第三章 襲撃

 カルバ要塞の、とある秋の日。

 時刻は、お昼にはまだ早い時間帯。カルバ要塞の眼下に広がる森との入り口に当たる『三日月門』では、本日の獲物を自慢しつつ、中央広場に向かう採集組みであふれる時間帯である。

 今日は、いつもより騒がしかった。


「敵はどこだっ!」

「弓矢部隊、全員配置に着きました」

「槍部隊、準備よし」


 戦士たちが、集まっていた。

 モートリスたちから、警報が届いたのだ。採集組みは大慌てで要塞に駆け込み、荷物よりも命だと、多くは手ぶらだった。

 代わりに、武器を手にした若者達が整列していた。

 広間の形にそった、お出迎え陣形である。階段入り口及び、それぞれの踊り場の防衛線が破られた後の、最終防衛線でもある。


「帝国軍の大部隊が、街道のこちら側に集結していたってさ」

「まったく、俺たちも有名になったもんだ。帝国軍がお相手とはな」

「一応は、隣国とは不可侵ってことだからな。暇なんだろっ、ちきしょう。

「明日はライクスの祭りってのに………狙ってんのかっ」


 威勢のいい言葉を言い合っているが、実は大半が、実戦は初めてだった。二十歳を過ぎたばかりの若者を始め、十代半ばすぎであれば、七年前の、王国陥落の当時は守られる側、無力な子供の側だった。

 当時から戦い続けた面々もまた、基本的に援護と言う戦歴。それは、ワーレッジたち、迎撃組みが優秀であった証であった。

 カルバ要塞が見つけにくいおかげでもあり、モートリスたち、森の民の力添えも大きい。それでも、準備は常に、万全だった。


「おぉ、ワーレッジ」


 一人が、気付いた。

 カルバ要塞の守りの要である、死に神の登場だ。

 淡い水色のショートヘアーに、琥珀の瞳の十七歳のワーレッジは、胸から琥珀のお守りを下げている。茶褐色の長袖、長ズボンに、すねをすっぽり覆うロングブーツ。そして、ひざやひじ、腰や腹部を守る、皮製の鎧という、いつもの姿だった。

 敵を侮っているのではなく、この姿のほうが戦いやすいのだ。


「みんな、準備はばっちりだね」


 何事にも動じない、いつものお子様の顔であった。それは強さゆえの余裕だと、若者たちに勇気を与えている。


「任せな………っていうか、門番だけで、きっと十分だぜ。敵は深い霧の中で前も見えず、こっちはしっかり見えて、弓矢の嵐をご馳走するんだからよ」

「むしろ、増援に行く準備はばっちりかって、訊けよな」

「そうそう、敵さんより、長い階段が厄介だぜ」


 笑い合って、緊張を、不安を薄めていく。これが、カルバ要塞の強みである。自分達の居場所を守ると、全員が、一つになっていた。



 *    *    *    *    *    *



 森の散策。

 都市の喧騒から解放されて、心と体をリフレッシュ。普段は石畳に、煙に、人々の喧騒に囲まれていると、ふと目に入る緑がまぶしく見えるものだ。こうして自然に身をゆだねてみると、人もしょせん獣なのだと、妙に詩人を気取りたくなる。

 あるいは、哲学者か。ともかく、それは気分がいいものだ。

 五分くらいなら。

 男は、すでにボロボロだった。普段、あまり外を出歩かない人物のようだ、青白い肌は汗だくで、こぎれいな衣服は、真新しい汚れ、擦り切れに情けなく疲労を表していた。

 何らかの地位についていると示す、たすきらしきものを肩から下げていたが、ボロ雑巾との見分けがつかない有様だ。幾度も転び、木々にぶつかったのだろう、盗賊に襲われたのかと心配したい姿であった。

 早く町に戻りたいに、違いない。その願いを、口にした。


「無茶なんですよ、バルガデアン殿。こんな広い森の中なんですよ。市長殿も言っていた通り、賞金稼ぎに任せましょうよ」


 斜め前を行く、全身鎧の男に、バルガデアンに懇願していた。

 早く戻ろうと、懇願していた。

 懇願しながらも、不安げに周囲をきょろきょろと見渡す。男は都市の評議会の目であり、耳である若者だ。そのために、バルガデアンに引っ張り出されたわけだが、まったくの貧乏くじであると、消極性の塊だった。兵士に囲まれていても、まったく安心していないのだ。ここは、迷いの森、死に神ワーレッジが出没する森なのだから。

