6-3 生殺与奪の権は教頭が握っている

  ◆◇◆◇◆◇



 てか普通にいるし。


 へなへなと脱力しかけて、開けた教室のドアに手をつき体を支えた。

 もしかして学校に来てなかったらどうしようとも思ったけど、神崎さんはごく普通というふうに自分の席にいて、前の席の子と楽しそうに喋っていた。


「ホームルーム始めるよー。席ついてー」


 神崎さんと目が合う。

 ニコっと微笑まれた。

 やっぱり朝ごはんはそういうことだったのかな。

 もう怒ってないなら良かった……。



 春うらら〜なんて言葉があるけれど、今日は特に気候がいい。

 みんながんばって隠してるつもりみたいだけど、教卓からは生徒たちが船を漕ぐのがよく見える。世界の絶景のひとつにぜひ教卓を推したい。

 というわけで、目覚ましがわりに用意しておいたミニテストを配ることにした。

 前の席にプリントを渡しながら、さり気なく水口くんの様子を伺う。下を向いてなにか夢中に……って、ペンの解体? 意外と子どもムーブしてんだね?


 神崎さんには付き合えばとか言ったけど、水口くん、しっかりしてても女の子関係が心配だ。

 だってさ、神崎さんと付き合いたいからって、今の彼女とすぐ別れますなんて言うかな? それと同じことを神崎さんにもされたらすごく嫌だ。


 でも、僕は親じゃない。

 保護者代理はどこまで踏み込んでいいんだろう。干渉の線引きが難しくて、ずっと空回ってる気がする。うーん。

 ああっ、そうだ! 保護者といえば、もうすぐ家庭訪問があった! そっちのこともそろそろ進めないと。うう、頭が痛い。


「じゃあはじめー。15分後に集めまーす」


 テストが全員に行き渡ったのを確認して、僕は自分の席についた。パソコンを開いてふと疑問が浮かぶ。

 そういえば、神崎さんちってどこなんだろう?

 ホテルでおじいさんにあれだけ強く言ったのに、その後一切連絡はない。

 本当にあの子に無関心なんだろうな。

 ……なんか腹立ってきた。

 でも家庭訪問でご自宅に伺うのは教師の権利だ。絶対に保護者を引きずり出してやる。

 そして今度こそ、直接文句のひとつくらい言わせてもらうぞ!



  ◆◇◆◇◆◇



「長谷川先生、お茶どうぞ」


 昼休みの保健室。パソコンの横にお茶が置かれる。

 手を止めて見上げると、保健の上原先生がほんわりと微笑んでいた。


「あ、ありがとうございます、ゆ、ゆ……っ上原先生」

「長谷川先生……。あ、あの。雪、と呼んでいただいても……良いんですけど……」

「えっ……」


 僕たちは至近距離で見つめ合う。そして自然に彼女の手を取り僕は……。


「「ゆっきせんせ〜♡」」

「「!!」」


 のけぞるように上原先生から離れ、二人同時に首を横へと向けた。

 すっかり忘れてた! 今日は2組の鈴村先生もいたんだっけ! あと春風もな。


「イデデ!」

「誠くん、今アタシのこと、ついでみたいに考えてる顔してたわ」

「ギブ!」


 そうだよ、家庭訪問の進め方について、鈴村先生を保健室に呼んで教えてもらっていたんでした!


「ほらここ。なるべくアッチコッチ行かなくて済むように、近くの家は同じ日程で組んだ方がいい。だからこの地区はこの日に行くって長谷川先生がだいたい決めて、希望時間を保護者からいただくのがスムーズですかね」

「じゃあ、来週には希望のプリントを渡してしまったほうがいいですよね」

「そだね、共働きのご家庭も多いし、月曜に渡して戻しは……」


 ド変態だけど仕事はできる鈴村先生。いつも頼らせてもらっています。ド変態だけど。


「ねね、誠くん!」


 うれしそうな声で、春風が机の下から腰に抱きついてきた。僕の足の間から顔を出して見上げてくる。

 フン。そんなことをしても、僕はデキる教師だから動じないぞ。


「仕事中ー。じゃまですー。しっしっ」

「ナホちゃんって知ってる?」


 ノートパソコンを叩いていた手が止まる。


「か、神崎さん?」

「うん神崎奈朋ちゃん。今日アタシより早く学校に来てて友だちになったんだ!」


 ああー……。

 朝、そのまま学校に来てたのか。なんだ、どおりで駅まわりを探してもいなかったワケだ。

 納得した僕は、ふたたびパソコンに目を向ける。


「ねえねえ、あの子かわいいね。礼儀正しいし頭もいい。それに不思議なオーラを持ってるね。アタシああいう子好き。気に入っちゃった!」

「はは、よそ行きの顔うまいからね、あの子」

「ふーん?」


 視界が、立ち上がった春風の顔で遮られた。


「……なんだよ」

「ううん。よそ行きじゃない顔を知ってるんだーって思って」


 あ。しまった。


「い、いや、まあそれは……」


 もしかしてこれ、マズった?

