3-6 好意の自覚
そしてご一行は二次会班と帰る班に別れて、ひとまず店前で解散となった。
同期の河田先生は本当にヤバかったらしく、教頭先生の姿が見えなくなるとすぐに道路に座り込んでしまった。僕と上原先生でお水を渡したりして介抱していると。
「上原先生ー! 僕と夜の街にしけこみましょう!」
こんなときにこんな非常識なことを言うのはただひとり……鈴村先生が上機嫌で僕たちの方へとやってきた。この人がセクハラで訴えられる日は近そうだけど、僕も困るからホント改めて欲しい。
「私、長谷川先生に送ってもらいますから結構です」
上原先生は僕の服の袖を握って、後ろに隠れた。
「ちえー。今日もふたりして手を繋いでたみたいですけどぉ、まさかデキてるんですか?」
「ひえっ!?」
え、待って待って。暴れるほど鈴村先生酔っ払ってたのに、アレ見られてたっていうの!?
「えーっと、鈴村先生、あれは、その」
「そうです! 私たちはそういう関係なので、もうそういうのやめてくださいっ!!」
あっ、上原先生も話をややこしくするーっ!
ずしん、と重い圧が胸にのしかかった。
キリキリとゼンマイで内臓を搾られるような息苦しさが僕を冷静にしていく。
気持ちを消費するような言動が目の前で飛び交い、この時間を繕うためだけに空っぽな嘘が量産される。
どうして僕は、こんな茶番に愛想笑いなんてしていられるんだろうか。
僕は上原先生の手を、丁寧に引き離した。
「長谷川先生……?」
上原先生が不安げな目を向ける。鈴村先生はというと無表情だ。
「あの。そうやって誤魔化すのはやめましょう。僕がキツイです」
気まずそうに、上原先生がくっついていた腕から離れた。僕は上原先生を背中に隠すようにして、鈴村先生を正面に向き直る。
「鈴村先生、僕たち付き合っていませんよ。ただ僕が……一方的に上原先生に好意を寄せているだけですから」
鈴村先生の口端が少し上がる。
「す、鈴村先生に上原先生を連れて行かれると、僕がいい気がしません。だから、やめて欲しいんです」
はじめからこう言っておけば、上原先生に心にもない嘘を言わせなくて済んだのに。自分がヘタレで卑怯で
「そっか。じゃあ長谷川先生に免じて、今日は諦めるよ」
……あ、あれ?
鈴村先生はあっさりと、いつもの気の抜けた雰囲気に戻った。
後ろを見ると、上原先生はうつむいてしまっている。
怒った、かな……?
上原先生に気を取られていたら、鈴村先生に腕を掴まれて引っ張られた。抵抗する間もなく、肩にぽすんとあごを乗せられる。げ、なにこれ。
「ねぇー長谷川先生。僕、なんでモテないのかなぁ?」
「……アダルトさが最前線張ってるからじゃないですか」
「えー、オープンエロのほうが潔くていいのかなあと思うんだけどー。先生とかムッツリそうじゃんー」
「しししらないですよ!」
ていうか、上原先生の前で、そーいうこと言うのやめてほしいんですけど!?
腹が立って引き剥がそうとすると、鈴村先生は余計に引っついてくる。本当にうっとおしい。
しかも嫌がる僕を押さえつけて、あろうことか頬がつくくらい顔を寄せてきた。
「あのねっ!」
「誰にでも人肌が恋しいときってあるじゃん。たぶんね、そういうときって心に隙間風が吹いてるんだよ。自分を見て欲しい。ひとりを感じたくない」
? 一体何のことを。
「人は、一人じゃ生きていけないから。だからさ――」
言葉が、耳に投げ込まれる。
「きみが埋めてあげて?」
……あ。
鈴村先生を引き離して、もう一度顔だけで振り返る。
上原先生は所在なげに、足元を見つめていた。
鈴村先生……。
もしかして、ずっと前からきちんと上原先生のことを見ていて、元気がないことに気づいていたんだ。
自分の上原先生に対する小さな好意が、急に
この人と同じ土俵に上がるためにも、僕はもっと……大人にならないといけない。
「鈴村先生。僕、負けませんから」
つぶやくと、鈴村先生はにっこりと笑った。
「あーあ、いいなー。今夜長谷川先生は、上原先生とかー」
「は!? 何が!?」
「えっ、これから二人でラブホ一択でしょ? むしろ他になにすんの?」
「だから鈴村先生っ、セクハラがすぎるんだよこの歩く生殖器が!!」
そのあとは、鈴村先生はひとりで夜の街に消えて行った。気分悪そうだった河田先生はいつの間にかいなくなってたな……。
僕はというと、駅に向かうため上原先生と肩を並べて歩いている。
上原先生のロングニットが風で波打つ。春の夜は昼と比べてえげつなく気温が下がるから、薄手のアウターだと心もとなさそうだ。
『ラブホ一択でしょ?』
頭のなかで鈴村先生の言葉が、回転寿司のようにたびたび回ってきて僕を惑わす。
一択じゃないからね、まったく。大丈夫です、上原先生! 僕は絶対にそんな弱ってる人の心の隙を狙うなんて野暮なことはしませんからね、誰かさんと違って!