 だが、バルガデアンは、そのためにここにいた。


「書記官殿にはご苦労をかけるが、王国の使い手が生き残っていた。その存在が、どれほど厄介なものか、お分かりのはずだ」


 まっすぐに、バルガデアンは前を向いていた。

 方角と言う意味ではない。まっすぐに正義を、信念を貫く。そうした人物の姿を、猿真似していた。前後左右を、三桁に及ぶ兵士に守らせて、自信たっぷりだ。

 槍に、弓矢に、そして、切り札も引き連れていた。

 銃である。

 三十名ほどが、細長い、鉄の筒を肩に担いでいる。五連銃と呼ばれる、この部隊最強の攻撃力であった。名称どおりに、弾丸の数は五発である。威力も射程も、共に弓矢を遥かに上回る。特に威力が肝心だ。

 これは七年前、『宝玉術』の使い手を倒したとされる布陣であった。個人の戦闘能力で言えば、剣や弓矢の部隊を全滅させるほどの、恐るべき力の持ち主である。

 なら、数をそろえればいいのだ。しかも、銃は弓矢よりはるかに威力を持つ武装である。

 その上――


「書記官殿、こちらにも『宝玉術』の使い手がいるのだ。王国に生まれながら、帝国の庇護で生きることを許された使い手が………そうだな」


 最後の言葉は、斜め前方を歩いている少女に向けられていた。

 書記官と呼ばれた男も、つられて少女を見る。兵士達にまぎれて、小さな影がよろよろと歩いていた。

 女性らしい丸みを帯びつつあるが、まだまだ子供だと見て分かる、十三歳か、十四歳ごろの少女だった。ともかく、戦場に向かうにはか弱すぎる印象だ。

 武装も、おざなりに過ぎた。胸当てにひざ宛など、明らかに、サイズが一致していない。しかも金属製の鎧だ。大人でも訓練を受けねば動きにくいものだが、どう見てもその訓練を受けていない様子の上に、どこかやせこけて見えた。

 転ばないように歩くだけで、精一杯なのだ。そのために、自らに声をかけられたと、気付けなかった。

 それが、バルガデアンの気分を害したようだ。


「おい、貴様に言っているのだ、返事をせんかっ」


 態度が、急に横暴なものに変わった。書記官と呼ばれた男には、礼節を払う騎士を演じていたバルガデアンである。

 少女には、礼節の必要はないようだ。


「はっ、はい、申し訳ございません」


 慌てて、少女は振り向いた。

 乱暴に扱われるのが当然のようだ。おどおどと、うつむきがちに、バルガデアンに駆け寄ろうとする。

 そして、転んでしまった。

 ふわっと、金髪が舞った。後ろでポニーテールにくくっていた布地が、ほどけたのだ。慣れない衣装に、慣れない森の道では、当然である。

 であるのだが、バルガデアンの不機嫌は、爆発した。

 少女の顔を蹴り上げた。

 慌てて立ち上がろうとしていた少女は、今度は後ろに倒れこむ。戦いを前に、正気なのだろうか。少女は切れた唇から血を流していた。全身を板金の鎧で覆われている男の、遠慮のない蹴り上げである。それは、唇も切れるだろう。


「この役立たずがっ、貴様らは、帝国の慈悲によって生かされているのだと、忘れるなっ」


 少女は、ひたすらに謝罪の言葉を述べた。

 それは、うつむいた姿勢のせいで、ボソボソと、聞き取りにくいものであった。バルガデアンの不機嫌は、即座に暴力に変換される。

 気持ちの強弱はあれど、それが帝国にとっての普通であれば、書記官は、少女の待遇には、さして思うところはない。

 だが、愚か者の道連れは、ゴメンであった。死に神の森の中にいるのだ。少女にかまけてどうすると、書記官の若者は口を挟む。


「バルガデアン殿………そんなことより、戻りましょう。帝国の礎であるあなた達軍部には日々感謝をしている次第でありますが、お願いです、無用な争いはお控えください。兵たちは、街道警備に町の警備に、万が一の襲撃対策にと、必要なのですから。どうか、ご自重ください。どうか、どうか………」


