第四章 ライクスの祭り(前編)
ワーレッジは、夢を見ていた。
夢の中で、足元をぼんやりと見ながら、歩いていた。普段は長ズボンスタイルのワーレッジなのだが、ズリズリと、古びたコートを引きずっていた。
その背中には、赤ん坊を背負っている。
モルテだと、伝わるぬくもりが教えていた。今は生意気盛りの、元気いっぱいの女の子であるモルテちゃんが、可愛らしい赤ん坊に戻っていた。
昔の記憶だと、ワーレッジはぼんやりと思った。
ズリズリと、ボロの大人のコートで寒さから身を守り、歩いていた。七年前、初めて力を使って、しばらく後の出来事のようだ。
ワーレッジは、ぼんやりと、夢のなすがままに、夢を見る事にした。
どうやら、街中をさまよっているらしい。十歳のワーレッジにとって、見渡す家屋は、まだお城のように大きく見える。ただし、通りに人影はなく、無人であった。
ワーレッジの子供の頃の記憶とは、ベールディン王国が滅びる光景、人々が混乱し、逃げ惑う光景なのだ。
ふと、立ち止まった。
裏路地から、人の気配がしたためだ。
興味を引かれたのは、なぜだったのだろう。力を発揮する以前のワーレッジであれば、絶対に近寄らなかったはずだ。誰かが助けを求めていても、救う力など、なかったのだから。自分たちの命を、危険にさらすだけなのだから。
路地裏に向かうと、よくある光景を目にした。
王国の民が帝国兵に囲まれ、暴行を受けていた。
ワーレッジは、静かに告げた。
「ねぇ………やめてあげてよ………」
おとなしい少年が、町で不良に絡まれたような物言いだった。
裏路地には、十人ほどの帝国兵がいた。
着の身着のままの、長袖と長ズボンはばらばらで、みすぼらしいものだった。傭兵と勘違いしてもおかしくない姿の中、軍として統一されている装備は、胸当てに腰まわり、腕を守るだけの、薄い金属製の鎧だった。
足元だけはしっかりと守られている。ブーツは金属に覆われており、ガシャガシャと、足音がうるさいのだ。この音がすれば、息を殺して、過ぎ去るのを祈らねばならない。隠れる知恵のある子供だけが、生き延びている。
ワーレッジも、そうして縮こまっていた一人だ。
今は、数人の帝国兵に囲まれていた。
ワーレッジが、声をかけたからだ。
「なんだ、このガキ」
「おい、貴様、いったい誰に口を聞いている」
背中に赤ん坊を背負った避難民の子供など、帝国兵には、見慣れた姿だった。これで、おびえて泣き叫んでいれば、可愛げもあるだろう。彼らは、そんな弱者をいたぶることで、優越感を得る性質の兵士達だった。
今も弱者を取り囲み、いたぶっている最中であったのだ。それをワーレッジに邪魔されたため、気分を害したようだ。
四人ほどで、ワーレッジを取り囲んだ。
「何でこんなことするの、ボクたち、何も悪いことなんて――」
「だまれっ、貴様ら六王国が過去に犯した罪を、あがなうべきなのだっ!」
「そのとおりだ、砂漠に追放された我らが祖先が受けた、そして我らが受けた苦しみを――」
ワーレッジは、うんざりした。
聞き飽きた、戦争の理由だった。
ベラベラと、悦に入って演説する有様は、どこでも同じらしい。王国の過去の罪を、王国の民はあがなうべきだというのだ。
逆恨みであると、王国の誰もが知っていた。
砂漠を拡大させた帝国が、豊かな土地を求め、大昔の戦争が始まった。その結果、彼らの故郷へと戻されただけなのだ。
それであるのに、また仕掛けてきたのだ。
「ねぇ、それってウソだって知ってるんでしょ。そんなことするから、追放されたのに、また悪い事しに来たんでしょ?」
ワーレッジはそれでも、言葉による解決を選んだ。
元来優しい少年であり、それが臆病の理由でもあった。からわかれ、臆病ワーレッジと言われた程度では、変わらないのだ。
今は、変わっていた。
力を使うことは、怖くない、使わなければいけないのだと。
