長谷川様。そこまでおっしゃっていただけるのはとてもありがたいことです。しかし差し出がましいかと存じますが、現実的に長谷川様のご収入のことを考えると、まとまった現金があるのは決して悪くは……」

「やりくりしますんで、放っておいてくださいっ!!」


 収入のことを言われた恥ずかしさをごまかすように大声でわめくと、勢いに飲まれたのかこの男哀れと思われたのか、どちらにせよ五百蔵さんは絶句した。


「彼女のお父さんと会うまで絶対に、こんな無茶な金額受け取りませんから。それに、僕はあなたとビジネスしてるつもりはありません。その、長谷川様って呼び方が変わるまで話は聞きません! では!!」


 今度こそ神崎さんの腕を引いて、華やかで場違いな個室を飛び出した。

 レストランの入り口で受付の人と目が合う。

 うっ……。


「一括で! お願いしますっ!!」


 啖呵たんかを切った手前、自分たちの飲み物代は支払うことにした。

 ってか神崎さん、ちゃっかり2杯も飲んじゃってるし! 会計5000円ってなんだよそれ!!

 帰ったらうちの財政状況を教える会だからな! くそー!

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