 書記官の男は、同じ言葉を繰り返し、それでも口にした。

 書記官とは、数百の部隊を私欲で動かすバルガデアンと言う愚か者をして、無碍に出来ない程度には、高い地位であるのだ。


「む………書記官殿、ご心配なさるな。本日、この鎧は死に神の血に汚れることになるだろう。はっ、はっ、はっ」


 笑っていた。

 少しは気が晴れたのか、書記官へは同胞としての一定の敬意を抱いているためか、先ほどの尊大な態度に戻っていた。

 まぁ、聞く耳を持たない点に変わりはない。その瞳は、熱く燃えていた。

 未来を見据えて、燃えていた。

 勲章の授与式でも、まぶたに映っているに違いない。その瞳を見て、書記官の男は深い、深いため息をつくのであった。



 *    *    *    *    *    *



「レーネック、あいつら、また来たよ………」


 ワーレッジは森の中、大きな木の幹を背中に、静かにたたずんでいた。

 首から下げられた琥珀のお守りをそっと手にして、物思いにふけっているようだ。いつ、敵が目の前に現れてもおかしくない状況だが、だからこそ、心を落ち着けるために、こうしているのかもしれない。

 脳裏に浮かぶのは、帝国兵に蹂躙される過去の光景と、かつての自分。

 臆病ワーレッジの、当時の自分。

 宝玉術の使い手のための、修行の場所の光景。

 子供の遊び場としては立派過ぎる、石造りの神殿は、王宮のすぐ近くにあった。植物が覆いつくそうとしている錯覚を覚える、立派な彫刻が施された、石造り。

 神殿の役割を持ち、そこは宝玉術の使い手を育成する場所でもあった。力を持つ子供たちが王国中から集められ、将来、宝玉を授ける力を手に入れることを目標としていた。

 そんな子供達から、臆病ワーレッジと呼ばれていたのが、かつてのワーレッジである。

 十歳当時のワーレッジは、自らの強すぎる力におびえ、修行場においては、ついに一度も力を発揮できなかったのだ。

 そのワーレッジの姿が、懸命に修行をする子供達には、臆病者に映ったのだ。

 違うと、ワーレッジの優しさだと、レーネックが一人、かばった。

 導師の息子であるため、あるいは父親から教えられたのだろうか、ワーレッジの臆病の理由を理解していたのだ。

 レーネックも、いつか導師になるのだと、ワーレッジは憧れの気持ちも抱いていた。

 そのレーネックは、もういない。

 家族がどうなったかも、分からない。導師により、ワーレッジたちは逃げることとなったが、それは我が子レーネックを守るためだけが、理由ではなかった。

 レーネックも、その使命を理解していたのだ。

 そのため、レーネックもまた、命を落とした。

 父親でもある導師から託された宝玉を、ワーレッジに強引に手渡し、そして、逃がされた理由である、小さな命を託した。

 こうして、ただ一人、臆病なワーレッジが生き残った。

 ワーレッジは静かに、瞳を開けた。


「さって、そろそろ………かな?」


 ワーレッジは、まっすぐに前を向いていた。

 琥珀の瞳は、光を宿していた。淡い水色のショートヘアーが、力の余波を受けて、ふわりと舞った。

 呼吸を整えた。

 ワーレッジの力が宝玉に流れ込み、宝玉からも呼応して、力がワーレッジに流れ込む。この心臓が二つあるような循環によって、本人の全力を上回る一撃、あるいは持久力を得ることが出来る。

 敵は、まだ気付いていないらしい、いつかの傭兵軍団と同じく、ワーレッジは遠方より、敵の部隊の様子を眺めていた。

 ふと、ワーレッジは敵の変化に気付く。何かを探るように、手を前にかざして、歩いていたのだ。

 敵の使い手らしかったが、金属製の鎧で、動きにくそうだった。年齢は十歳を超えたあたりで、ぼさぼさの短い髪の毛は、男子と女子、どちらにも見えた。


「宝玉かざしても意味ないんだけど………けど、ボクに気付いた敵は、初めてかな」


 ワーレッジは、敵に賛辞を送った。

 水滴も、送った。

 敵が気付いたのは、ワーレッジの水滴の気配だろう。何か足音がすれば、刃物が日の光に光れば、気付くものだ。宝玉術にも同じ事が言え、直感的に、何か危ないと気付くのだ。

 まぁ、気付いただけでは、何も出来ないことに変わりはない。帝国の使い手は、すでに命を落としていた。心臓と腹部に、複数の穴が穿たれていた。動きを阻害する鎧は、命を守ってくれなかったようだ。