そのため、言葉で解決しようとしたのは、敵に対する、慈悲だ。
最も、帝国兵が理解するかは、別問題である。横暴な態度を隠そうともせず、勝者の優越を吐き出した。
「口の減らないガキめ、これは正義の戦いなのだ。貴様らが招いた――」
目の前では、暴行が続いていた。
ワーレッジより少しお姉さんだ。
ワーレッジは、その様子を観察した。言葉が通じないのでは仕方がない、やめさせようと、つぶやいた。
「水よ集え、敵を穿つ刃となれ………」
一人がワーレッジの胸倉をつかもうとしたところだった。別の兵士が、ワーレッジの周り現れた水滴に、気付いた。
そして、叫んだ。
「離れろっ、そいつ、宝玉術の――」
言い終わる前に、全員が、うがたれていた。
いいや、全員ではなかった。当時のワーレッジは、水滴を三つしか、制御できなかったのだ。力を発揮し始めたばかりであり、とっさに思いついたのは、友人の得意技だった。亡きレーネックのそばで、常にその力を見てきたのだ。
その力を、使ったのだ。
「動くなっ!」
暴行の中心にいた兵士が、少女を人質に取っていた。
人質に取られた少女は、ブラウンのロングヘアーに、オレンジの瞳の、ワーレッジよりお姉さんの女の子だった。その瞳はうつろで、兵士のなすがままにされていた。もはや、恐怖は過ぎ去っているのだろう。喉元に刃を突きつけられ、人質とされていても、無反応だった。
一方の兵士は、おびえていた。少女の喉元に触れていた刃も震え、触れた箇所から、わずかに出血していた。
兵士は、周りにうずくまっている人々に向かって、怒鳴った。
「おい、おまえら、あのガキを殺せ。さもないと、この娘――」
命じる前に、悲鳴に変わっていた。
男の腕が、破裂したためだ。
ナイフを握っていた手が、目に見えない“何か”によって、押しつぶされたのだ。そしてぐしゃりと、地面に散らかった。
人質をとっていた兵士の悲鳴が、裏路地に響き渡る。自らの腕だった血黙りに倒れこみ、激痛に身をよじる。
周りの兵士達も、ようやく、自分達が手を出してはならないものに手を出したと、気付いたようだ。武器を構える手が震えていた。
ワーレッジは、静かに近づいた。
「言葉を紡がないと、力を使えないってわけじゃないんだよ?」
ワーレッジは、恐怖で固まる兵士の前まで来た。
「水よ集え」
ワーレッジの周囲に、光が見えた。
先ほどの攻撃を思い出し、兵士達は後ずさる。しかし、弓矢を放つでも、ワーレッジに切りかかろうとするでもない。武器を持つ手が、震えるだけであった。
頭部が吹き飛び、胴体に大穴を明けた仲間の死体を、横目で見る。この距離では、防ぐことも、逃げることも出来ないのだと、教えていた。
ワーレッジは、説明を始めた。
「ちゃんと形にするには、しっかりと形を思い描かないといけないんだ。思って、言葉にしないと、形にならないから。そうでないと――」
次の瞬間、倒れこんでいた兵士は、またも絶叫を上げた。
残っていた腕も、見えない“何か”によって、握りつぶされたためだ。
人質となっていた少女は血しぶきを浴びたが、気にしていない。あまりの出来事に、認識が追いつかないのか、すでに心が麻痺していたのかは、分からない。
ぼんやりと、ワーレッジを見つめていた。
ワーレッジは、続けた。
「今みたいに、ただの力になっちゃうんだ」
その姿は、幼い子供が、遊んでいるように見えた。例えば、歩き始めた幼子が、地べたを飛び跳ねる虫の足を引きちぎるようなものだ。
何だろう。
好奇心よりもなお、あいまいな感情。
こうなっているのかと言う、あるいは納得。
ワーレッジが次の実験に向かう前に、両腕を引きちぎられた兵士は、絶命していた。
「慣れてないからね。ボクって力が強いみたいだから………だから、使うのが怖かったんだ。自分が壊れちゃうし、みんなも壊しちゃう」
