現在-2

 その日に診察したのは、有効な治療法のない珍しい病気に罹っている少年だった。最善と考えられる治療を行っても、助からない可能性は決して低くはない――正直な診断に、現実味を抱けていないらしい少年と、涙ながらに懇願する両親。それが仕事とはいえ、「お願いですから」に無情な真実を突きつけていくのは気が重い。子供の未来に心を寄せて一緒に泣き叫べたなら、よほど楽だったのだろうが、それが許される立場ではないのだ。

 救えなかった人生よりも、元気になった子供の方がよほど多い。なじるような哀惜よりも、感謝の方がよほど多い。平等に捉えた上で前向きに治療に励む、そんなスタンスがより正しいのだろう。

 それでも、救えないことへの悔恨が勝ってしまうのは確かだし、心が慣れていくことへの嫌悪も募るのだ。たったひとりの命を巡る切実さが、何人もの患者の中に埋もれていき、必死な懇願がときに疎ましく思えてしまう。命の終わりを見つめるたび、瞳は汚れて曇っていくようだった。


 先ほどの家族のことを頭から振り払いつつ、昼食を摂りに休憩室へ向かう。流されているテレビで紹介されているのは、来月に映画館で公開される久しぶりのハリウッド映画だった。映画には興味がないので流し聞きしていたが、耳に入った「時間の逆行」という言葉につい注意が向いてしまう。そんな設定らしいアニメ映画が数年前にも大ヒットしていた気もするし、タイムトラベル物なんて映画の定番だろう。それらの話題が出るたびに「面白いから」と勧められてきたが、どうにも観てみる気にはならない。


 今だって夢に見るくらい、あの夏をやり直す幻想が終わらないのだ。巻き戻したい時間、取り返したい過去、どうしたって叶わないそれらに無駄な期待を抱きたくはない。巻き戻す幻想をいくら感動的に描かれたって、虚しいだけだろう。


 ふと、看護師に声をかけられる。

「夏気分を味わおうって、師長が箱買いしちゃったんですよ。よければ先生もお一つどうぞ」

 差し出されたのはラムネ瓶。記憶を刺激する色合いに顔を顰めそうになるが、平静を装って受け取った。

 

 窓際の若いスタッフたちが、瓶を日光にかざしてはしゃいでいる。

 今の僕が覗いたら、その景色は輝いて見えるだろうか。

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