「障壁を張らなかった?………ちょっと、もったいなかったかな」


 ワーレッジは、拍子抜けと言う顔だった。

 ワーレッジの攻撃を防ぎ、反撃してくると思っていたのだ。念のために数箇所の同時攻撃をしていたが、それでもなお、敵が防ぎきり、反撃をする可能性は、当然だと考えていたのだ。自分と同等、あるいは上回る使い手がいる可能性があれば、地の利だけが、有利な条件であると。

 だが、拍子抜けだった。

 戦いを知らないか、まともに力を使うことが出来なかったのか。ワーレッジの脳裏に様々に可能性が浮かぶ

 浮かびながら、敵の眼前には、新たに水滴が生成され、ワーレッジは攻撃を重ねた。今回の敵は多い。この場だけでも、まだ何十人も残っているのだから。

 傭兵と、大きく異なる点だった。


「―― どこだ、敵はどこだ」

「―― 五連銃部隊、射撃用意っ」

「―― 用意ったって、敵はどこってんだよ」

「―― いいから、用意っ!」


 兵士の数に装備に、たまに訪れる賞金稼ぎのご一行様や、先日の傭兵軍団のような大所帯とも、色々異なっている。

 一番の違いは、統率力である。

 混乱の最中にあっても、命令に従って、体が動くのだ。

 寄せ集めのバラバラな攻撃ではなく、一つの群れなのだ。それはすなわち、巨大な怪物に等しい。訓練された盗賊が、さらに巨大になったようなものだ。並みの使い手が相手なら、彼らは勝利しうるだろう。

 特に、五連銃部隊が危険であった。

 弓矢を上回る飛距離と、威力を持つ武器を持つ部隊だ。腕ほどの長さの、鉄の筒を構えていた部隊が、彼らの主力であると、ワーレッジは思い出す。

 ベールディン王国が滅びる中、多くの仲間の命を奪った、帝国の力の象徴である。数十発と打ち込まれると、並みの使い手では危険だ。誰かを守りながらの戦いは、更に不利となる。


「レーネック、うん、大丈夫だよ。ボクはもう、大丈夫だから」


 ワーレッジは、静かに目を細める。

 亡き友人に、語りかけているのだ。最後に交わした言葉を、何度も、何度も繰り返す。

 戦場からは目をそむけていないが、ワーレッジの意識はしばし、どこかに向いていた。

 その間に、水滴の準備が出来たようだ。ワーレッジの水滴は、銃を持つ兵士の首を、心臓を、腹部を、あるいはわき腹から狙って、はじけた。

 そしてすぐ、水滴を集めるという作業の繰り返し。

 少し忙しかったが、数は、あまり脅威ではなかった。銃弾や、弓矢の雨を防ぎながらではないのだ。


「ん………うん。ネイベック、いいタイミング」


 ワーレッジは、またもどこかと話をしていた。

 ただ、今度は独り言ではない。遠くの使い手と話しをする術で、俗に“念話”と呼ばれる。

 短いやり取りの後、ワーレッジは敵をけん制するように、水滴を敵の周囲で踊らせた。ゆっくりとした速さで、ふよふよと、敵の目の前で踊らせた。

 兵士達は、大混乱だ。

 弓で、槍で、剣で、ひたすら、水滴を狙っていた。水滴に近づかれれば死ぬと、学んだためだ。

 少し動かすだけで、同士討ちだ。

 いい、時間稼ぎだった。

 そして、いいタイミングであった。弓矢の雨が、降り注いだ。


「―― よけろっ、上だ」

「―― 木だ、木の陰に――」


 上空から降り注ぐ弓矢の音に、何人かは気付いた。警告と同時に、木陰に身を隠していた。弓矢と言う、彼らにとってはなじみの攻撃なのだ。

 ただ、反応は鈍かった。

 混乱していたためだ。うまく樹木を盾に出来た者は、わずかであった。それでも、さすがは帝国兵である。死んだ仲間の銃を手に、改めて構えようとする。自分達の攻撃も枝葉にさえぎられるが、少しでもと言う気持ちだろう。

 許すワーレッジではなかった。水滴の存在を、混乱する兵は忘れていたようだ。


「――っ!水滴が、よけ――」


 剣で、ふよふよ動く水滴を切り裂いた兵士もいた。驚くべき技術であると、ワーレッジは素直に感心していた。指の先ほどもない、小さな水滴が、しかも動いているのだ。それを、剣で両断するのだから。