 うげっ。

 心なしか、上原先生も不審者を見る様な目つきをされているようなー!?


「あの、私、長谷川先生のこと、その……」


 うそでしょ、辛そうに顔背けられた!


「えっとえっと上原先生? 今のは言葉のあやというか」

「いいんです先生、言い訳なんてしないでくださいっ。このことは私たちから教頭先生に伝えますので……」


 き、教頭!?

 あの極悪非道(のような顔をしているだけ)の教頭先生に伝えるだって!?

 その瞬間、僕の脳裏にある風景が見えた。

 それを以下、リストでまとめたのでご確認いただきたい所存である。


 ・海

 ・ボート

 ・ドラム缶

 ・セメント

 ・預金通帳

 ・縄

 ・背中のお絵かき


 ひいいいいい!? せいのニオイがしないんだけどぉ〜〜!!


「あのっ、う、うえはらちぇんちぇっ……」


 教頭と聞いただけで脳の機能が半分やられてしまい、声が震えてうまくしゃべれない。

 椿の花を散らすように汗が落ち、シャツに染みを作る。

 そんなとき、ずっと口を閉じていた鈴村先生が立ち上がり、僕はビクッと体を小さくして構えた。

 鈴村先生は無表情で僕を見下ろす。


 あわわ、あわあわ!

 なんてことだ。こんな一言で人生が終わるなんて!

 ごめんね神崎さん。僕はきみを守りきれなかったみたい。

 きみは明日からどうやって暮らしていくんだろうか。

 ごはんはスーパーの惣菜を買って食べてね……。

 って僕、お母さんかよ……。


 神崎さんのこれからの生活についてうれえていると、鈴村先生がだらりと落としていた手をおもむろに持ち上げた。



 ……パチパチパチ。


 え。


 パチパチパチ。


 ……拍手?


「おめでとう」


 えっ。


 パチパチパチ。


「おめでとー」


 春風も立ち上がる。


 パチパチパチ。


「おめでとうございますっ」


 上原先生も立っていた。

 は。どういうこと?


「僕らさ、長谷川先生ってオクテだからいつ生徒に慣れるかねぇって心配してたんだよね。教頭先生もこの報告聞いたら喜ぶんじゃないですか?」


 鈴村先生はもう飽きたのか、手を止めて座った。


「ごめんなさい。私、長谷川先生は、まだ無理かなとか思っちゃってました。えへ☆」


 なっ、上原先生!? エヘってかわいい!


「アタシはこれ一回やってみたかっただけ」


 てめぇ、春風ぇえっ!?


 いや、え。なにこれ……。

 鈴村先生が首を傾げる。


「ところで長谷川先生、なんで顔青いんです?」

「あんたの悪ふざけのせいだよっ!!」


「あ、いた」


 保健室の入り口から声が聞こえて、僕らは一斉に顔を向けた。

 立っていたのは噂の人物、神崎さんだ。


「あ、ナホだ。会いにきてくれたの?」


 春風がうれしそうに駆け寄って行く。


「うん。ハルちゃんともっと話したかったから!」


 二人は手を取り合いぴょこぴょこ跳ねる。

 こうやって見ると、ちゃんと小学生なんだよなぁ。なぜ単体で接すると、ふたりともアクが強いんだ……。


「さ、おふざけはやめて仕事仕事」

「って鈴村先生っ!! やっぱりからかってたんじゃないですか!」

「まあまあ、先生たち、新しいお茶いれますね。あ、長谷川先生にいただいたコーヒーもありますよ♡」


 かわいい上原先生(強調)が湯呑みを下げる。

 全然ふに落ちないけど、もういい、細かいこと考えるのはやめた。鈴村先生に真面目に付き合うと疲れる……。

 僕は諦めて、作業に集中することにした。

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