悪意のない、きょとんとした子供の顔が、兵士達に向けられていた。ワーレッジは、ただ説明をしただけであるが、帝国兵の受け取った言葉は、こうである。
――どのように、死にたいか。
その通りだ。
ワーレッジにとっては、ただ、なにが出来るかを試しているだけであった。
目の前にいるのは、敵である。
殺さねばいけない、敵である。
では、どのように殺せばいいのか、今の自分に、なにが出来るのか。自分達を守るために、どうすればいいのか。その答えを、必死に探っている最中であった。
兵士達は、誰からともなく、ひざを折っていた。
ワーレッジが命じたわけではない。自発的な行動であった。
死ぬことには、変わりない。ならば、苦しんで死ぬのと、瞬間で命を終えるのと、どちらがいいだろう。
残った兵士達は、ひざを折っていた。
一思いに殺してくれと、震えながら、小さな子供に向かって願ったのだ。
「う~ん………うまく出来るかな?」
臆病ワーレッジ
自らが傷つくことを恐れ、誰かを傷つけることを恐れていた、やさしい少年の、かつての呼び名だった。
今は、何のためらいもなく、他人の命を奪うようになっていた。
力の使い方を、学ぶためだ。まずは、最初にひざを折った男の頭が、破裂した。
水滴を、送り込んだのだ。
痛みを感じないという意味では、慈悲を与えられたというべきだ。その気になれば、いくらでも
勝利に酔い、一方的な暴行と言う快楽に溺れていた兵士達の立場は、逆転した。
そして――
「みんな、大丈夫?」
ワーレッジは、声をかけた。
それは誰かを気遣う、優しい少年の顔だった。
人々は、おびえた。
その後ろでは、帝国兵の死骸は燃え尽き、代わりに、地面がかまどの中のような色をしていた。
だが、違うのだ。
放った力にではない。ワーレッジ自身を、恐れたのだ。
とても優しい少年だと、声で、その表情で伝わってくる。
その少年が、あれほど残虐になれた。
いや、残酷な行為をしたという自覚も、ないかもしれない。殺戮の後であるというのに、何事もなかったかのような、優しい笑みを浮かべていたのだ。
心が、壊れている。
大人たちが、恐怖した理由だった。
「――ぁ………」
最初に声をかけたのは、人質となっていた少女だった。
声は出ていなかったが、ワーレッジに声をかけようとしたと、分かった。首は、ナイフを押し付けられていたため、少し出血をしていた。気にしていないのか、傷口を押さえることもなく、ふらつきながら、ワーレッジを見た。
そして、ぼんやりとした声であったが、はっきりと訊ねた。
「………ねぇ………お名前………は?」
大人たちが止めようとしていたが、少女は無視して、ワーレッジに
「ボクは――」
これが、ワーレッジの、新たな家族との出会いだった。
夢は、唐突に終わった。
* * * * * *
「――起きて。ワーレッジ、起きてってば………」
揺さぶられている。
ワーレッジは、夢うつつに、感じていた。
よく知っている、女の子の声だった。
だが、ワーレッジがまず意識する、可愛らしい女の子のものではない。顔を緩ませ、兄として可愛がろう。そんな意欲に結びつかない声だ。
それでも、心を許している相手には違いない。ワーレッジは、夢の世界に戻ろうとしていた。声の調子で、危険がないと判断したのだ。今は、起きる時ではないと――
「起きなさいっ!」
反射的に、ワーレッジは起き上がった。
お姉さんの言うことは聞きなさい。そう言われたに等しく、反射したのだ。
逆らうなと。
子供時代に培われたそれは、絶対的なもの。今この場においては、間違いなくお姉さんの弟であった。
「………やっと起きた」
お姉さんが、呆れ顔で見下ろしている姿が、目に入る。
ブラウンのショートへアーに、オレンジの瞳のお姉さんだ。弟で、子供の自分をいつも守り、育ててくれた。七年前から、ワーレッジの姉となった女性であった。