 まぁ、水滴だ。すぐに再構成され、その驚愕した瞳の前に到達した。


 そして、十分後――



「さすがだ、ワーレッジ。これほどの敵を、こうもたやすく………」


 ワーレッジに合流した頭巾のおっさんブローニックが、賛辞を送る。両手に握る剣を腰に戻したままであるのは、このあたりが安全になったと確認したためだ。


「なんだ、帝国軍って、たいしたことはないんだな」

「そうとも、俺たちの力をあわせて………ってな」

「この調子で、森に入ったやつら、全部やっちまえるんじゃないか?」


 ガサガサと、ブローニックに続いて、仲間たちも到着した。

 ご機嫌だった。

 数百もの軍勢が攻めてきたのだ、さすがに今回は命を落とすかもしれない。そんな覚悟でいたにもかかわらず、いつもと同じく、到着すれば死体の山だったのだ。

 それも、いくらかは自分達の放った弓矢によるものだ。いつもはワーレッジにばかり負担をかけている。ようやく、共に戦えたという喜びも、大きかった。

 しかし、その喜びも、わずかな間であった。

 死体の中に、違和感がまぎれていたのだ。


「敵の使い手だよ、その子」


 ワーレッジは、仲間の変化に気付くと、告げた。

 いつもの殺戮の場にたたずむように、淡い水色のショートヘアーが優しく風になびき、言葉の抑揚にも、なんら特別な変化はない。

 あくまで、ワーレッジはいつもどおりの姿だった。

 集った仲間たちは、違った。

 集った面々が見つめるのは、小さな死体だった。ネイベックよりも年下の、十歳過ぎの少年に見えた。

 違和感の理由だ。

 幼さもそうだが、なぜと言う、疑問が強かったのだ。

 カルバ要塞は、追い詰められた人々の集まりだ。人口も、一千人程度であるため、常備兵が十数人。宝玉術の使い手は、さらに少ない。そのため、ネイベックのような、十三歳の子供でも戦場に向かうしかないのだ。

 しかし、帝国は違うはずだ。

 疑問が、違和感が、勝利の余韻を消し去っていた。


「まともに術を使えてなかったよ。ボクの気配には………気付いたみたいだけど」


 ワーレッジは一人、冷静だった。

 あまり興味を持っていないような、子供だから分からない。そんな顔にも見えた。

 だが、言葉に詰まる面々は、違う。子供を殺したという事実は、殺させたという事実は、激しく心を揺さぶっていた。

 特に、将軍ブローニックなどは、帝国への怒りを隠せない。


「帝国は王族を、貴族を、子供まで殺した上に………」


 ブローニックは歯を食いしばり、続く言葉を封印した。

 子供たちを、殺し合わせたと。

 帝国の土地では、力の持ち主が生まれないと伝え聞く。当然、宝玉を手にしても役に立つわけもなく、ならば、目の前に転がる小さな亡骸は、自分達が守るべき子供なのだ。

 手を下したのはワーレッジであるが、そう仕向けたのは、誰なのか。自分達が王国を守れなかったばかりに、使命を果たせなかったために、本来は守るべき子供たちが、殺しあったのだ。

 激しく怒り、自らの無力を呪うのは、責任感の強いブローニックらしかった。だからこそ、カルバ要塞の将軍と言う地位を望まれたのだ。


「このまま商品の回収ってしゃれ込みたいんだが、いつも通りにはいきませんな」


 押し黙るブローニックに代わって、オリゲルが口を開いた。

 わざとらしくあっても、いつもの口調で、おどけた。もちろん、おふざけと言う味付けだ。沈みつつあった気分を、いつもに戻そうとしていると、全員が理解している。


「ホント、いい品だってのに、もったいない」

「後で取りに来ましょう。って言っても、貴重品くらいは………」

「おいおい、お客さんは団体さんすぎるんだ。やめとけ、やめとけ」

「まぁ、宝玉だけでも回収しようや。ニーフレンの姉さんとか、ハイデリックとかは宝玉を持ってないんだし………ワーレッジ、かまわないよな。呪いが掛かるとか、ないよな?」


