過去-1
二十年以上も前、小学校で最初の夏休み。田舎に住む父方の叔母を両親と訪ねたときのこと。何やら真剣な様子で話し込んでいた親たちは構ってくれる様子がなかったし、遊び道具も見当たらないその家は退屈で仕方なかった。外に出たいとせがむと、なぜか蚊帳の外にされていた祖父が近くの公園へと連れ出してくれた。いま思い出すに、認知症の進んでいた祖父の面倒の見方を話し合っていたのだろう。
祖父がすぐにベンチで居眠りを始めたのをいいことに、僕は一人で遊んでいた女の子に声をかけた。母から「知らない子と仲良くなっちゃダメ」と念押しされていたのだが、喧嘩になるような悪ガキには見えない女の子なら大丈夫だと思ったのだ。いま思い出すに、その地域で広まっていたらしい新興宗教に巻き込まれる心配だったようだが。
刺激のない田舎町ではじめて見つけた、心惹かれる出会いだったのだ。
フルネームは覚えていないし、名乗りあってはいなかったのかもしれない。「ナツ」という響きだけは舌が覚えていたが、それだけで彼女の現在にたどり着くのは困難だろう――いま生きていれば、の話だが。
麦わら帽子と黒いリボン。白いワンピースと、水色のサンダル。僕より少し低い背丈で、けれど教室にいた女の子とは違う大人びた表情をしていた。どこか寂しそうな瞳が嬉しそうに細まるのに、初めての心の揺れ方を知った。その笑顔に会いたくて、なんとか笑わせたくて小さな脳みそを振り絞った、その必死さだけは覚えていた。
目を覚ました祖父に連れられ、家へと帰っていく途中。初めて聞いた彼女の大声が、僕の名前を呼んだ。
「またね。また、明日ね」
彼女の声に滲む感情が、幼くも深い愛惜が、僕のそれと比べてどれだけ強かったのかは分からないが。
君のそばにいたい。そばにいなくちゃいけない。夏休みが終わる前に会えなくなることも分かっていたはずなのに、どうしようもない離れがたさが胸の底に刻まれていた。夕日の朱と一緒に、瞼に灼きついていた。
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