「ニルミア姉………」
まだ眠そうに、ワーレッジはこぶしで目をこすった。
半分は、演技だった。
夢の中で人質になっていた少女が、目の前のお姉さん、ニルミアだ。ショートヘアーの今は二十一歳で、十七歳のワーレッジとは、少し年の離れた恋人でもいい年齢である。
だが、ワーレッジにとってのニルミアは年上の女の子ではない、姉と言う分類だ。
七年前に、ニルミアがそう宣言して、それからは共に過ごしている。新たに家族となったまま、姉弟関係は変わらない。
ニルミアはロングスカートの腰に手を当て、お姉さんの貫禄を見せ付けていた。
「いつまで寝てるの、そろそろ準備でしょ?」
何のことだろうと、ワーレッジは起き上がりつつ、手探りでお姫様の姿を探す。
ニルミアがいるということは、ここはカルバ要塞であり、自分が油断しているということは、安全な自分の部屋と言うことだ。
巨大なクレーターの内側に幅広い窓を持つ、そこそこ広い個室である。
三十階建てだったか、五十階建てだったか、ベールディンの王宮をはるかに超える、巨大構築物である。モグラや、アリになった気分だと、小さな赤ん坊に笑いかけ………ワーレッジはようやく気づいた。いつも抱きしめて眠る、小さな女の子がいないのだと。
「モルテは?」
岩壁を、ぼんやりと見つめる。
部屋は岩をくりぬいて作られているため、岩の部位がほとんどだ。油断をするとコケが生えるために、たわしが隣に置かれている。
今は、ワーレッジに生えそうだ。岩製のベッドの上で胡坐をかいて、ぼんやりとニルミアお姉さんを見つめている。
「昨日は疲れてるだろうって、私のとこで預かって………って、忘れたの?」
そうなのだ。ワーレッジの可愛いお姫様は、昨晩は、一緒に寝ては下さらなかったのだ。
しっかりと休んで欲しいと。幼いながら、疲れているワーレッジを気遣ってのことであった。ワーレッジとしては、必要のない気遣いであるが、気遣うあまりの行き違いも、よくあること。
今はベッドの上で、一人で胡坐をかいていた。
ここはカルバ要塞にある、数百ある住居の一つだ。驚くべきことに、全て岩盤をくりぬいて作られていた。個室は同じ間取りで、五メートル四方と、狭いというよりは、ちょっと広いくらいの広さだ。
そして、古びているが、分厚い木製の扉もあった。ただ、それだけでは味気ないと、彫刻や落書きなどで、個性を出していた。
この部屋には、つたない子供の絵があった。
作者はワーレッジである。七年前、この部屋を住居と決めた記念に、家族の肖像だと描いたものだ。
そのあたりに転がっている石で、子供が落書きをしたとも言う。
「今晩は『ライクスの祭り』でしょ。モルテちゃんは、まだ――」
ワーレッジは、即座に起き上がる。
そして、新ためてモルテがいないことを確認するや、大慌てで着替えだす。もう、『ライクスの祭り』なのだ、忘れていたと。
「準備、準備。ニルミア姉、早く、早く」
のんびりとしていた男の子は、とたんに“お兄ちゃん”の顔になった。さぁ、急がなくてはと、お世話が待っているというお顔で、大慌てでニルミアが持ってきた衣服に着替えはじめる。
幼馴染とはいえ、そろそろ女子への気遣いをしてもいい年齢だが、そのつもりはないらしい。それは、年下男子が着替えても、一切動じないニルミアお姉さんにも言えることだった。
着替え終わったワーレッジは、ありがとうの一言もなく、駆け出していた。
部屋には、脱ぎ散らかったワーレッジの衣服と、ニルミアお姉さん一人が、残された。
「………ほんとに、兄バカなんだから………」
うれしいというより、あきれたという感想だった。
そして、ふと笑った。
私がお姉ちゃんになる。
七年前に、とても強くて、臆病な男の子に告げた言葉だ。
それは、宣言だ。
