6-2 ガール・ミーツ・ガール

  ◆◇◆◇◆◇



「ゆっくり歩いたのになぁ」


 小学校を見上げて、わたしはため息をついた。


 せんせーと気まずかったから、朝、顔を合わせる前におうち出てきたけど……さすがに早く着きすぎて誰もいない。

 一応、ガッチリと閉まったロッカーホールの扉をこぶしで叩いてみるけど、静けさをよけいに強調させるだけでした。

 扉のガラスに顔を張り付けてホール内の時計に目をこらしてみる。まだ7時前。8時の登校時間まであと1時間もある。

 こういうときに限って本も持ってないわたしのバカ! とりあえず、中庭のいきもの小屋のぞいてみよっかな……。


 テンション下げのまま回れ右をすると、背後の大きな壁にぶつかった。

 ん? 壁??

 鼻を押さえながらゆっくりと視線を上げていくと、横幅の広い男の人がわたしを見下ろしていた。


「きゃーーー!!」


 へ、へへへ、変質者!?


「ぎゃーーー!!」


 って、なんで男の人も叫んでるの!?


「だだ大丈夫! 騒がないで! オレ警備員だから!! ねっ!?」


 男の人は一歩下がって距離を取ると、ぎこちなく笑ってホールドアップした。たしかに、門のところによくいる警備員さんの制服……だ?

 わたしも胸に手を当てて、ちょっとずつ冷静な気持ちを取り戻す。

 よ、よし。大丈夫。


「け、けいびいんさん?」


 男の人は高速でうなずく。


「そうそうそう! 学校を開ける時間になるまでは保健室で待機してもらっていいかな?」


 こっちだよと、警備員さんはくるりと向きを変えた。同時に腰のベルトについてた鍵の束がシャンと鳴る。


「いつも早く学校に来る女の子がいるんだけど、その子かと思って近づいたら、まさか違う子だったからびっくりした~」


 中庭を通って北校舎へ向かっていた。職員室、校長室、そして保健室と並ぶ廊下は中庭に面していて、外から上がることができる。

 警備員さんはわたしの前を歩きながら、ずっと喋りかけてくれていた。あいづちに、いきもの小屋のニワトリがけたたましく鳴いてくれた。


「さあ着いた! ここで待っていたら誰か来ると思うよ。あまり外をうろうろしないようにね?」


 警備員さんは保健室の鍵を開けると、今度こそ満面の笑顔で部屋を出て行った。

 わたしは靴を中庭に脱いで廊下に上がると、なんとなくドロボウみたいに音を立てずに保健室に足を踏み入れた。

 部屋を180度見渡してみる。ソファと迷ってから、中央の白い大きなテーブルに近づいた。ここで待ってればいい……んだよね?

 初めて保健室来ちゃった。

 慣れない場所と独特のにおいにそわそわする。



 ……コチコチコチコチ。


 時計の音がやけに大きく聞こえる。心細くて、心臓が縮こまる。



 ……コチコチコチコチ。


 なんもすることなーい。超ひまー。

 ……そういえばせんせー、朝ごはん食べてくれたかなぁ。



 ……コチコチコチコチ。


 昨日はせんせーに嫌なことしちゃった。ばんごはんのときもむかついて口きかなかったし。はぁ。わたしのこと嫌いになったかなぁ……。

 でも、せんせーが謝らないんだもん!



 ……コチコチコチコチ。


 てかせんせー、ほんとじゃんけん弱すぎ。いま思い出しても笑えるー! みんなにも教えてあげよっと、ぷぷぷー!

 ……ってか、わたしさっきからせんせーのことばっか考えてる人みたいじゃん!

 なんかむかつく! 別にそんなんじゃないし! だって


 ガラッ!


「ひっ!!」


 ノックもなくドアが開いて小さく悲鳴が出てしまった。無意識に時計を見上げると7時15分。まだ登校時間には全然早いし、誰!?

 ドアへと視線を移すと、しらたまみたいに真っ白な肌に、濡れたように艶やかな黒髪を肩の下まで流した女の子が、わたしを見て立ち止まっていた。

 けれどそれも一瞬。

 女の子は慣れた様子でずんずんと保健室に入ってくると、パイプ椅子を引いてわたしの隣に座った。

 その距離は30センチほどで絶妙に近い。

 なんでお向かいとかじゃなくてわざわざ隣? この子のお気に入りの席なのかな? あっもしかして、わたしと喋りたいとか?


「お、おはよう」


 隣を気にしつつ、前を向いたままあいさつしてみる。

 返事、なし。

 ……あれ? 聞こえなかったのかな。もちょっと大きな声で……。


「おはよっ?」

「……」


 相変わらず部屋には時計の音しか聞こえない。

 なにこの空気! 微妙すぎてあたま爆発しそうなんだけど!?


 そっと隣の女の子の方に顔を向けると、女の子は膝の上で開いたハードカバーに視線を落としていた。

 なんだ、静かなのは本を読んでいたからだったんだ。

 横顔はモデルさんのように整っていて、目が文字を追うたびに長いまつ毛がふわふわと上下している。

 なんだか夢を見ているみたい……。


「なに?」


 見た目よりも低く落ち着いた女の子の声が、そして漆黒の宝石のような瞳が、わたしを現実に引き戻した。

 惚けるように見とれていて恥ずかしい。 

 取りつくろうように姿勢を正して、わたしはいつも初対面の人にかならずそうするように、にこりと微笑んだ。


「初めましてだよね。あなたも早起きなんだね」


 女の子は少し眉を寄せてから、軽くうなずいた。


「わたし今日、初めて保健室に来たよ。早く学校に着いたからどーしよって思ったけど、めずらしい体験ができてよかったな。あなたは保健室にはよく来るの?」

「……」


 ……あれ? しっかりと目は合ってるのに返事なし。


「わ、わたし! 神崎奈朋なほっていいます。春に転校してきて、5年生です。……え、ええと……」


 オトナを相手するのは得意だけど、同年代のこういう子は初めてだ。どうしたらいいんだろ。

 なんかわたし、塩をかけた葉っぱの気分。しよしよ……。


 「ふふっ。猫屋敷ねこやしき春風はるかぜよ」


 小さな笑い声がして、わたしは殻から出てきたかたつむりのようににょきっと首を上げた。


「6年生。よろしく、ナホちゃん」


 大人びた笑顔はきれいな素顔をより魅力的に見せていて。

 わたしは女の子相手にときめいた。

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