……と思いつつ、普段の3割増で上原先生を意識してしまう。
理性と本能に挟まれて意識の混濁と戦っていると、気づくと夜中なのに目がチカチカするほどのピンクの明かりが……。って、いつの間にホテル街に!?
え、なにこれ。無意識の本能ってこと? えー、嘘でしょ、ちょっと自分の本能が怖い!
そ、そうだ、この道を通れば駅が近いんだ。だから、変な意味じゃないからね、上原先生っ!
……本当に変に思われていないだろうか。ドキドキしながら隣を伺うと、上原先生は流れるように腕時計に目を落とした。
「あの私、終電までまだ2時間あるんですけど……。せっかくですし、もう少しお話ししていきませんか?」
「あ、ぼ、僕は……」
家で神崎さんが待っているし、今日はすぐにでも帰らないと……。
でも……。
目の前の、顔がネオンピンクに染まった上原先生を見つめて生唾を飲み込む。
ここで、断れる……か?
そもそもだよ。
僕の話を聞かない神崎さんにも非はあるんじゃなかろうか。
別に僕の帰りが遅くなっても、彼女の自業自得っていうか……。
それに、僕と神崎さんはただの同居人ってだけで、お互いを干渉する間柄じゃない。プライベートまで気を使う必要はないよね? いや、ないはずだ。
「そうですね。うちも隣の駅だし大丈夫ですよ。もう一軒行きましょうか!」
とはいえ、まわりを見渡してみるが見事にラブホしかない。
いや落ち着けよ。ここで童貞丸出しみたいな考えは起こすなよ。少し歩いたら普通の店もあったはずで……。
「そうなんですね。もしよかったら私、長谷川先生のお部屋に行ってみ」
「うちはチョットオオオ!!!」
驚いてつい叫んじゃったよ! でも死守! これだけはどうしても死守だ!
「うち、ね、猫がいて。たぶん今日は僕の帰りが遅いから気性が荒いかな〜。引っかくんですよね彼女!」
「そ、そうなんですか……」
ひえー、上原先生引いてる〜!
大のオトナが猫を理由に入室断るとかないだろ……。言い訳のチョイス、ミスったぁ。
「あ、あの、すみません! でも! またの機会でよければ! 絶対に来ていただきたいですっ!!」
もうなんとでもなれと思いっきり頭を下げる。
「……はい。じゃあぜひ♡」
上原先生はくすりと笑ってくれた。
ホテル街を再び歩き出す。
心臓をバクバクとフル稼働させながら僕は考える。
さっき「上原先生に好意を抱いている」と本人の前で言っちゃったけど、先生はどう思ったんだろう。
そんな相手の家に行きたいって何考えてるんだろう。
……はあ。だめだ、こういうのってひとりでぐるぐる考えても答えは出ないんだよなぁ。結局は本人じゃないとわからない。
けど同僚だし。なるべく慎重にいきたいよなぁ。
「……寒い」
隣からつぶやく声が聞こえて、僕は急いで着ていたジャケットを彼女の肩に引っ掛けた。
「ありがとう、ございます……」
僕たちはどちらからともなく手を繋いで、体温を分け合いながらそのままホテル街を抜けた。
僕が彼女に恋心を抱いたのはこの日。
それからきみをもっと知りたいと思ったのも、この日だった。
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