命を守り、育てる意味は、そろそろ理解している年頃だった。将来に備えて、すでに家事全般は完璧の、しっかり者が自慢だった。ブラウンの髪の毛を伸ばして、お姉さんらしくしようとして………
突然、奪われた。
今は肩までと、短い。手入れが楽だと、周りには伝えている。短くしたきっかけは、実は本人もよく覚えていない。帝国兵の返り血でうっとうしかったために、ナイフでそぎ切ったのだと、近しい人々は思っている。
本当に、覚えていなかった。
血にまみれた髪の毛と共に、ニルミアは何かを失ったようだ。
では、ワーレッジは、何を失ったのだろうか。
大人たちがおびえた理由は、そこにある。死に対する感情が希薄というか、命を奪うことに、何も感じていない子供が、ワーレッジだった。優しい少年であるが、どこか壊れてしまったのだと、大人たちは悲しみ、恐怖した。
ニルミアが受け取った感想は、違った。
懸命に何かをしようとしている、臆病な男の子。その理由は、背中に背負っていた、小さな命だった。
なら、お姉さんの自分もがんばろう。
この子たちのお世話をしようと、思ったのだ。
「あっ………朝ごはん、食べさせてなかった………まぁ、おなかが減ったら戻ってくるでしょう」
お姉さんと言うか、お母さんである。
二十一歳では、子供をもうけていてもおかしくない年齢ながら、手のかかる弟と妹の世話が忙しく、結婚どころではないのだ。世間ではそれは、立派な母親の役割を果たしていると評価されるだろう。脱ぎ散らかされた衣服を手に取り、洗濯場所へと向かうのが、いつもの朝。
別名、奥様達の会議場である。今日は、ライクスの祭りの話題で持ちきりだろう。ニルミアは笑みを浮かべながら、ワーレッジが開け放ったままの扉へ向かう。
ふと、壁の落書きが目に入った。
「思い出………か」
それぞれの部屋の壁や扉には、何か記念になるものを記そうとして、様々なものが彫り込まれている。一族の紋章であったり、死んだ家族、友人の名前だったりと、新たな住人の、心を大きく占めるものだ。
この部屋に掘り込まれたものは、家族の
子供のつたない絵であったが、髪の毛が長かった頃のニルミアと、赤ん坊だったモルテと、モルテを背負うワーレッジ。
今はそれぞれ成長している三人は、とても大切な家族である。だが、一人だけ、ニルミアの知らない姿があった。
ワーレッジの持つ宝玉の、本来の持ち主の少年だ。ワーレッジ達を逃がそうとして、命を落としたという。
よく聞く話だ、家族を守ろうと戦った。そして、誰もが大切な人を亡くしている。家族に、友人に………失ったものは、二度と取り戻せない。ニルミアは、オレンジの瞳をしばし細めて見つめると、まっすぐと前を向いた。
「さって、お姉さんは、今日も大忙しよ」
短いブラウンの髪の毛を風になびかせ、洗濯物を持っての、出撃だ。
いつもの朝が、始まった。
* * * * * *
風は涼しく、そろそろ真上の太陽は、ぽかぽかと石畳を暖める。
ここは、町の中。
ベールディン王国の東の外れにある地方都市は、名前もそのまま『東の果ての都』と呼ばれている。通りでは、人々が手に手に紙袋を抱えて、せわしなく行きかっていた。
その紙袋の中身は、色とりどりのリボンと言うか、リボンを解いたひらひらした飾りであった。
近く、祭りでもあるらしい。見ると、町のあちこちに、この数日さえ持てばいい、安っぽい飾り物が飾られていた。
その様子を、睨む瞳があった。
都市の中心、怪物の角のように、一対の
「愚民どもが、帝国の加護で生かされているものを、祭りだと?」
黒い髪の毛を乱雑に切りそろえた男は、バルガデアンであった。
普段は新品同然の鎧を身につけているが、今はゆったりとした、立派なガウンをまとっていた。ベールディンらしい、自然をモチーフにしたデザインであった。植物の葉っぱに木々に、花々に隠れて、動物の顔も見え隠れする、詰め込みすぎの賑わいだ。
