2-2 天使と小悪魔

 目が覚めたとき、僕は白い天井を見上げていました。


「あっ、気がつかれました?」


 頭を押さえながらソファから起き上がると、白衣を着た女性が僕のそばで、足を抱えるようにしてしゃがみ込んだ。


「長谷川先生、HR中に倒れたんですよ。ネクタイ、締めすぎていたみたい。うふふっ」


 えりもとを触ると、確かに真っ平らになっている。

 あーっと。HR中に目を回して……うろ覚えだけど教頭に運ばれていたかも?

 それで保健室?で休ませてもらっていたのか。倒れた原因は気合いの入れすぎね、なるほど。

 ……恥ずかしくて死にたい。


「改めまして、養護教諭の上原うえはら ゆきです。ご気分はいかがですか?」


 そう言って白衣の女性は、白い指先で赤茶色のスクエア型眼鏡を持ち上げた。

 眼鏡の奥の垂れた目を三日月に細め、無防備に歯を見せて笑う姿は少女のようで、思わず見惚みとれてしまう。

 焦げ茶色のロングヘアが彼女の肩の前にはらりと落ちたとき、ムスクの甘い香りが鼻をかすめた。


「……天使がいた」

「えっ。長谷川先生?」

「え?」


 だめだ僕、今完全にIQが下がってる。



  ◆◇◆◇◆◇



 その後、教頭先生には体調管理に気をつけるようこってりとしぼられ、新任教師歓迎会の幹事を任されることで(僕らの歓迎会ですよね……)開放され、僕が仕事を片付けて帰るころには18時を回っていた。

 ちなみに新任の先生は僕以外、1時間前には帰っている。

 初日から自分のダメさを見せつけられてしまった。つらい。


 残っている先生方にあいさつをして、職員室を出る。

 春といってもまだ夜は肌寒い。僕は背中を丸め、ジャケットのポケットに手を突っ込んで校門へと歩いた。

 ついさっきまで子どもたちの声が職員室まで聞こえていたような気がしていたのに、すでに校庭はモノクロに染まり人気ひとけもなかった。

 小学校は昼と夜で顔の差が激しくて不気味なんだな、と思いつつ校門を出たとき。門の隅で動く黒い塊が目の端に映り、思わず悲鳴を上げかけた。


「って、神崎さん!? 何してんの!?」


 端っこで小さくおさまっていたのは、もともと小さめサイズの同居人だった。

 生徒たちは昼に帰ったはずなのに、彼女は家に帰った様子もなく、制服でランドセルを背負ったまま猫がそうするように僕をじっと見ていた。

 今朝の失敗を思い出して言葉に詰まる。

 その間にも、神崎さんは無言で圧をかけてくる。

 きちんと言葉にする以外、ここを通過することは許さない……ってことか。


「あの、今日はごめんね」


 自分の失態に、素直にこうべを垂れる。

 どうぞ存分に罵ってください。

 学生のころからそうだった。いつも大事なところでヘマをして、人に迷惑をかけてしまっていた。


「ほんとだよ」


 そう答える神崎さんをチラ見すると、かなり、顔が、怖い。

 やっぱり、アレはよっぽどだった……よなぁ。


 大学生時代も、女の子と初めてデートをするって大事な日にさ。休日だからって洋服、全部親に洗われていて。がんばってアイロンかけて乾かしたけど、待ち合わせに1時間遅れて、駅前で大土下座大会をしたっけ。

 そのあとおしゃれなカフェに連れて行かれて、まあ、遅刻したし支払いは僕が立候補したよ。服に入り込んでた財布も洗われていたから財布もなくて、そのままポケットにつっこんでいた現金で支払いしてたら、女の子の片眉、つり上がってたなぁ。

 それで暑い中、次の目的地へ歩いていたら、後ろから走ってきたバイクに女の子のバックを引ったくられて。突っ立ってるだけだった僕は女の子にどつかれ、そのままうずくまって動けなくなって、救急車を呼ばれたと思ったら熱中症で入院――あれも最後まで迷惑かけたなぁ。

 以上、ふらふらついでにふられた僕の物語でした。


「……せ! せんせーったら!」


 はっ、意識がトリップしてた。

 我に返ると、神崎さんが僕の腕を揺さぶっていた。


「だから、無理とかしないでよ! しんぱいじゃん!」

「……ん?」

「みんな、せんせーのことしんぱいしてたよ! 質問しすぎちゃったねって、反省してたし!」


 いやいやいや! 生徒たちのせいなんかじゃない!

 全部、僕の体調管理の問題で……。


「だから、がんばりすぎたらダメなんだから! 今日は、わたしがせんせーのこと連れて帰んなきゃって。わたし、わたし、わたしいいいい」


 張り詰めていたものが切れたのか、神崎さんが泣き出した。

 まさか、それでずっと僕のこと待っててくれたの?


 家を決めるときはすべてシナリオ通りだったとしても、家族と暮らせない逆境は本物だったはずなのに、唇を結んで一切泣かなかった彼女が、初めて僕の前で涙を流している。

 やっぱり、本当は心根の優しい子なんだ……。


「ありが……と。ごめんね。これからは、気をつける……から」


 やばい。僕もつられて泣きそう。

 明日はクラスの子にもちゃんと謝って、心配してくれてありがとうって伝えよう。


「……帰ろっか、神崎さん」


 鼻をすすって頷き、神崎さんは僕の隣にちょこんと並ぶ。


「……奈朋なほ、アイス食べなきゃ死んじゃう」

「うん、アイス食べよー」

「せんせーのおごりだからね!」

「りょーかい」

「あとせんせーは罰として、アイス半分奈朋にあげること!」

「えっ!?」


 僕の初教師の仕事はさんざんで、ちょっぴりしょっぱい思い出になったけど。そこまでヘコんでないのは、不本意だけどこの子のおかげかもしれない。



………………


…………


……



 さてと。お風呂も入ったし、買ってきたアイスアイス〜♪


「ってあれ。僕のアイスは?」


 ちゃんと神崎さんと僕のふたつ分を買って、自分でここに入れたから……。

 冷蔵庫前からリビングへと目を向けると、ソファの向こうから振り返る小さな双眸そうぼうとぶつかった。というか、ソレ! 手に持ってるやつ!


「まさか、ちょっ、それ僕のじゃん!?」

「奈朋ね、ダッツなら2個食べられるから」

「その事情は知らんわ! えーそのアイス高いんだよ!? 奮発して買ったのにぃ〜」


 神崎さんはわざとらしく大きなため息をつくと、挑発的な笑みを浮かべた。


「せんせーってば、泣・き・む・し、だよねー」

「!?」


 はあーーーー!? きみがそれ言う!?

 てかまさか、夕方のも泣きマネ!?


 あああああこいつううう。

 やっぱ小悪魔だったわ!!

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