 言いながら、宝玉はすでに、手にとっていた。

 そのまま、固まった。

 訊ねるのが遅かった、そんな顔だった。

 めったに起こらない、雷に打たれるほうが、確率が高いといわれるための冗談であるが、ワーレッジが、何かを探るような瞳であった。

 まさかと、一同に緊張が走った。

 そして――


「そんな気配はないよ。幽霊くらいならって思ったけど、やっぱりいない」


 転げた。

 もしかして、このまま呪い殺されるのか。はたまた、取り憑かれるのかと、本気で心配を始めていたのだ。洒落になっていなかった。

 ワーレッジは、悪い冗談を口にしたつもりはなく、ただ説明した。


「幽霊になるって、すごく難しいんだよ。呪いなんて、もっとそう。そうでないと、生きている人より、数が多くなっちゃうよ?」


 笑えない冗談だが、彼らは笑った。

 確かに大変だと、笑い合った。


「はははっ、違いない。幽霊に帝国兵が呪い殺されてくのは、見てみたいけどな?」

「まぁ、まぁ、幽霊の借金取りに追われるなんて、しゃれにならんぞ」

「だが、ワーレッジの力は、やはりすごいな」

「そうそう、敵がどれほど強いのかって、不安だったんだがな」


 笑う余裕は、まだあった。

 強がりで不安を吹き飛ばし、いざ敵と遭遇と言うところで、全力を出すためだ。心が負ければ、実力は発揮されず、負けるのだ。

 そして負けは、死を意味するのだ。

 自分たちだけでなく、カルバ要塞全員の、死を意味するのだ。

 そのための緊張と、緊張を解くための笑い。このさじ加減は、大切だ。

 将軍ブローニックは、いつもの調子で、両腰の剣を抜いた。


「さ~て、そろそろ次に向かうか」

「「「ほぉ~い」」」

 いつも通りの、ふざけたお返事だった。



 *    *    *    *    *    *



 ―― 一時間後


「撤退っ、撤退っ、撤退だぁ!」


 誰かが、叫んでいた。

 命令権を持つ者の声でないようだ。逃げていいのだろうかと、兵士達は互いに見詰め合う。

 そうするうち、仲間が倒れる様を見て、同時に逃げ出した。つられて、我も、我もと逃げ始める。

 噂を思い出すのだ。死に神に出会えば、生きて戻ることは出来ないと。

 生存者が語るのだ、気付けば、自分一人になっていたと。

 なら、自分が生存者になりたいと言うのは当然だ、我先にと、兵士達は駆け出した。そうしなければ、死ぬのだと。

 分からないバカが、叫んだ。


「だれだっ、勝手に命令を下したのは。迎撃だ、迎撃をっ――」


 バルガデアンであった。

 ぴかぴかの全身鎧は、お飾りの指揮官を印象付ける。実戦経験は無いだろう愚か者が、戦えと命じる。それは無謀だと、律儀に残っている部下が、怒鳴った。

 一応、礼節つきで。


「銃が撃てなくなってんですよ。湿気ってるみたいに、撃てないんだよっ!」

「ちっきしょう!この森のせいだ。霧が、霧がっ!」

「おい、宝玉術の使い手は、何してたっ!」

「その使い手の言葉無視したバカは誰だっ。逃げろって、逃げろ、逃げろっ」


 混乱の収拾は、もはや不可能。上官への反抗としか思えない言葉すら、口から飛び出していた。下手をすれば銃殺だが、どうせ死ぬのなら、もはや軍規に意味はないのだ。

 そんな中、バルガデアンに足蹴にされた少女は、うずくまって祈りをささげていた。この部隊で唯一、宝玉を手にした使い手の少女であった。

 指揮官の直属であるためか、ワーレッジの気配と、そして、強さも即座に認識し、撤退を促したのだ。おずおずとした態度であることは変わらなかったが、食い下がった。

 当然、バルガデアンの機嫌を損ね、蹴り飛ばされた。

 そしてそのまま、祈りの言葉を口にしていたのだ。


「我らはディトの教えに従います。呪われた力を使う愚かさを罰したまえ――」


 ウアルデギド帝国の国教である『ディトの教え』の信徒の言葉である。死を前に、祈りを口にするのは信徒としては自然だろうか、誰も気にしていない。すでに何十人かは、自主的に撤退を始めていた。それでも残り、五十人強。