そう、衣装は立派であった。
だが、バルガデアンご本人は、ズタボロだった。袖からのぞく二の腕には、包帯がぐるぐる巻きで、靴の片方は、見るとスリッパだ。哀れにも、足首も包帯でぐるぐる巻きの上、杖も手にしている。
先日の、死に神の森の戦いの、結果であった。
戦場で受けた傷ならば、軍人の勲章である。なのだが、無様に逃げて、転んでぶつかって大怪我を負ったのだ。今のバルガデアンならば、森の緑を見るだけで、怒り狂うに違いない。いや、すでに怒りは口をついた。愚民との蔑みは、八つ当たりだった。
しかし、八つ当たりは、えてしてよい結果をもたらさないものだ。お返しが、待っていた。
「君が愚民と呼ぶ人々とは、我ら帝国の民なのだぞ、バルガデアン隊長。新任の君には、分からぬことか」
壮年の男性が、あきれたという感情を隠さないままに、告げた。バルガデアンは怒り、
「街道の安全は物流の安定につながり、町の治安は人心の安定につながる。窓から見える騒ぎは、その象徴だ。よっく見ておきたまえ。君には、初めての祭りであるな」
これは、バルガデアンに対する皮肉であった。
言った本人も、そのつもりだろう。濃い灰色のロングヘアーを、まっすぐ後ろに撫で付けた壮年の男性だった。衣服は、バルガデアンのそれと同じ、森をモチーフとしたデザインである。
ただ、少しちぐはぐの印象を受ける。それは、肩からかけられた、彼の身分を表すたすきに原因がある。灰色の下地に、黒の長方形が重なった機械的なデザインであるためだ。
ウアルデギド帝国の、政治的地位を表すたすきであった。
「市長殿のお言葉、いちいちごもっとも。我が部下達は、しっかりと任務を全うしております。休日など、誰も欲しがりませんので」
本人は、そのつもりだった。
すぐに、返された。
「部下を休ませるのも、上の勤めであると学んでいないのか。まぁ、人手が不足では、仕方のないこと。無理をさせて、すまないと思っている。増援部隊が到着すれば、故郷で心置きなく、休むといいだろう」
丁寧な言葉だが、意味はこうだ。
クビだと。
増援が到着すれば、帰れと。
その意味を理解したバルガデアンは、黙り込み、再び、窓の外に視線を移す。
そこに、ノックの音が聞こえた。
「ウルガゼイン失礼を………おぉ、これはこれは……そう、そう、新規に派遣された都市警備隊長の、バルガデアン殿でしたね………なんともまぁ、おいたわしいお姿だこと」
返事を待たずに、威勢の良い女性が入ってきた。
イヤミたっぷりの言葉に、バルガデアンは怒りを隠さず振り返ると、バカにした笑顔が、そこにはあった。ブラウンのロングヘアーに、黄金の瞳の、
服装は簡素なローブであるが、やはり、特徴的なたすきを肩からかけていた。市長のたすきと同系のデザインだ。下地の色は、白で、楕円が重なっていた。
ウアルデギド帝国の、神官様のお姿であった。
「それはそうと、ウルガゼイン、信徒から不安と不平の声が上がっています。どうすればいいでしょうね」
皮肉と言う嫌がらせは、続くようだ。
しかし、結論は一つしかない、現場に押し付けると決まっている。人手がなければ、のんびりと休暇を与えることなど、出来ないのだから。
その不満をどうするのか。
「神官ギニレリータ、そのために、これから会議を行う。バルガデアン隊長は、どうかお気になさらず、自室で療養されよ」
「そうそう、お祭りは、窓から眺めるだけでも楽しめますよ。最初で最後のライクスの祭りを存分に、今のうちに」
そろって、バルガデアンを見つめる市長様と、神官様。遠まわしながら、これから会議だから、出ていけと言っているのだ。
本来はバルガデアンも出席すべきものであるが、その席はないらしい。押し黙ったまま、扉に向かうしか出来なかった。
途中ですれ違う神官殿へ、わざと肩をぶつけることも出来るが、そこまで子どもではないようだ。どたどたと歩きたい気持ちも、片方が杖であれば困難でもある。
