3-5 手を握ってくれませんか

 しばらくの間、水をちまちま飲みながらぼーっとしていると、肩から心地よい重みが抜けた。


「はあ。恥ずかしいですね。同僚の前でメソメソしちゃって」


 上原先生が新しいグラスに手をのばし、水を口に含んだ。

 酔いもだいぶ覚めたようで、いつの間にか言葉もしっかりしている。


「お水、私のぶんまでありがとうございます」

「いえいえ。先生の悩みが少しでも軽くなったならうれしいです。って。調子のりすぎですかね!」

「いえ、誇張でもなく、ほんとにうれしかったです。私、すぐ自分を卑下しちゃうから……」

「あっ僕もよくしますよ、しょっちゅう消えたくなる。でも、クラスの子が好きだから当分の間は死ねませんけどね。あはは!」


 あーあ、僕はお酒飲むといらないことまで喋っちゃうな。明日、上原先生が忘れていますように。


「先生、恥ずかしいついでにお願いなんですけど……」


 上原先生はそう言うと、もじもじしながら机の上に右手を乗せた。


「手を、握ってくれませんか?」


 はあ。

 ……っええ!? なにこれ、どういう状況!?

 え、僕が? 僕なんかのわけないよな、何かの間違い?


「ぼ、僕よりも、鈴村先生のほうがイケメンだし……」

「?」


 あーああああやってしまった! 僕テンパりすぎ!? 酔いが一気に覚めましたけど!

 しかし、上原先生はきょとんとしたままだ。

 い、今ならコンテニューできるな? よし!


「あっ、なんでもなかったです。し、失礼しまーす……」


 ここはたぶん、スマートに手を乗せておくとカッコいいポイントだったよね。なんでこんな情けないんだろう……。

 なきそう。


 緊張で汗ばんだ左手をおしぼりで死ぬほど拭って、申し訳程度に上原先生の手に重ねる。

 すると、ぎゅっと細い指を絡めて握ってくれる上原先生。

 か、かわいいいい〜〜っ!!


「えへへ。ちょっぴり嫉妬しちゃいました」

「えっあっ、なにがですかっ!?」

「『生徒が好きだから死ねない』って」

「あっはいっ!!」


 だめだもう手が気持ちいいしか考えられない無理!

 とりあえず今の状況を把握するために、頭のファンをフル回転させねば。


 ……期待するなよ、長谷川誠。


 浮ついた気持ちが冷却される。

 このロマンス的なものは上原先生が酔ってるからで、ただのラッキーだってことくらい、僕にもわかるだろ。

 だって、いつもそうじゃないか。

 僕はで、所詮だった。今まで。ずっと。


「きみの! 運命の人は僕じゃなくて辛いーけど否めないぃー! グッバイ!」


 えっ、なになにっ!?

 大きな声に驚いてとっさに手を引っ込める。

 振り返ると、座敷でうちのイケメンが暴れていた。


「ううー、犬かキャットかで死ぬまで喧嘩したいよぉ……」


 鈴村先生って泣き上戸なのか……。


「はあ。戻りますか……」

「ですねっ、ふふ」


 僕たちは苦笑して、カウンター席を立った。


 かも2小ご一行様特別座敷に戻ると、3人ほどの屍ができていた。

 生き残った先生たちは顔を赤くし、機嫌良くまだお酒をあおっている。

 元気な人たちはいいけど、屍たちは家に帰れるのか? とりあえず、さっさと全員ハケさせよう。


「あの、そろそろ時間なのでー。飲み放も終わりだから、帰る準備を……」

「なにをいう~!」


 え、突然なに! 教頭先生っ!?


「……下の句は『早見優〜』だ、バカモノ! オラ二次会行くぞ~! カラオケだな!」


 え、下の句とかわけわかんない、怖い!

 てか二次会があるとか聞いてないんだけど!?


「私はレベッカのフレンズが歌いたいわ」


 校長先生、店内BGMに感化されてますね?


「僕は欅坂の……やつを歌うんだぁ……」


 鈴村先生、そこはヒゲダンじゃないのかよっ!?


 チラと時計を見る。

 21時40分。

 神崎さんの顔が頭をよぎる。


「よしカラオケの達人に行くぞ~ワハハハ!」

「す、すみません、僕、今日はこのへんで……」


 同期の河田先生が、ふらふらしながら挙手をした。

 あ、僕も便乗しとこ……。


「河田先生……今日の会は、ための歓迎会ですかな……」


 教頭先生の俺様系(パワハラとは言わないよ!)に、河田先生も僕もビビって時が止まった。

 空気の重みが増して、誰もが黙り込む。

 そのきっかけを作ってしまった河田先生は、さらに顔が青くなる。それはもう見ていて可哀想なくらいに。


「教頭先生」


 そのとき、今までおとなしくしていた上原先生が割って入った。


「今日はとても楽しかったので、ついお酒がたくさん入ってしまった方が多いようですね。私が見る限り、これ以上無理をさせると急性アルコール中毒を引き起こす恐れがあります」


 保健室の先生の言葉には説得力があり、さすがに教頭も黙って聞いている。


「特に、社会人になりたての先生たちはお酒にも慣れてないでしょう。ここは教頭先生のようにお酒にのまれていないベテランの方だけで二次会に行くほうが、次でも楽しめるかと進言いたします」

「うーむしかし……。俺の若い頃はだなぁ」

「まぁまぁ教頭先生。いいじゃありませんか」


 校長先生がにこにこと遮った。


「今日ははしゃきすぎちゃったから、私たちも悪いわ。それに春から病院にお世話になるのも縁起が悪いですし。ね?」

「む、校長先生がそうおっしゃるなら……」


 ホッとして上原先生を見ると、軽くウインクをしてくれた。

 先生……なんてデキる子!

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