 さすがは直属部隊だけあって、数は多かった。

 当初は百を越えていて、半数に減っても、並みの部隊より多いのだ。

 今のところは。


「バルガデアン殿、逃げましょう、今すぐですっ」


 バルガデアンのそばで、書記官が怒鳴った。素人でも、敗北していると分かる有様の、大混乱である。敵はこちらを一方的に攻撃し、すでに部隊は半減しているのだ。

 敗北を認めようとしないバルガデアンは、悔しそうに口をつぐむ。このような事態に対処する知識も、経験も無い、地位だけの若造なのだ。

 生まれのおかげで、若くして指揮官になることが出来たが、地方都市の警備隊長と言う、寂しい扱いであった。そのために出世の機会を見逃さず、この有様である。このまま撤退など、できるはずが無いのだ。

 その間にも、犠牲者は増え続けていた。

 早くしないと、皆殺しになるぞと、見えない攻撃が、続いていた。


「バカ、銃口をこっちに向けるなっ」

「撃てない、撃てない、撃てないんだよぉおおおおっ!」


 銃を手に、どこともかまわずに引き金を引く愚か者に、怒鳴りつける者に、混乱は増大中だ。ただし、流れ弾が飛んでくる様子はない、ただ、まぬけなジュコンという、水の音がするだけなのだ。さもなければ、同士討ちの被害のほうが、多くなっていただろう。

 ワーレッジたちは、その様子を眺める余裕があった。


“ネイベック、ボクは霧に集中するから、このまま演出してね”

“うん、了解”


 ワーレッジの指示に従い、ネイベックは一発ずつ、水の刃を放ち続けた。水の刃が、一人、また一人と、帝国兵をうがっていく。

 実は、この部隊において、攻撃をしていたのはネイベックであり、ワーレッジは半径百メートルほどの霧の結界に集中していた。

 さすがに五連銃部隊の数が多く、攻撃力の無効化で混乱させたほうが有効であると、判断したのだ。

 これは、演出だった。

 死に神一人の攻撃だと錯覚させるための、演出だ。

 敵がそう思い込んでいれば、死に神ワーレッジ一人に集中してくれる。おかげで状況判断を誤ってくれるし、伏兵に思い至る前に倒せる。

 伏兵のネイベックが安全と言うことが、何よりありがたい。

 ただし、ネイベックの宝玉術は、水鉄砲のような直線攻撃である。そのため、発射場所を特定されないように森を移動しつつ、発射する必要があった。

 そのとき、ガキンと言う音がした………気がした。人にはわからないだろう、力と力の、ぶつかった音であった。

 力の持ち主にしか、認識できない感覚であった。

 この場で気付いたのは、攻撃を防がれたネイベックと、霧の結界に集中しているワーレッジ。そしておそらく、攻撃を防いだ少女だけだろう。


“ワーレッジ、オレの攻撃が防がれた………”


 ネイベックの念話に、驚きが含まれていた。

 念話を受け取ったワーレッジも、少しだけ驚いていた。今までは警戒しつつも、敵は予想を常に下回っていたためだ。

 攻撃を防がれた上に、反撃を受ける可能性は、常に意識していたのだ。その意味では、いま現在も、予想は下回ったままである。敵は攻撃を防ぎつつも、反撃する余裕はなさそうだ。


“ネイベック、落ち着いて………いつもの修行を思い出して………”


 ワーレッジはネイベックを落ち着けながら、対処法を考え、決定する。十七歳の少年であっても、七年前から最前線で死に神をしていた少年なのだ。戦歴七年の戦士として、冷静に状況を見つめていた。


“あいつ、うずくまってるだけだったのに………”


 うずくまっていた金髪の少女が、防いだのだ。

 帝国の連れている宝玉術の使い手だと分かったが、ならば、まともに力を扱えないだろうと、今まで無視していたのだ。

 今、優先すべき敵となった。


“今まで何もしなかったのって、帝国風の、でたらめな修行のせいかもね。気配を探るのも、わざわざ宝玉を掲げてたくらいだから”


 ワーレッジが答える間も、ネイベックは攻撃を続け、防御され続けていた。

 意地になっているのだ。

 先ほどまでは移動しながらの攻撃であったが、今回はとどまり、攻撃に集中、敵がその気になれば、ネイベックがそこにいると、分かるかもしれない。

 だが、効果は現れていた。

 不似合いな金属製の胸当てが、大きく上下している。少女の限界は近そうだが、それでも、ネイベックの攻撃を防いでいる。


“ネイベック、あの子だけじゃなくって、周りの兵士も攻撃して。あの子ばかりに集中しても、勝てないよ。きっと力は、ネイベックより上だから”