静かに、部屋から去っていった。
「………それで、どうするんですか、ウルガゼイン。この七年、あなたの尽力あって、それなりの日が続いてたのに………」
礼節をわきまえないご登場であったが、さらに豪快になっている。神官を表すたすきを、面倒そうに肩から外していた。
それほど、目の前の市長ウルガゼインとは、信頼関係のあるということだろう。無礼と言うか、どこかの酒場の
市長殿はこの乱暴なお姿に、全く動じておられない。代わりに、あさっての方角を向いて、何かをそらんじた。
「帝国は、逆らう者を許さない。反抗心を抱いていようと、従順であれば問題なく、従順でなければ殺すという圧力によって、今の平和は維持されている」
帝国の、支配方式のようだ。
逆に、逆らわなければ生きていけるということで、ウルガゼインのように、時には帝国の意向を無視する形で、地元の安定を維持する人物もいる。
死に神ワーレッジへの対応も、その一つだ。
宝玉術の使い手であると察していたが、賞金稼ぎに下請けさせるという、英断を下したのだ。
すなわち、放置と。
そもそも、森に入らなければ無害であり、王国の時代にはすでに、誰も立ち入らない森であったのだから。
それを、バカがかき乱したおかげで、大事に発展する予感があったのだ。
「あれで『民衆の主』だとはな………旧帝国を滅ぼし、革命政権を滅ぼし、真に指導者にふさわしい………と言うが、愚かな旧貴族と、どこが違う」
「革命に次ぐ革命で、もう、ごちゃごちゃですからね………それに、いい貴族もいましたよ。真っ先に殺されちゃいましたけどね。五連銃なんてものが出てきたから………」
ギニレリータには、市長の言わんとすることが分かっていた。これから、帝国は意地になってバカをしでかすということだと。
同時に、誰もいない扉を向く二人。
ここにいないバカこと、バルガデアンの姿を見つめているのだ。ウルガゼインは表情では分からないが、ギニレリータは、明確にあきれたお顔だった。
「はぁ~、あのバカを処刑してやりたい。衆人観衆の下で、こうやって――」
続きは、無言劇であった。
すっと手のひらで、斬首のジェスチャーをしていた。ブラウンのロングヘアーも、ばさっと、宙を踊る。ギニレリータと言う神官は、見た目どおりの、姐御といった豪快な女性であった。
「………やはり、ただでは済みそうにありませんか、ギニレリータ」
「済ませてはならない………が、正しいでしょう。賞金首相手に、帝国軍が敗北したのですからね………来年は、皇帝選挙ですし」
神官ギニレリータは答えると、姐御の貫禄にふさわしく、腰に手を当てて、ウルガゼインをじっとりと睨みつけた。
知っているくせに、
市長ウルガゼインは、苦笑いだ。
「皇帝陛下は、落選を恐れておいでなのだ。『民衆の主』が、皇帝にふさわしい人物を選ぶと言うがな、革命で首が挿げ替えられるのと、変わらないらしい」
ウルガゼインは困ったことだと笑いながら、懐から封書を出した。
すでに、開封されていた。
「ベールディン総督府からですか、ずいぶんとお耳の早いこと………って、早すぎません?」
ベールディン総督府とは、ベールディン王国の、かつての王都にある。東の果てにあるこの都とは、当然、距離があるのだ。
それはもう、姐御が驚くほどに。
それほど、上は事態を重く見ているわけだが………
「『宝玉術』の専門部隊を差し向けるとの事だ。保安の補充は、あきらめよう」
実直な市長に見えるウルガゼインは、彼らしくなく、投げやりに言うと、手紙を机の上に放り投げた。
そして、こちらもらしくなく、姐御神官はうなだれる。
悪い予感は、悪くなるばかりのようだ。
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