“なら、こっちも危ないんじゃ、反撃されたら――”

“だからだよ。逃げるように仕向けなくっちゃね”


 釈然としない様子であったが、ネイベックはワーレッジの指示に従い、少女の周りの兵士を狙った。防御の範囲が分からないため、少し端っこを狙った。

 すっと、崩れ落ちる。

 ワーレッジは、ネイベックの射撃の腕に、賛辞を送る。


“そうそう、パニックを起こすように演出しないとね。あの子ばっかりかまっていると、冷静になるのが出てくるんだから”


 ネイベックは、ワーレッジに命じられるままに少女と、敵兵を交互に攻撃する。ワーレッジもまた、このようにして経験を積んだのだ。森の民モートリスたちから、長年の知恵を授かった。敵を恐怖させる、混乱させる演出である。

 いつ、死を迎えるのか。

 それが分からなければ、恐怖は増す。ワーレッジに従っているためか、ネイベックは、まだまだ力に余裕はある。

 一方の少女は、今にも倒れそうだ。


「バルガデアン様、今なら逃げられます、早く逃げてください」


 少女にしては、くっきりとした物言いであった。

 限界は、近そうだ。


「この霧はおかしいです。早く逃げないと――」


 少女の言葉は、途中でさえぎられた。

 吹き飛んだためだ。いらだったバルガデアンによってではない、ワーレッジの攻撃によってだ。

 小さな水滴が一つ、送り込まれていた。


“へぇ、ボクの攻撃も防げるんだ………やっぱり、油断しちゃ、いけないね”

“………すごいんだよね、それって………って言うか、霧はもういいの?”

“うん。もう銃は使えないよ。水浸しだからね”


 十人ほどの兵士も、少女が吹き飛んだのと同時に、命を終えていた。ワーレッジとしては、唯一、自分達の攻撃を防げる少女を倒しておきたかったが、パニックにトドメをさすほうが優先であった。

 ネイベックが、攻撃を続けていることであるし。


「もう、防げません。急いで、逃げて………」


 金髪の少女の懇願を遮るように、何かが、空中で爆発した。あるいは、何かの攻撃が、止められた。

 バルガデアンたちであっても、使い手の少女が何かから攻撃を受け、それを耐えていると分かったはずだ。


「バルガデアン殿、もはやここまでです。今すぐ――」

「いけないっ!」


 それは、同時だった。

 書記官の頭が、吹き飛んだのだ。少女は防ごうとしたが、とうとう力尽きた。これは、敵に絶望を与えるための、ワーレッジの演出である。この男の言葉だけは、指揮官が無視していないと判断したからだ。

 なら、指揮官にとって、一番分かりやすい死になってくれるだろう。その判断は、正しかったようだ。バルガデアンは、悔しげに声を振り絞った。


「っ………撤退だ。撤退せよ。総員速やかに、撤退せよっ」


 ようやく、バルガデアンからの撤退命令が下された。

 しかし、すでに部隊の半数は自主撤退を完了していた。もはや残りの兵士は三十人を下回っている。

 それでも、森に展開している部隊と合流すれば、まだ二百人以上は残っているのだ。集まればよいと思うかもしれない。そのようなバカな考えが起こらないように、書記官の頭を吹き飛ばしたのだ。

 逃げねば、殺される。

 身近な人間を殺すことで、恐怖は強まるのだから。


 しばらく後、森にノロシが上がった。ワーレッジたちではない、帝国軍の、撤退の合図だった。


“ワーレッジ、モートリスだ。今のノロシは、撤退の合図のようだな”

“うん、指揮官がなかなか逃げようとしなかったから、手間取っちゃった。そっちはちゃんと逃げてる?”

“あぁ、少し相談をしていたが、素直に従ってくれるようだ”

“よかった、警戒は必要だけど、今回の戦いは終わり………かな”

“おそらく………あとは、散り散りに逃げたやつらの始末だな”

“だね、できれば、たっぷり恐怖をお土産にしてほしいね”


 ワーレッジとモートリスは、死に神らしい会話を続けていた。森に足を踏み入れたのは、数百人。百人ほどはすでに命を終えていたが、恐怖の演出は、続いていた。

 最終的に森を抜けたのは、森に入った数の半数を下回っていたという。


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